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自分の中の出来事について表現を言い替えて下さい。
実は以前、ここのカテゴリに質問させていただいた者ですが、自分の症状を「暴かれた(発見された)」「操られた」「操られているような印象を受けた」「発せられた」「止められた(=制止された)」「制止が解除された」「短縮された言葉で発せられた」「モトの言葉に変換されて発せられた」などの回答を得たり、そのようなやりとりをしたことが以前あったんです。 しかし家族の人にその件を訴えたら、「暴かれた・止められた・解除された・発せられたなどとは思えない」「すべて自分の意志で行っていること」「“操られた・自分の意志で操った”=操るという言葉は使わないほうが良いし、自分の意志で動いていること」だと家族の人が言ってました。 ここで質問ですが、★印の自分の中で起きたことについて 断片的な文章をまとまった文章にしてください。もしおかしな文があったら言い替えた表現を教えて下さい。他の表現も教えて下さい。自然な表現をできれば教えて下さい。 それと、以前述べたことのある文章も、『自分の意志で行った』『自分の中で作り出された』ことをキーワードとして言い替えた文章にしてあらわしてほしいんです。 「操られた」という言葉は使わないであらわしてほしいんです。 ★(1)心の中・頭の中で質問をする(2)自分の外の音(=人の声、犬の吠える声、テレビの音)、自分の中の音(=幻聴・耳鳴り)、他人が動いているのを見たことなどがきっかけで質問したことと関連した回答の言い聞かせなどがあった、回答が自分の中で出てしまったかどうかは判断できないがそれがあった(3)回答の言い聞かせで、例えば「今日は○○さんからメッセージが来るのか来ないのか」と質問したことに対する回答が後で正確な回答だと感じた : このことについて、正確ではない回答の言い聞かせもあったんです。 ★「つなげて言う」「短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「途中から読む」「朝もやる」「何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「区切る」と言ったような言葉が何らか(=人の声など)がきっかけで発せられて、それらの言葉が出る前までは自分の行為などを否定した内容を心の中や頭の中で言い聞かせられたり、そのように操られたような感覚があった。自由に自分が行為をすることのように動かされたんではなかったように感じた。要するに「 」内の言葉で、行為が否定→可能になった感じだと感じた。 ★【A】ひとつの言葉(「例:ある」)を心の中や頭の中で言ったが、自分の外や自分の中の音などがきっかけで何らかの理由もあって、短縮された言葉(「例:あ」)として発せられた【B】それが数分、数日か続いた後に、短縮された言葉(「例:あ」)で発せられていたのがモトの言葉(「例:ある」)に自分の外や自分の中の音などがきっかけで変換されて心の中や頭の中で言わせられた感じがあった。 要するに操られた印象を受けた。 ★去年の前半まで何らか(=テレビや幻聴・耳鳴りおよび家族の人が誰かに電話したりしゃべったりしていること それがあったり、その時自分が電話している側にいたこと、犬が吠えていることなど)がきっかけでひとつの動作が止まったりできなかったり体が固まってしまった このことについて制限がかかった感じだと捉えた が、去年の後半からそれら(=体が固まったり、ひとつの動作ができなかった 制限がかかったなど)が解除された感じがあった。要するに制止~動作を継続するように強制するように動きが変わった~継続が解除されたの流れの出来事が起きた。 ★自分が例えば『国語』と心の中や頭の中で言ったとする。『こくご』まで心の中や頭の中で言う 要するにまとまった言葉を心の中で言うんではなく、『こく』で区切って(=心の中や頭の中で止める=黙る感じ)『ご』と言うふうに言った(=『こく、ご』というふうに心の中や頭の中で言った)が、喫茶店の職員さんの言動があったことがきっかけで『こくご』と言うふうに発せられた(=心の中や頭の中で言ってしまった)ことがあった。それが人の名前を言った時も同様のことが起きた。 ★「関係なく治す」「くだらないことやったのを治す」という言葉が何らか(=自分の外や中の音など)がきっかけで発せられた。これは精神病や普通にあることなどを動かすことだと感じたりした。 今回はここまでにします。 回答をくれた方に対し、お礼で返答したり質問しようと思います。 できれば★印のこと全部言い替えてくれると幸いです。 おそらく自分の意志で起こしたことだと家族の人は言ってました。
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- moto_koukousei
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⇒☆自問自答するときや考え事をするときには、あることを自分で疑問として出して、それに何かの考えや答えを出すと思いますが、私の場合、それが連続して続くのではなくて、考えていたときから離れて、全然別のことをやっているときに、偶然というか、テレビの音、犬の吠える声、人の声が聞こえたとき、あるいは他人の行動や雲の動きを見ていたときに、突然、前に考えていたことの答えがひらめいてくるのです。そのひらめいた答えがまさに正解であるときもあるし、正解にならない答えのときもあります。 ⇒☆なかなか上手くできないというか、やろうと思ってもできないというか、始めることさえもできないことがしばしばあります。なにかに引っかかったか突っかかってしまったように、どうしても声が出なくなったり、動けなくなります。でも、声などに押されると,それをきっかけにできることもあります。スポーツの選手などを見ていると「気合いを入れる」というのでしょうか、ヨシ、ウlン、サァ ヤルゾとか自分で発声しているのですが、私の場合、他人の声や言葉が聞えたことがきっかけになることがしばしばあります。それも、リーダや仲間がやろうとか頑張れとか声がけしてくれるようなことではなくて、他人のなんてことない言葉が聞こえたときに、今までのstopの留め金が外れて、スーッとしゃべれるようになったり、上手く行動できるようになるのです。なんだか、自分の意思ではなくて、他人の言葉で自分が動かされているような気にもなります。 ⇒☆例えば、「おはようございます」と挨拶しようとするのだけれど、「ォ」の途中までで声が出なくなってしまう。「おはようございます」が「ォ」に短縮されてしまった状態です。でも、何かのきっかけ、どうも何かの音を聞いたことがきっかけで、「お、は、よ、う、ご、ざ、い、ま、す」と思わなくても、その後は「ォ」ではなくて、「おはようございます」と言葉が自動的につながって連続して出てくるようになることがあります。頭の中の言葉と発声の変換機能が、何かに操られているような感じがします。 ⇒☆なにかに引っかかったか突っかかってしまったように、どうしても声が出なくなったり、動けなくなったりの例としては、音の影響が大きいと思っています。昨年も、犬が吠えているなと思ったときに、動作が途中で止まって体が固まったようになりました。また家族が電話をしている声が気になったときに、体が固まったようになりました。テレビの音がきっかけになったこともあります。自分で動作を止めたりしているのではなくて、自分の体が音のスイッチでon/offされているように思います。 ⇒☆日本語に「言霊(ことだま)」という言葉があり、「声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた」のだそうですが、良い言葉、不吉な言葉、促す言葉、制限する言葉、感情を刺激する言葉、喜ばせる言葉、怒らせる言葉、憂鬱にさせる言葉などがあるように、言葉そのものに何かの力があるのでしょう。またガラスをひっかく音、不安を高める音、陽気にさせる音、活動を活発にし盛り上げる効果がある音などもあります。音や言葉には、人間の脳をコントロール力があるように思います。 それに鈍い人もいれば、すごく敏感な人もいると思います。 私の場合、音や言葉の影響を受けやすいので、音のスイッチでon/off、コントロールされてしまうのでしょうか。それとも、「すべて私自身の意志で行っている」のでしょうか。 ~~~~~~~ 以上で 「言い換え」の試作品はおわり ~~~~~~~~ コメント: イラク戦争を現地で体験した兵士にはPTSDということが起きることがあるそうです。そこで生じる症状は、自分の意思/意志で起こしているのではないとされています。自分の意思で身体運動や発声をすべてコントロールすることは、あまりありません。 歩行、早足、ゆっくり、停止、階段や坂の上り下り、左右に揺れた場合の調整も、多くの場合個別に意識するのではなくて、ほとんど自動的にコントロールされます。筋肉やその関係の神経と脳の中の神経が勝手にバランスをとるのです。それが不調になると、上手く歩行できなくなったり、歩き始めると立ち止まることが難しくもなったりします。 言葉には不思議なことがあります。何かのことを思って、他人に話そうとします。その場合、頭の中にある「思い」はきちんとした話し言葉にはなっていないのが普通です。思った内容を他人に伝える文章にしたり、きちんとした発音にするにはまた別の機能を働かさないと、話し言葉として口から出てきません。その機能を動かしているのは意思ではありません。意思とは別、思考とは別に、自動的に動いている部分があります。パソコンで画面に表示する機能と、その他の処理は別なのと少し似ています。画像表示の機能が順調でないと、CPUやメモリが正常でも、パソコンを見ている人にとってはぎこちなくなったりすることになります。人間の場合、どもったり、発音が抜けたり、言い間違ったり、アクセントが狂ったり、言葉が出なくなったりもします。いつも同じようになるのではなくて、調子の良いときや不調のときもあります。この発音に関わる脳の部分は、運動にも関係しているブローカ中枢と運動ニューロン、錐体外路系、小脳あたりだろうと思われいます。 ずーっと不調のままというのではなくて、調子良くなったり、不調になったりということならば、重症でないのでしょう。そのきっかけが音や言葉である可能性もあるでしょうが、そうではない可能性もたくさんあると思います。だいたい、声や音がまったく聞こえないで3時間4時間ということはあまりありません。何かしらの音がしているものです。言葉がうまく出なくなる、行動が止まるというのも、それに気付いたときに、自分の聞いた外部の音や自分の内部の幻聴・耳鳴りに結びつけて理解しようとするから、そう思えてしまうという可能性は高いと思います。 人間は、何かのことに気付いたときに、それをそのままで受け止めることに満足しきれず、原因や理由を自分が納得できるように見つけようとする傾向を持っています。それが自然を理解し、科学技術や医療などを進歩させてきたのです。しかし、強引に理由を探すと、亡霊、怨霊のたたりにしたり、先生の教え方が悪くて勉強ができないとか、見当違いの方向に進むことも多いです。社会や経済、政治の関連だけで、強引な理由探しが起きるのではないです。病気でも、同じように感染源に接し、細菌やウイルスを受けても、感染発症する人も、しない人もいます。遺伝的なことや成長の過程で獲得した体質や経験に原因を求めるのも一つの方法ですが、それでも説明しきれるものではありません。 音が、発音や行動をon・offする可能性がないわけではないと思いますが、その音や声がするとon・offが確実に切り替わる/制限がかかる・解除されるというほどのことがなければ、音は主要な原因ではないでしょう。 何かを気にしすぎていると、「発声や行動が制御されてしまう不安」にこだわりが強くなって、余計に不調が起きやすくなるように思います。 吃音(どもる)も、それを気にすると、ひどくなる。対人赤面・あがり症も同じです。失敗することやミスを強く気にすると、スポーツ選手でも良い成績が出なくなります。 外部や内部から聞こえる音や声のこと、自分の発声や行動の抑止や開放のことをあまり気にしない方が、良いのではないでしょうか。 「○○さんから今日メッセージが来るのか来ないのかと自分の頭の中で質問したら、今日来ると頭の中で回答が響き、その通りにメッセージが来た」という経験があったとしても、そのようなことは気にしない方が良いです。サイコロを振ったら6が出るか聞いて、出るという答えが響いて、その通り6が出たとしても、その自分の声の回答の確かさを信じて「ミニロト」「ロト6」に賭けるのは止めた方が良いのと同じです。 「外の声や音に私は操られていると思っている」ならば、その「思い込み」を作り出しているのに自分の意識も関係していると考えても良いでしょう。「外の声や音に私は操られているという思い込み」から自分を解き放つことは、自分の意思でもできるのだと思います。「外の声や音に私は操られていると思っているまま」ならば、それはあなたの意思(操られているということを疑わずに信じていようとするあなたの意思)の結果であるかもしれません。
- spring135
- ベストアンサー率44% (1487/3332)
質問が長すぎて込み入っていて余計なことが多すぎて とても理解する気になれません。 質問点を整理して数行で表してください。
お礼
回答読みました。 1つ目の★、3つ目の★、4つ目の★に関しては#2の回答に対するお礼に書いてある通りです。 1つ目の★に関して、 心の中や頭の中で質問すると、偶然というか、テレビの音、犬の吠える声、人の声が聞こえた時、あるいは他人の行動(=言動がそれに当たる)などを見ていたときに、突然心の中や頭の中で質問したことに対する答えがひらめいてくる 要するに言い聞かせがあったことがそれに当たると思うんです。 答えがひらめいてくるとか言い聞かせがあったというのは、心の中や頭の中で発する(=言う)ということなんです。 3つ目の★に関しては、#2のお礼に述べたとおりだと思います。 4つ目の★に関しても、#2のお礼に述べたとおりで、おそらく自分の意志(2人の自分がいて、それが動かしている)だと思いました。 2つ目の★に関しては、 「つなげて言う」「短く区切る」・・・・・・「区切る」と言う言葉を自分の心の中や頭の中で発した感じだと思います。 これを僕は何らかに操られたと捉えたことがあったんです。 それが行為が否定→可能になった感じだと思うんです。 おそらく自分の意志かもしれない気がしました。 自分の行為を否定した内容の言い聞かせや動かされた感じをoffにされた(自分の意志でoffにした)かと思います。 「つなげて言う」とかの言葉を自分が発したのも何らか(=人・犬の声や言動 など)がきっかけになったように感じました。 5つ目の★に関して (1)『こく、ご』と言うふうに心の中や頭の中で言った (2)喫茶店の職員さんの言動などがあったことがきっかけで『こくご』というふうに自動的につながって連続して出てきた(=心の中や頭の中で言った感じ) の流れのことが起きたんです。 要するに3つ目の★と同様のことが起きたと思うんです。 6つ目の★に関して、 「関係なく治す」とかの言葉が発せられたのではなく、おそらく自分の中にあった言葉で、それが自分の中から外に出たように感じたんです。 自分の中で作られた言葉は確かだと思うんです。 僕は、例えば『けいさんキッスーメール』と言う言葉を心の中や頭の中だけではき出したけど、『計算機』と言うふうに本来の言葉へ自動的に変換して出てくることがあったんです。『計算機』という言葉も心の中や頭の中で言った感じだと思うんです。 再度回答下さい。 ★印の症状を言い替えたりしてほしいです。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。 1つ目の★について、以下の流れの出来事が起きたように思いました。 (1)心の中や頭の中などで質問する(あることを自分で疑問として出す) (2)偶然というか、テレビの音、犬の吠える声、人の声が聞こえた時、あるいは他人の行動(=言動がそれに当たる)などを見ていたときに、突然心の中や頭の中で質問したことに対する答えがひらめいてくる 要するに言い聞かせがあったことがそれに当たると思う。 (3)そのひらめいた答えがまさに正解であるときもあるし、正解にはならない答えの時もある 回答者が言うように、自分の頭の中で質問する→頭の中で回答が響く その通りだと思いました。 3つ目の★については、“「おはようございます」と挨拶しようとするのだけれど、「ォ」の途中までで声が出なくなってしまう” これは声に出したのではなく、心の中や頭の中で言った感じです。 以下のような流れの出来事が起きたんです。 (1)「おはようございます」と言ったが自分の外の音や中の音などがきっかけで「ォ」に短縮されてしまった状態で出てしまう(=心の中や頭の中で発する=言う感じです) (2)数分、数日後に「ォ」が「おはようございます」と言葉が自動的につながって連続して出てくるようになることがあった(=心の中や頭の中で発する=言う感じです) (3)1と2の出来事が何回も起きたことがあった感じです。 4つ目の★について 音の影響だけとは限りません。以下のような流れの出来事があったんです。 (1)昨年の前半まで何らか(=犬が吠えていると感じた時、家族が電話をしている声が気になった時、テレビなど)がきっかけで動作が途中で止まったり体が固まったことがあった (2)昨年の後半から動作が止まったり体が固まったのが何らか(=喫茶店で働いたこと?)がきっかけでoffになったように感じた 動作の継続も何らかがきっかけでoffになったように感じた 補足にも後ほど付けたすつもりです。