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東京府管下小笠原島に散在する三島の所属と名称の定め方
- 明治時代において、東京府管下の小笠原島に散在する三つの島の所属と名称が定められました。
- これらの島々はかつて無人島とされていましたが、最近では内地の人々が漁業や坑業などに従事するために渡航する者が増えています。
- そのため、行政上、これらの島の所属と名称を定める必要が生じたとされ、大東島と魚釣島が沖縄島に、そして小笠原島に属すという内務大臣の請議が通り、勅令として公示されました。
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現代語訳、法律用語的なものをなるべく避けて書いた。 東京府の管轄下の小笠原島の付近にある三つの島を小笠原島に所属させてその名前を決める。1891年8月19日 閣議決定(全) 別紙の農商務大臣からの付箋の趣旨もありますが、明治18年の大東島ともう1つの島を沖縄島の所属と決めて処理したのは、当時既に大東島等の名称のある島々を実地調査して、内務大臣から太政大臣に(沖縄島の所属とするように)具申されたのでそうしただけであって、(別紙の農商務大臣からの付箋にある)内務大臣の請議の要旨は、これらの島々は従来無人島だったので、その所属名称を決めなくても行政上何も支障はなかったが、最近内地の人々がそれらの島に渡航して漁業や鉱業に従事する者が多くなってきて、行政上その所属名称を決める必要がでてきたので(そうしたのであって)、この大東島の調査報告の事例を(今回の件の)先例とすることはできないので、請議(農商務大臣からの付箋)にもある通り勅令でその所属名称を決めるのが適当と考えます。 勅令案 (下記)提案の通り 付箋 本案の内務大臣の請議による島々の所属名称に関する件を考慮すると、この3つの島々は所属未定の無人島であることは明らかで、他との係争もないから、現在特に小笠原島に属することを公示する必要はないだけでなく、このようなことを勅令によって公示するのは大変不適当な感じがするので、初めから小笠原島に所属しているとみなして、明治18年に所属未定の大東島と魚釣島を沖縄島の所属とみなした例に倣って、東京府知事から内務大臣に伺いを建てさせて、それらの島々に名称を付けるのが適当と思います。 勅令第190号1891年9月9日(全) 東京府管轄の小笠原島南南西沖、北緯24度0分から同25度30分、東経141度0分から同141度30分の間に散在する3つの島々を小笠原島の所属として、その中央にある島を硫黄島、その南にある島を南硫黄島、その北にある島を北硫黄島と名前を付ける。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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一部「文字バケ」をしてしまいましたね。 明治24年8月14日 農商務大臣 陸奥宗光(むつむねみつ) です。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 東京符下(東京符に属する)小笠原島近傍(きんぼう=小笠原島付近)散在する三島(三つの島)を小笠原に属し(所属させて)その名称を定める。 1891年8月19日 閣議決定 別紙(のように)農商大臣について付箋(注意を促す箇所)の趣(おもむき=趣旨)が有りますが、、 明治18年、大東島外(ほか)一島を沖縄島の所属と見做し(みなし)、処分(そのように決定)したりというのは、当時、すでに大東島等の名称として呼んでいる島嶼(とうしょ=大小いくつかの島)を実地踏査(実地調査ヲをし、内務大臣よりこれを太政大臣に具申(申し上げる)したるに過ぎず、 然るに(しかるに)、別紙内務大臣請議(訴えている)の要旨(主旨)は該(該当する)島嶼は従来無人島にして、 その所属(や)名称を定めるも行政上毫も(ごうも=少しも)差支えを見ざりしか(差支えがみられない)、 近来(最近)、内地(の)人民の該島(その島)に渡航し、漁業抗業(漁業や石炭などの採掘)等に従事する者、追々(次第に)増加し、 隋て(したがって)行政上其(その)所属名称を定める必要を生じたということで、 大東島の踏査報告の事例をもって、先例となすことを得ず(今後は先例とはしないが)故に、 請議(請願の議案)のとおり、勅令(帝国議会の協賛を経ずに天皇によって制定された命令)を以て(もって)、 其の(その)所属および名称を定められることが可然(かぜん=必要)と認める。 勅令案 呈安(提案)の通り 付箋 本案内務大臣請議に係(かか)る、島嶼(の)所属(および)名称に関する件を案(提案)するに、 この三島嶼(三つの大小の島々)は実際は所属未定の無人島なること明か(あきらか)なりと雖も(いえども)、 他より争うこともなく今日において、特に小笠原島の所属となすことを公示する必要がないのみならず、 斯く(かく=このような)如き(ごとき)を勅令によりて公示することは、 甚だ(はなはだ)不穏当なき(不適当ではない=適当だとは)能はず(あたわざる=ふさわしくない)、 寧ろ(むしろ)初めより小笠原島の所属たりしものと見做し(みなし)、 明治18年中(明治18年においても)所属未定なりし大東島および魚釣島を沖縄島の所属とみなしてしたる例を倣ヒ(ならい=沖縄島とみなした例にみならい)、 東京符知事より内務大臣を経伺(内務大臣をへておうかがい)して、その島嶼に名称を附せしむ(ふせしむ=付ける)に若かざる(かくかざる=このようになること)を信ず。 明治二四年ユ月一四日 農商務大臣陸奥宗光(むつむねみつ) 勅令第190号 1891年9月9日(全) 東京符下(の)小笠原南南西沖、北緯24度0分より同(おなじく北緯)25度30分、東経141度0分より同(同じく東経)141度30分の間(3eq@)に散在する三島嶼(三つの大小さまざまな島)を小笠原島の所属とし、 その中央に在(あ)るものを硫黄島と称し、その南に在(あ)るものを南硫黄島、その北に在(あ)るものを北硫黄島と称す(こととする)。 以上のようになると思います。
お礼
回答ありがとうございます。読み方までつけていただいて本当に助かりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。とても分かりやすくて助かりました。