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1887年にアルバート・マイケルソンとエドワード・

1887年にアルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーは、『光速度不変の原理』を実験的に証明して確立しましたが、ノーベル賞はマイケルソンのみが受賞しています。モーリー はなぜダメだったのでしょうか?

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  • pochiaki3
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回答No.1

マイケルソン・モーリーの実験はエーテルを否定した点で評価に値します。しかし、それだけが受賞理由という訳ではないと思います。手元のノーベル賞の関連書には「受賞理由:干渉計の開発と分光学の研究」と書かれています。マイケルソン干渉計の開発にエドワード・モーリーは関わっていません。また、別の本には「干渉計は非常に精密かつ用途の広い測定器であり、その考案自体が、精密物理学に対する重要な功績でした」とあります。分光学その他の業績については、残念ながら、手元にある本では確かなことは分かりませんでした。結論としては、「受賞理由がマイケルソン・モーリーの実験だけではないから」ということになります。このような回答でよろしかったでしょうか?

yu_OKWave
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 測定する為の機械を作った上で測定した人と、測定だけした人を区別したということですね。納得です。貴重な情報をありがとうございました。