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戦国武将の日常
歴史の、ああなった、こうなったばかり学んでいたのですが ふと!武将って、日常の仕事は何していたのだろう? などと思いまして 殿とか、城主なら、政務をやっていたのでしょうが たとえば、武田氏の、山県さんや 羽柴の、蜂須賀さんみたいな人達は 日常は何の仕事をしていたのでしょう? めっちゃ、初心者な質問で、ごめんなさい ですが、ぜひ!教えてください!
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1、徴税 現代のサラリーマンのように所得を100%補足されてきっちり徴税されても、文句も言わず、一揆など考えたことも無い人々は、歴史上、奇跡的な存在です。現代でも、自営業者は何とか税を軽減しようと節税に努めますが、昔の人はもっともっと、税をきっちり払うことに抵抗があります。脱税・節税・控除枠の拡大に命がけなのが、歴史的には普通の人間なのです。まあ、今日に比べれば、福祉は極小、義務教育も無し、行政サービスがあまりにも少ないので、税を払うことに義務感が少なくて当然なのですが。 ですから、武士にとっても徴税は非常に骨の折れる仕事でした。農民の所得を計算するには、丈量検地と言って、田畑を実測するのが一番なのですが、これはなかなか受け入れられません。本当の収入は不明なまま、伝統的に、この土地の収穫または税収は○○貫、あの土地は△△貫と決まっていたのが、当時に多かった貫高制。ただし、作況によって税控除とか減税なんかあり、これが「農民」の側には節税の口実になるわけで、さらに、当時は農民も武装しているし、下級の武士は農民の側につくことも珍しく無いし。 武士は武力をちらつかせながら、交渉して徴税していたようです。特に畿内のような豊かな地域ほど、農民は団結して強いのです。 ちなみに、近代国家以前は、武力は徴税のための武力という側面も強いのです。中世の軍が、近代軍に比べて、戦争用としては不合理な組織なのも、徴税のために使われた面も大きかったからであります。 2、相続や縄張りの争いの裁定 武士社会は、相続や縄張りの争いが非常に多く、しばし流血に及ぶことが武士たる由縁でもあります。武士は、自分の一族の相続争いに苦しみ、さらに主君の相続争いに巻き込まれ、家来の相続争いの裁定を請われます。主君や有力者に運動をし、家来から運動を受けます。同じ主君を仰ぐ隣人との縄張り争いも、流血に及ぶことは主君から厳禁されてるので、これも有利な裁定を得るための運動の日々。村対村の争いもうまく裁定できねば、流血沙汰になってしまいます。 3、勧農とか行政 農民達に農業の振興を進め、また村祭りには太っ腹な所を見せて多額の寄付をしたり、人々の信仰を集める寺社にも寄付をしたり、大した行政サービスはしませんが、農民達にも「良い顔」を見せねばなりません。力だけでは支配できませんしね。 4、治安維持 領内の安全は当然、武士の責務であります。
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- shirouuda
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申し訳ないが訂正します。 治安維持なのですが、 当時は、農民自体が武装しているし、 下級の武士は農民でもあったし、 村の事は村で守り、決定し、実行するものでした。 「自検断」という専門用語もあります。 武士と農民の垣根は低く、中間的な人々も少なくなく、 この辺の実態は、 ケースバイケースであったようです。 まあ、だんだんと武士の側に武力を独占して治安維持の責任を負う方向にあり、江戸時代の平和に至ったようですが。
お礼
あらま~わざわざ、ご丁寧にありがと~ ふむふむ、戦国の世は今で言う、警察より、自警団あたりが活躍していたのですね 面白いな~なんかそっち関係の情報を調べてみます とても、とても、ありがとう
- shirouuda
- ベストアンサー率17% (14/78)
秀吉の薪奉行は 江戸の創作です。 秀吉の最初の記録は、1565年、信長からの家臣への土地給与の書類の副署です。 つまり、土地を与えられた家臣と信長の中間の身分だったのです。 それ以前の記録はありません。 あと、直江状のことを書いている質問者さんもいますが、今日では後世の創作だとされています。
お礼
がが~~ん!薪奉行ネタ、直接仕入れるネタあたりは嘘だと思ってたけど 薪奉行自体が嘘なのですね でも、書類の仕事は、とても、ありがたい情報でした
- mekuriya
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同じです。戦国時代は県知事が市長たちを家臣にしていた時代みたいなもの。ただし、ぼやっとしていると岐阜県知事の家臣だった高山市長がいつの間にか富山県知事の家臣になっていたりする。そうかと思えば、美濃市長がいつのまにか岐阜県知事にのしあがっていたりする。そういう不安定さが戦国時代でもあります。 封建制度の目的は集団的安全保障であり、主君である岐阜県知事は高山市と飛騨市が領地の奪い合いなど争いを起こさないように、未然に対立の芽をつぶしたり、利害調整を図ったりします。それが不公平な調停だったりすると、後で裏切られたりするわけです。 だからそれぞれ政務は多岐に渡ります。とてもここには書ききれない。主君は家臣から見限られないように痛いほど気をつかいますし、家臣は主君から疑われないように痛いほど身の潔白を証明しようとします。主従関係は重層的ですから、ひとつの関係では家臣である人物がまた下位構造においては主君でもあるのです。
お礼
調停ですか・・なるほど 行政のほかにも、家臣への気遣い+アピールなどですね 秀吉の薪奉行ねた、読んでて ほかの武将は!? ・・と、気になったけど、そういったものなのですね
- あずき なな(@azuki-7)
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家臣は家臣ごとに仕事が決まってたのさ まぁ 書状を書くのは祐筆がやってたから 武将は実際 あーだこーだって言ってただけ 祐筆がそれを文章にしてたのね 後は学問 剣術 お茶 領内の見回り 謁見者の挨拶受け 台所でつまみ食い
お礼
福島正則、文字書けなかったらしいですものね 小早川隆景も【急ぎのようだ、ゆっくり書け】 ・・じゃあ、お前書けよ!!
- sagetusai
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自分の領土の政務はもちろんですが、 武田家で言えば定期的な会議が日々行われていたと思いますし 私としては、けっこう「書状」を書いている時間も多かったのではと思っていますね。 信長が秀吉正室に送った書状とか、 意外と対武将以外でもたくさんの書状が残っていたりするので 書状の記載にけっこうな時間を要していたのでは・・と思いますよ。 直江状だってものすごい長いじゃないですか。 あれ程の物がすぐに書けるとは思えないですからね。。
お礼
武田家は会議してそうですよね~ 山県さん級の武将なら、領地と御殿往復なのかな~ 書状は確かにそうですよね 色々、残ってますものね 吉川元春とかは、夫婦連名で、次男坊いさめたり 武田の信玄は、恋人<?>の高坂殿へ手紙書いたり
- take-on3
- ベストアンサー率14% (176/1183)
戦や国務や執務等の出仕をしていない時は 自領の政務ですよ。領主ですから。
お礼
領国経営ですか~ もっと食い込んで、出仕してたときは!? とか 秀吉も、薪奉行してたように ほかの武将は何してたの!? ・・と、気になりまして
お礼
おぉぉ!細かく、ありがとう! ふむふむ、寺などへの寄付は盲点でした! 治安維持も、自分でしたのですね 後は、やっぱり、細かい行政みたいですね~