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花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど
この林芙美子の言葉には「多かれど」とは何の語ですか? 一体このフレーズの後部を解読して下さい。お願いします。 拝具 ミシャくん、ロシア
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こんばんは、この言葉は林芙美子が色紙を頼まれた時に好んで使った言葉とされていますが、この文章は林芙美子が同時代に文筆活動をしていた村岡花子に贈った詩の一節とされていました。近年その全文が発見されましたので、ご紹介がてらお話しをさせていただきます。 【全文】 風も吹くなり 雲も光るなり 生きてゐる幸福(しあわせ)は 波間の鷗のごとく 漂渺とたゞよひ 生きてゐる幸福は あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる 花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり 以上がこの言葉を含む詩の全文です。詩の言葉ですから野暮なことは申しません。林芙美子の言葉を「感じ取って」ください。 彼女の言葉を現代の口語に訳してみます。 風も吹いている そして雲も光っている そうした自然に目を遣りながら 生きてゐる幸福(しあわせ)が一体、どの様なものかと思いを巡らせてみるならば それは恰も波間に浮かんでいる鷗のように ただ漂渺と漂っているようなものでしかないことに気付いてしまう 生きてゐる幸福の意味を あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる 人の名声や一生などというものが野辺の傍らに咲く花にも似ていて 世間の脚光や注目を浴びている時はほんの短い間でしかなく それに比べれば人の一生涯は辛く苦しいことの方が多いということを けれどそれでも 風も吹いている 雲も光っていることには かわりはない だから私は人をいとおしく思う 以上がこの作品の意図する部分です。 「多かれど」は一つの単語ではなく形容詞の「多し」に接続詞の「ど」が接続した形です。この文章で使われている言葉は現代語とは少し異なる「古語」と呼ばれる平安時代頃から明治時代以前までは日常的に使われていた言葉で、人によっては明治自体以後の1945年以前までは使っていました。
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- CC_T
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「何の語」=「どういう意味」 ですね。 「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」 の一部ですね。 「花の命は短くて、苦しい事ばかり多いけれども、風の吹く日も、雲が輝く日もある」 つまり、「苦しい事が多いと感じても、苦しい事ばかりではなく、嬉しい事、楽しい事もあるものだ」、という歌です。 「多かれど」は、「多い-けれども」という意味。 русскийでは 「Существует много страданий. Тем не менее, есть и веселый день.」かな?(Google翻訳)
お礼
CC_Tさん、あなたの説明をどうもありがとう! 分かりました。
「多かれど」でなく、「多かりき」では? 外国の方と推察しましたが、「何の語ですか?」の「何の語」とはどういう意味ですか?
補足
僕に見つかった文章には「多かりき」なく「多かれど」と書かれますが。 Mike_G さんの質問は分かりませでした。
お礼
有難う御座います!