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お金ってなんでしょうか?

違うカテでも質もしましたが、哲学的だなと考えたのでこちらのカテでも同様に質問です。 みなさん、お金ってなんだと思いますか? 色々な話を見聞きしましたが、お金にこれだけ価値が集まっている背景を知りたいと思います。 お金は交換を促すためのツールであったはず。 もともと金との交換価値を背景に信用を保っていたはず。それが金本位制をやめた時点でも価値は変わらず、むしろ国がいくら刷ろうが価値が高まっているように感じます。 この背景には何があるのでしょうか?

みんなの回答

回答No.10

人類の社会生命化(分業化・組織化)において、あなたの身の回りの 物を見ても分かるように、個人の生は世界中の人々の営為に依存 して成り立っており、社会とは助け合う為に集まったものなのです。 つまり、労働とは本質的に助け合いであり、社会生命として生きる事 自体=根源的な喜びの源泉であるべきものなのに、現実には、 お金をもらうためにイヤイヤ働き、助け合っているはずの社会で争い、 奪い合って、できたらお金をためて何もしなくてすむようになりたい、 という逆志向の行き方に歪めているものなのです。 原始共産制の助け合いから組織が分業化&拡大する上で、そうした 自己の生命性の環境への拡張をフォローする認識を発達させる労を 惜しみ、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった “馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道を とったのです。 貨幣制に基づく資本主義社会は拝金主義を蔓延させ、自由競争の 名の下に目先の即物的利益を奪い合い、その結果として生かされる という、弱肉強食のジャングルにしてしまったのです。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的 拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする 認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するの ではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね 備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが 最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは物質的豊かさのためではなく、精神的 充足感のためであり、人が働くのはお金のためではなく、助け合い= 愛のためです。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれ ほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という 虚構の価値であって。 お金は、本来助け合うために集まった社会において、自己チューな 意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したもの なので、当然、真の自由意志を束縛する機能があります。 要するにお金という「馬車馬の目隠し」によって人は、自ら喜び(自己 存在の本質に根ざした生)から目をそむけ、本来、死による±0の 充足量から、プラスを目指して生きているはずが、いつの間にか、 他律的生=「苦痛(マイナス)から逃げる事による死人に近い生」に 堕しているのです。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 >精神的充足感のためであり、人が働くのはお金のためではなく、助け合い=愛のためです。 共感です。 >するにお金という「馬車馬の目隠し」によって人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)から目をそむけ、本来、死による±0の充足量から、プラスを目指して生きているはずが、いつの間にか、 他律的生=「苦痛(マイナス)から逃げる事による死人に近い生」に堕しているのです。 なぜ、自ら喜びから目をそむけたのか?それが知りたいポイントです。

noname#194996
noname#194996
回答No.9

お金(おかね、貨幣)は本来物々交換の時のそれぞれの価値の比較の面倒さをやわらげるために発明された、単なる共通の代用品つーかクーポン券のようなものだったので、本来価値の記憶媒体でしかないものです。でもユダヤ人が金貸しで利子を取ってそれ自身を商売にすることを確立してからは金(かね)そのものが価値を生み出して一人歩きして世の中に貧富の差を作り出しました。レバレッジとかFXとかいう金が金を効率的に創成するあやしい世界組織をみると、はたして世界にはそこに存在する実質の富の何倍の金(かね)が出回っている(というより彼らの貯金通帳に記載されているのか)のか、誰にも分かっていないままルールもなく勝手に積み増され続けているのではないでしょうか。恐ろしいことです。何らかのきっかけでその虚構性があばかれて、いつか超リーマンショックが起こったら、世界はあっという間に破滅してしまうでしょう。 イスラム世界では金を動かして儲ける(利子を取る)ことを禁じているそうですが、土地の私有禁止などとともに真剣に考えてみるべきまっとうな生き方に通じるように思います。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 なぜ金祖物が価値を生み出して一人歩きできたのか?これが知りたいポイントです。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.8

お金が何かというと、紙と金属片と、預金通帳のインクです。 実在する金や、物理的資産よりも、はるかに多くのお金が出回っているように思いませんか。 もしかしたらもうご覧になったかもしれませんが、 Money As Debtという動画に興味を持たれるかなと思いました。けっこう有名らしいです。 http://www.youtube.com/watch?v=iqlxMp3dR7Q

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 この動画は見たことがありませんでした。 この詐欺行為をなぜこれまで世界中で許容し続けているのか?それが知りたいです。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.7

何かと交換せずとも数えれば数えるほど楽しくなる(自慢?)もの? 銀行の人が札束を扇子みたいにして数えてますね。 あれ自分では一回しかしたことありません。 ささやかな庶民のお金の楽しみとして おつりをなるべく少なくするのって気持ちがいいことに最近目覚めました。 例えば2572円の買い物をしたら3122円払って 「550円」の2コインおつりを貰う。 空間の節約と財布の負担が減る。←哲学は逆説も真なりで「したり顔」が出来る!

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 たしかに数えれば数えるだけ楽しくなる(笑)

noname#215306
noname#215306
回答No.6

貨幣はただの数字という幻だともいますけど、、 移動手段が限られていた古代から、ある部分では貨幣は、 必要な役目ではあったのでしょうけど 実質的にもヒコーキ・24時間で、地球の裏側にも行け、ネットでは グローバルに一瞬に処理出来る時代、、貨幣の不要に気付けず、 逆に肥大・更に複雑化していくというのは、愚の骨頂ではないかな?とも・・・ > この背景には何があるのでしょうか? ただの数字に意味・価値を与える事の蔓延でしょうかね? > お金は交換を促すためのツールであったはず。 それは昔の話で、逆に、真の需要・供給の、自然な物流を酷く阻害している 悪弊の部分が深刻なのでは?と・・・ 霊感商法などが些細な事のように思えるというか?、、貨幣制度自体が 根本的な霊感商法のオカルトといえるんじゃないでしょうかね? 質問で求められている視点とは、ずれてるかもしれませんが・・・

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 >貨幣制度自体が根本的な霊感商法のオカルトといえるんじゃないでしょうかね? これは、なるほどですね。 銀行の成り立ちからして、詐欺ですからね。FRBの成立なんか笑ってしまいますから、霊感商法と言えば、そうかもしれませんね。 ただ、それをなぜ世界中で信じてしまったのか?それが知りたいですね。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.5

お金は、交換しやすいために作られたツールですが 他の方が書いてあるように価値は下がっています。 哲学に書かれていると言うことで、そこから見ると人がお金を重要視することが高まってきているのはあると思います。 ただ、マスコミなどが騒ぐので重要感が強くなっている事と、日本人の生活力が落ちているのと 贅沢に慣れてしまっているので重要視してしまうのだと思います。 今のお金の価値は、国の信用が基本背景です。 国が経済破綻をせず、紙幣が紙くずにならないことがお金の価値とされます。 個人的には、日本には当てはまって無い気がします。 タンス預金が、日本のバックボーンですからね。 日本は法律で、一定以上のお金を流通させることができない仕組みになっています。 だから国債発行などして、先送りにするのですが。 国債の買い手も、殆どが日本国内だけです。 その事実をかんがみて、他国は日本国民に購買力があるとし むやみに増刷できない仕組みと併せ持って、円の価値が上がってしまっているのも一つだと思います。 他国は他国で決まりごとがありますが、むやみに増刷した国はハイパーインフレとなり 手を打たないでいると、その国の通貨が紙切れになります。 アフリカで独立後、そんな国がありました。 もっと経済として詳しい話しが聴きたいのでしたら、経済学のカテが適切だと思います。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。経済的な背景や仕組みは理解しています。 なので、感情面や人間の本性として、お金を目的にしてしまった背景を知りたいと思っています。

noname#182794
noname#182794
回答No.4

この背景にあるのは、深刻な税収の減少でしょうね。 いままでの税務署は、弱いものいじめという、あくぎょうを 働いてきましたが、それが良い結果を生まないことに、 いまになって気が付いたのでしょうね。 それであわてて、お金を大量に増やして、いずれ税収として 回収しようという狙いではないでしょうか。 ばかは、ばかのままではないぞ、という意気込みと 反省が込められた顕れではないでしょうか。

koiprin
質問者

お礼

面白い回答ありがとうございます。

回答No.3

>もともと金との交換価値を背景に信用を保っていたはず。それが金本位制をやめた時点でも価値は変わらず、むしろ国がいくら刷ろうが価値が高まっているように感じます。  逆だと思います。 価値は、下がって行くように感じます。  インターネットで検索したところ、明治30年の物価は今のおおよそ20,000分の1だそうです。 http://manabow.com/zatsugaku/column06/2.html  「お金の重要性が高まっていく」と言う表現をするのなら、全くその通りだと思います。 二世代ほど前は古いタイプの共同体で、生活に関わる財・サービスをまかなっていたと思います。 しかし、現在では生活に関わるサービスのほとんどが、専門の業者によってお金で賄われるようになったと感じます。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうなんですよね。お金の重要性が高まっていますよね。そして、お金が目的になってしまっている人があまりにも多くなってしまった。それはなぜなのか?これを知りたいんですよね。

  • tibatto
  • ベストアンサー率24% (40/161)
回答No.2

ただの生活習慣だと思います。本当の問題は、他にあると思います。一方的に儲けて構わない仕組みを変えないと救われないと思います。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 一方的に儲けることは可能でしょうか?

  • kool_noah
  • ベストアンサー率33% (95/285)
回答No.1

お金で買えるものってものすごい数があるわけで。 仮にそれをお金以外のもので支払う事になったときに何を対価にしますか? 高性能な車とかってなると、結構、大事なものを対価として出さないとですよね。 でも、大事なものは出せないから・・というわけでお金を身代わりにというわけですよね。 なので、ちょっと大げさにいうと、大事なもの=お金とおなじだけの価値があっても不思議じゃないですよね。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 大事なもの=お金と同じだけの価値ならよかったんですが、お金のほうがよりありがたがられているのはなぜでしょうか?

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