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制止が解けた!自分の意思とは無関係に体に変調が起きていた
- 一昨年までひどい体や動作の停止に悩まされていましたが、一昨年後半からは停止は減り、動作の継続感が出てきました
- 自由が戻ったと言える状態で、自分ではない者に嫌がらせをされたような感覚を味わったこともありました
- 身内の人からは「制止が解けた」という言い方は大袈裟だと言われましたが、この感覚をどう表現すればいいのか知りたいです
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症状に関する説明をもっと短くしてはどうですか? (人のことは言えませんが)あまり長いと、却って意味が解りにくくなります。 そこで、『 』のように直してみました。 『一昨年、2011年の前半までは動作の自由が利かず、思い通りにならないことが多かったです。それは、幻聴と耳鳴りがしている時、テレビ画面に視線が行った時、喫茶店で働いている時、犬の吠え声が聞こえている時など、普段の生活の様々な場面で起きました。ところが、一昨年の後半からは動作が突然止まることが減り、逆に自分の意思で止めることが出来なくなるという自覚症状が続きました。 このように、動作が思い通りに出来ない時期が続いたものの、そのようなことは今は殆どなくなり、自由に動けています。 動作が自由にならなかったときは、何者かに嫌がらせをされているのだと感じていましたが、実際は自分の頭の中で起きた何らかの現象が起因していたのだと思います。』 一々「意に反して」とか、「制止が解けた」、「自分の意思とは無関係に、体に変調が起きていた」とか付け加えなくとも、話を聞く側には、言葉を補ったり状況を推測する能力がありますので、前後の文章で言いたかったことは伝わるものです。 全部を伝えようとする方が却って伝わりにくくなるので、“内容を整理して話すようにすると良い”と思いました。
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- kamikami30
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大袈裟というか、くどいかんじです。 身内なら状況はしっているのでしょうから、 動かなくなった。 動くようになった。 他の症状が一緒なら やばい、きた 治った それだけで十分です。 普通は自分の意思で自由に動かしたり止めたりできるものですから。 あなたに何らかの問題でそれができなくなって、 というのを動かなくなったり、動いた度に説明されているようで面倒くさい感じです。 それを、面倒くさいとか、くどいとは身内も言いづらいから、 大袈裟と言って気づかせようとしてるんじゃないかと思います。 もちろん初めて起きた症状なら、それで良いと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます! No.2さんのご回答を信じることにしました。 動くようになったのではなくてNo.2さんが仰るように、“動作が思い通りに出来ない時期が続いたものの、そのようなことは今は殆どなくなり、自由に動けている”という解釈が正しいだろうと思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます! po-ria1さんが添削した文章通りの内容が起きていたとは言えません。 一部だけ違っているので以下のように言い方を自分なりに考えてみました。 ‘一昨年の後半からは動作が突然止まることが減り、逆に自分の意思で止めることが出来なくなるという自覚症状が続きました。’ →‘一昨年の後半からは動作が突然止まることが減り、逆に自分の意思で止めることが出来なくなるという自覚症状が現れました。’ po-ria1さんのご回答をベストアンサーにすることに決めました。