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フラフラとヘトヘトの違い
僕は韓国人の日本語学習者です。こんばんは。 《肉身がふらふらするほど疲労したときにのみ、精神は銀貨のように澄みます。》 これは韓国小説の『翼』の日本語訳(日本の方)ですが、 体を支えるだけの気力がないほど疲れきった意では、フラフラ、ヘトヘトのどちらが良いでしょうか。日本人の感覚として。 また、「肉身や疲労(原文では)」ではなく、身体や疲れるを使って、 《身体がヘトヘトになるほど疲れきった時にのみ[時にだけ]……》……これは僕の訳ですけど、自国語を外国語に翻訳するのは難しいですね。 ややこしい質問になりますが、よろしくお願いいたします。>゜))))彡
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フラフラは揺れる状態を表すので、体を支えるだけの気力が無いほど疲れきっている状態には当てはまらないでしょう。 ただ、その疲れきった状態の結果、体が揺れるような症状になれば、ヘトヘトに疲れてフラフラする、という言い方はあります。 1本芯の通っていない人生や生活を送っている人にも、フラフラするな、とか言います。 学生が進路を考えていて、色々な方向性を考えては元に戻りを繰り替えして脳が疲れたら、フラフラ考えてヘトヘトに疲れた、とも言えます。
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- thegenus
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補足有り難う御座います。 当方の端末が受け付けずせっかくの韓国語の原文が拝読不可能なのです。漢字が共通語になれば幸いです。 悪意の皮肉がまさに重言です。 どんな日本語の小説も翻訳できるとおっしゃる質問者さんはひょっとしてプロの方なのでしょうか。私は韓国語が出来ないからフラフラに相当する韓国語があるかお尋ねしたのです。悪意も何もありません。韓国語を知らないのです。 有名な文学賞に縁が薄かった太宰治はどうも「くたくたに疲れて」の表現が好きなようで幾つもの作品の中で使っています。 そのどれもが塞ぎ込んだ精神状態を語る前の文として用いられています。くたくたもへとへとも大差ありません。ですからご質問のクタクタをフラフラの代わりに用いるのが妥当かどうかの参考になるでしょう。 既出の「女生徒」を手打ちで「」内に引用します。誤字等はご容赦下さい。 「両方の脚が、くたくたに疲れて、そしてもう何もしたくない。」 何もしたくないくらい厭世的な気分は精神的に良い状態ではありませんよね。 そしてこのくだりは次のように結ばれます。 「いろいろ醜い後悔ばかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう」 続いては「貨幣」から引用します。 「もう私は、くたくたに疲れて、自分がいま誰の懐の中にいるのやら、あるいは屑籠の中にでもほうり込まれているのやら、さっぱり見当も附かなくなりました。」 屑籠の中で訳分からなくなっているのですから精神は清々しくありませんよね。 「くたくたに疲れて」から、「精神が銀貨のように澄む」という芸当は、日本人には無理だと思います。身体のみがフラフラというのであれば、見た目はフラフラでも精神だけは冴えているとの設定も無理ではありません。共感できるものだと思います。 一方、日本人が読むための日本語「へたへた」と「くたくた」は気力のなさをも訴えるような日本語なので同時に精神状態を肯定すると日本人には妙な流れの前衛芸術に感じられてしまうと思います。 「澄む」は「光る」ではありません。透明の意味です。それは認識されていらっしゃいますか。 「銀貨のように透明」というのも日本人にはかなり前衛的なのです。 そんな表現が全ての韓国にとってごく当然なのであれば、誤解のないように、意訳としての日本語も全ての日本人が納得できる表現にされて、当然の表現部分は互いに当然の表現であるべきです。
- thegenus
- ベストアンサー率49% (330/673)
アンニョンハショムニカ。日本語勉強中の日本人です。 平仮名が宜しいと思います。 へとへとは強い疲労を意味しています。へたばって、ひれ伏してしまうニュアンスです。 くたくたも強い疲労の事で、しゃきしゃきの反対であり、ふにゃふにゃのニュアンスです。 へとへとは疲れ切ってるの意味だから、「切った」は要らず「疲れた」で十分お釣りが来ます。重言は出来るだけ少なくすべきです。 「ふらふら」は疲労に限定されません。「へとへと」だと気力もないので精神活動全般も低下するのが自然です。 原文は、まず、身体が安定しないほど疲れたと言っています。精神の疲労には触れないから、精神が澄むと文を続けられるのです。ふらふらしている身体だけが疲労状態にあって、精神はむしろ最高にすがすがしい状態にあるという趣旨だと思います。 そもそも「ふらふら」という韓国語があるのでしょうか。たまたまそうなった「ふらふら」の翻訳に便乗して「へとへと」にまで派生して行くのは悪乗りだと思います。へとへとの精神状態でも精神が澄むというご主張ならばあなたの訳で問題ありません。 原作の問題は「銀貨のように澄む」ですね。韓国にどんな銀貨があるのか知りませんが国際的には、光を通さないのが金属の特徴だと思います。
補足
<육신이 흐느적흐느적하도록 피로했을 때만 정신이 은화처럼 맑소.>…これが韓国小説<날개>の原文ですけど。 アナタの回答はなんか喧嘩腰だな。自分の日本語勉強が間違っていなければアナタの文章には悪意の皮肉が感じられる。で、敬語は抜きにする。ヘトヘトの意は大体解っておる。「もうヘトヘトだ」を<이젠 흐느적흐느적한다>とも訳せるから。No2 さんのご教示の「両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない」を<양쪽 다리가 흐느적흐느적하도록 피곤해서 이젠 아무 것도 하고 싶지 않아>とも訳せるので良い回答だと感心する。 …銀貨が光るかどうかは問題ではない。銀貨のように清らかな精神と云えば韓国人には文学表現としてちゃんと通じるからアナタの言うことは余計なお世話。あと、悪乗り云々するが、僕は日本のどんな小説だって韓国語訳ができる。これは日本語をある程度解ってるってこと。アナタは日本語の韓国語訳出来ようか。これから回答するときは相手の質問をよーく読んでからすべし。…売り言葉に買い言葉ってよく云ったものだ。
- sayuliy
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こんにちは。 ヘトヘトは疲れたときにしか使いませんがフラフラは疲労とは無関係です。 コーヒーカップなど。
お礼
そうですね。集英社の国語辞典に「ふらふらに疲れる」という例は出ているものの、僕もなんかふらふらにはメマイとかが感じられ疲れの強度はあまり感じられませんでした。ご回答ありがとうございます。(*^。^*)
- kine-ore
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・身体が疲労困憊に極(きわ)まった時こそ、精神は燻(いぶ)し銀のような耀(かがや)きを発し始めるでしょう。 ・全身がクタクタに疲れ切ったその時をまって、精神は銀鈴(ぎんれい)のように澄んだ音を奏(かな)で始めます。 参考:太宰治「女生徒」 「両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない。」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html
お礼
僕も太宰治さんが好きです。簡潔明瞭な文体なので、「人間失格、斜陽」は、日本語教材として用いています。女生徒も追加しました。 ご回答とても参考になりました。お陰様で、 「身体がくたくたに疲れた時にこそ、」…これが原文の意に一番近いのではないが、と思うようになりました。あとは、もっと考えてみることにしました。これも日本語勉強ですので。どうもありがとうございました。(^_-)-☆
日本人が聞いた時に、「ヘトヘト」は肉体的疲労だけでは無く、精神的疲労や、大脳の疲労を伴っている様に感じます。 「フラフラ」は、疲れや病気、薬の使用、その他の理由で肉体が正常なコントロールを失っている事で、どちらも体の平衡感覚(へいこうかんかく)や機敏(きびん)な動作を失っている事は同じですが、気を使って(あるいは勉強や仕事に精を出し過ぎて)疲れた場合は「ヘトヘト」で、質問に有る様に精神的には正常で肉体のみが疲れた時は「フラフラ」がより自然に聞こえると思います。 ちなみに肉体は正常で、心だけが疲れた時もやはり精神の疲れと言う意味で、「ヘトヘト」の方が良いと思います。
お礼
生き残るため、湯婆婆との面接のあと、千尋はこう言います。「足がふらふらするの」…これは恐怖感からくる精神作用で、韓国語では후들후들,or 부들부들といい、흐느적흐느적とは言いませんので、質問をすることになりました。 解りやすいご解説ありがとうございます。でも、まだしっくりしないのです。 身体がひどく疲れた時にこそ、頭が澄んだ水のようにすっきりしてくる、といったパラドックス的な小説表現ですので。……(=^・^=)
お礼
>ヘトヘトに疲れてフラフラする。너무 피곤해서 흔들흔들한다. そうですね。これなら完全納得です。 >1本芯の通っていない人生や生活を送っている人にも、フラフラするな、とか言います。 韓国でもこういう表現をします。ご回答、どうもありがとうございます。困ったとき、またお願いします。(*^。^*)