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もしも徳川家重が障害者じゃなければ
もしも徳川家重が健常者として生まれて来た場合、政治や行動はどんな感じになっていたと思いますか? 基本的条件として、 1徳川将軍最高の美男であったこと 2頭脳は怜利で、熟慮的な思考パターン 3酒&女好き という3点は不変とします。
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あんまり変わらない 将軍主導で政治方針が大きく変わったのは 家康 < まぁ初代ですから 綱吉 < 館林から 家宣 < 甲府から 吉宗 < 紀伊から この辺が主要なところで、基本は前将軍とは違う血統から入って、前将軍の方針に否定的だったところです。 なので、家重が個人的に優秀だとしても、積極的に父親である吉宗を否定することはなかろうかと。 閑話休題 家重云々の元ネタは徳川実紀ですが、 1787年 家斉 11代将軍就任 1809年 徳川実紀 起稿 1841年 家斉 死没 1849年 徳川実紀、家慶(家斉実子)に献じられる 初代から10代家治までの期間が対象 歴史書ってのが為政者の正統性を表現するものであり、中国では前王朝の史書を次の王朝が作るというのを考えると、一橋王朝が徳川王朝に対して、一橋王朝の正統性を示すために、書いたというような穿った見方もできます。 なので、家重に関してもちょっと差っ引いて考える必要があるかもしれない。
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- カルマ(@mimicry-budda)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E9%87%8D ↑ 読んでみました。 >頭脳は怜利で、熟慮的な思考パターン ↑ だとすると・・・。 先代の吉宗が行った『享保の改革』による「増税策」。 これを、そのまま継承するか、どうか?。 ここで熟慮するところでしょう。 でも、「将軍」として教育されていたのなら、父であり先代将軍でもある「吉宗」の政策を継承したのでは?。 それが「武士の生きる道」だったでしょうから。 そう考えると、先の回答者様も書かれてますが、「あまり、大きく世の中が変わる事は無かった」でしょう。 むしろ、徳川幕府の滅亡が数年くらいは早くなっていた、かも知れません。
- kkanrei
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たいしてかわらなかったのではないでしょうか。家重の側近の田沼意次がけっこうがんばっていたし。吉宗の倹約路線はもういきづまっていて、意次のように重商主義で開発路線を走るしかなかったように思います。重商主義、すなわち土地を権力の礎としていた、武士の時代は終わりをつげ、産業振興へと進むべきだったのに、松平定信や水野忠邦などが、それを阻害して明治維新の到来を遅らせた。将軍がもうどうあがいても幕府は滅びる運命だったと思います。