国語的な単語としての意味を確認しておきましょう。
【帰納】
個別の特定の事実や、数々の命題の中から、そこに共通する傾向や関係性を抽出し、広く一般的な命題や法則を導き出すこと。
【演繹】
様々な前提を元にした論理的な共通性や規則から、必然的な結論を導き出すこと。一般的な原理・原則から、確実な予測や事実を導くこと。
帰納法や演繹法は、上記の意味に従った、未知の事象について結論を予測する手法です。
「帰納法」では、個別の詳細な事実を積み重ねていって、全体の命題や法則を得ようとする方法ですが、どんなに事実を積み重ねても、例外や想定外の事象までをも想定できない、という欠点があります。
例えば、猫が11匹いて、「ネコ1はネズミを追った」「ネコ2もネズミを追った」・・・・「ネコ10もネズミを追った」という条件があったとして、だから「ネコ11もネズミを追う」と結論づけるのが、帰納法のやり方です。
多分、ですが、かなりの確率で、ネコ11はネズミを追うでしょう。
11匹中、10匹までがネズミを追ったのですから、ネコとは、ネズミを追うものだ、と誰しもが考えるでしょう。
これが、世間一般常識的に知られている、帰納的に導かれた、ネコの性質に対する一般概念としても浸透しています。
しかし、もしかしたらネコ11は、シレっとしてネズミを追わないかもしれないのです。
つまり、帰納法とは、正しい結論を集合させて、予測される事象の蓋然性(「がいぜんせい」=確からしさ=起こるだろう確率のこと)を示すだけに過ぎず、例外を想定出来ない点で、間違いの可能性を孕んでいる事に注意せねばなりません。
これに対し、
「演繹法」では、既に正しいと証明された事実を前提として、個別の事象の予測や事実を導くので、前提が正しければ、結論も正しくなります。
例えば、演繹法の最も単純かつ明快な方法として、三段論法があります。
「生き物は全ていつかは死ぬ」、「人は生き物である」「だから、全ての人はいつか必ず死ぬ」。
これは、1番目と2番目の条件が正しいため、3番目の予測や事実が成り立っています。
三段論法に限らず、演繹法は、一般的証明や事実を用いて、個別な事象を確実に予測できます。
余談ですが、帰納法の欠点が、如実に現実のものとなり、多くの犠牲者を伴った事例が最近起こりました。
「原子力発電所は、バックアップ電源がある限り、絶対に放射能漏れ事故は起こさない」
「海岸にある原子力発電所には、過去の記録に基づき、十分な高さの防潮堤が設置されている」
「過去数百年間、その防潮堤を超えるような津波は発生していない」
「だから、原子力発電所は海岸にあっても安全である」
この原発安全宣言は、まさに帰納法に依っていたのです。
これに対し、貞観津波の記録を知った東北の大学の教授などの一部の研究者は、警告を発し続けていました。
「貞観地震の時代の地層には、沿岸5km程度まで砂の地層がある。」
「砂の地層は、津波が運んだものと考えられる。」
「その場所まで到達する津波は、波高数十メートルにも及ぶ。」
「もし、その程度の津波が発生すれば、現在(当時)の防潮堤の高さでは、それを防ぎ切れない。」
「一部の沿岸沿いの原発の補助電源装置は地下にあり、それが水没の恐れがある。」
「だから、それらの原発は津波に対し脆弱で、危険だ。」
この予測は、まさに、演繹法に依る結論です。
しかし、国や電気事業者は、「有り得ない」としてそれを黙殺したのでした。
そして、現実は、皆さんのご存じの通りです。