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どなたの漢詩でしょうか?
いまからン十年も前に、高校の漢文の授業で習った漢詩が、どうしても知りたくてお尋ねします。 その漢詩の内容は、「朝になれば日が昇り、田畑は豊作で、都の方では戦が絶えないらいしが、君主様の御威光なんか、ここでは関係ない・・」といったような内容のノンビリした歌でした。 当時の漢文の先生が「僕もこういった生活を送りたい」とおっしゃっていましたが、当時の私は若すぎて、この歌の深さがよくわかりませんでした。 最近、としをとったせいか、この歌が気になってしょうがありません。どなたか、お分かりになりましたら、御教授ください。
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「都で戦が絶えない」の部分がないのですが、 「鼓腹撃壌」という言葉の元となったエピソードに出てくる、 無名の老人の歌が近いのではないかと思います。 (Googleで「鼓腹撃壌」で検索するといくつか出てきます) あらすじは、古代の優れた帝王堯(ぎょう)が、 自分の政治がうまく行ってるか、お忍びで出かけたところ、 のんきに「帝王なんか関係ない」という歌を歌っていた 老人がいたので安心した…ということです。
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- sophia35
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おはようございます! うーん・・・漢詩は好きなのですが、こう言う訳はちょっと覚えが無い・・・(役立たずですね(汗)) でも、この訳と先生の「僕もこういった生活を送りたい」と言うお言葉で、これかなぁ・・・と思い立ったのが、白居易の重題(かさねてだいす)でしょうか。 内容は 日高睡足猶慵起 ひたかく ねむりたりて なおおくるにものうし 小閣重衾不怕寒 しょうかくに しとねをかさねて さむさをおそれず 遺愛寺鐘欹枕聴 いあいじのかねは まくらを そばだててきき 香爐峰雪撥簾看 こうろほうの ゆきは すだれをかかげてみる 匡盧便是逃名地 きょうろは すなわち これ なをのがるるのち 司馬仍為送老官 しばは なお おいをおくるのかんたり 心泰身寧是帰処 こころやすく みやすきは これ きするところ 故郷何獨在長安 こきょう なんぞ ひとり ちょうあんにのみ あらんや 私訳 お日さまもえらく高く昇って、目が腐る程寝たって言うのに、起き上がるのもだらしい(から寝てよっかな) 部屋の奥の狭い中二階で寝てる上に、布団だってちゃんと二枚重ねにしてるから、ちっとも寒くないもんね♪ (ま、わざわざ起き上がらなくても、外から聞こえる)遺愛寺の鐘の音は、枕をちょっとななめに傾けて聴いたりすればいいし、香爐峰の雪は(寝転がったまま)すだれをちょっとだけ上げて眺めたりしてみるんだよ。 (いや、まったく)爐山と言うところは浮世のしがらみ取っ払って、隠者として過ごすに格好の場所じゃないの。司馬(と言っても辺境の警護だけどさ)の官職も、老いてからの役職としたらなかなかのモンだよ。(それにしてもココは良いなぁ)身も心も穏やかに過ごせる場所が、「安住の地」ってもんだ。何も故郷は長安に限ったモンじゃないさ。 ・・・ってところでしょうか(苦笑) もっと専門家の方がご回答されるかもしれませんが、ご参考の目安に加えていただけたら幸いです。
お礼
御教授ありがとうございました。どうやら昔の記憶がゴチャゴチャになっているようで、「君主様の御威光」というキーワードでは、もう一人の方が教えていただいた「鼓腹撃壌」の方が、そうなのかも知れないなっとも思えますし、「こきょう なんぞ ひとり ちょうあんにのみ・・」のくだりは記憶にあるし、人生感としては白居易の重題の方が、あのときの古文の先生が言いそうな詩だな・・と感じております。もしかしたら両方を習っていて、勝手に頭の中で創作した記憶なのかもしれません。 今後とも、よろしくお願いいたします。
お礼
御教授ありがとうございます。「君主」が「帝王」だったのと、歌を詠んだ人が、その老人を見かけた状況が、少しだけ記憶と違っていましたが、この歌で間違いないと思います。 でも、「人生感」を歌ったものではないようなので、どうして、当時の先生が「このような人生を・・」と言われたのか、或いは、単に私の記憶違いなのか、新たな悩みができてしまいました。 これからも、よろしくお願いします。