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戦国時代の大器、長宗我部信親の謎と活躍に迫る
- 戦国時代の未完の大器、長宗我部信親について、彼の逸話や実際の行動、活躍について探ります。
- 信親は父親の死後、切腹しようとしたり神社に八つ当たりしたりするなどの奇行を見せましたが、彼の行動からはすごい才能を感じさせます。
- その一方で、信親の活躍の中でも特筆すべきは、加藤清正との一騎打ちや戸次川の戦いにおける彼の号令の元に四国勢が一致団結したことです。
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信長が養子にしようとしたという話の典拠を知りませんが、眉唾物でしょう。信長の偏諱を与えられたことが誇張されたのでしょうか。 彼に関する信用できる史料はほとんど残っていませんので、才能に関しての実像は不明です。『土佐物語』という江戸時代の軍記物が、彼の性格などを書いていますが、『土佐物語』は荒唐無稽な軍記物で、史実としてはほとんど信用できません。 ただ、元親が嫡男として期待していたであろうことは間違いないでしょう。 戸次川で多くの家臣が彼とともに討死していることからは、家臣からの信頼がうかがえます。 1の加藤清正との一騎討ちに関してはきいた事がありませんが、ありえないことです。交戦の可能性があるのは秀吉の四国出兵ぐらいですが、清正が従軍したかは不明ですし、信親はおそらく元親とともに阿波白地の本陣にいたと思われますので、秀吉軍と戦っていません。 2も寡聞にしてきいた事がありません。戸次川の戦いの経過を見る限り、四国勢(讃岐・土佐勢)が劣勢の中一致団結した様子はありません。乱戦の中一人が叫んだところで聞こえるとも思えません。逸話としてあまり信憑性がないように思えます。
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- shirouuda
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すっきりもすっきり、腹の中を一掃してあげましょう。 江戸時代には、当然、「実証史学」とか、「歴史の捏造はいけない」なんて考えもありません。 そこに、大名の、先祖を持ち上げたがる封建主義的な思潮、 さらに、大衆を客とした歴史のエンターテイメント化の流行、 などなどで、誇張や創作が横行しました。 大名家では、先祖を祭り上げる「家譜」。 さらに、「軍記物」。 武将のおもしろい逸話の多くは創作だったのです。 ちなみに、今日の歴史学者の書物の多くが「おもしろくない」のは、 「おもしろい」ネタの多くが研究するに値しない、江戸の創作に過ぎないからです。 多くのおもしろい逸話=歴史学者に門前払いされるような創作 まっ、 軍師や忍者が活躍して、陣形が役にたち、信長や秀吉が恐れる人物が登場するモノは創作と判断して、ほぼ間違いないでしょう。 あと、信長の常備軍とかもウソです。上杉・武田の川中島の戦いは5回とも旧暦の農繁期にかかっています。戦国大名は農繁期も普通に出兵できています。 また、一領具足なんて、名主(小規模地主)の出兵は、織田家でも一両、上杉の地下槍、武田の軍役衆、等々、どこででもありました。どうも一両または一領は当時の普通名詞であり、今日の歴史学者では軍役衆がよく使用されるようです。
お礼
そうなんですよね、私も一領具足!!! ・・と、言われても、当時、普通じゃない? くらいの認識です、一領具足は 強く士気が高かった・・などなど、話になれば それはまた別の話ですし 歴史本を読むと!後の創作!!・・でも!信じたい!・・嘘だけど ・・の、ジレンマの連続ですよね ロマンを追い求めるべきか・・ 冷静に、史実のみを探求するか・・ どっちも、ロマンなんですけどね
- あずき なな(@azuki-7)
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父親の元親譲りの勇者だったようです 元親の茶釜の蓋の逸話は知ってますよね? 息子が死んだら父親は 切腹しそうになる 八つ当たり 無気力 別に息子が勇者じゃなくても親としては当然では? むしろ元親はそういう性格です 父の国親が女々しい奴 と罵りながら結局は「土佐の出来人」となったわけですから 決して信親が突出していたというわけではないと思います むしろ弟の宮内少輔盛親の方が私は大物な気がしますよ ちなみ戸次川のとき号令をかけたのは 従兄弟の吉良親貞と言う説が有力です 信長は本当に信親を養子にしたかったのでしょうか? 息子の信忠は少なくとも信長が自分の息子で唯一家督を譲って良いと思わせた器量人です (別に信忠が長男だったから家督を譲ったわけでは無いようですね) まぁ 凡人以上であったのは確かかもしれません
お礼
あれ?吉良親貞ってその時期生きてましたっけ? 四国統一直前で、病没してたと思ってました 彼は優秀ですからね~号令も納得です
お礼
いやいやいや、さすがに清正公との一騎打ちは信じてませんよ あの時代、大将自ら、槍を取るのは恥ですしね、そこからも後世の創作と思えます 号令!と言っても、彼の大音声・・と、言うわけではなく 彼の元で、四国勢が、何度か島津勢を、追い払った ・・と、言う逸話です、死兵でしょうから、実質的な 信親の実力かは、判断が難しいですが これは敵方の、島津の文献にあるみたいなので 案外本当かもしれません・・だが、本音は・・分からん・・ なのですけどね