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午前・午后と書くのは間違え?

60台半ばの年代ですが、子供のころは午前・午后と書いていました。いつ頃か午前・午後になっていますが午后の后は当て字だったのでしょうか?昔の文章には結構でてきますが。習慣でつい午后と書いて笑われるのですが・・・

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回答No.1

「後」と「后」は、どちらも「のち」の意味がありますので、古くから混用されていたようです。 手書きが主流の頃は、「後」と書くより「后」と書いた方が画数が少なく素早く書けるので、「后」の方が多く使われていたのだと思います。 それでも活字本だと「後」を使うべきところは「後」になっていたように思います(昭和初期の活字文献を見る機会が多いのですが、その経験からの印象です)。 「午後」に関しては手書きでの「午后」を目にする機会が多かったので、活字でも「午后」になっているものもあったのでは?と推測します。 で、何故「午后」が駆逐されたかですが、これはやはり「常用漢字」が定められたためだと思います。 公用文では「常用漢字」を使うこと、教育現場でもそれに準じることを、“おかみ”が定めたゆえに、「午后」の表記が消滅したのだと思います(常用漢字表では「后」には「ゴ」の読みを与えられていない)。 戦後すぐから高度成長期くらいまでは、世間でも教育現場でも、そこまで厳密ではなかったと思います。 私はもうすぐ50歳ですが、私が子供の頃でも、「午后」の表記は見たことがありましたし、いろんな略字(「属」は「尸+虫」と書くとか)を先生が板書で使っていたりと、まだバラエティーに富んだ表記がなされていました。 でも今はこの手の書き換えとか略字ががほとんど消えてなくなってしまったように思います。 今の教育現場や公用文では「《午后》は間違い」ということになりますが、私的な文では「常用漢字」使用は強制されていませんから、「午后」と書いても間違いではないと思います。 「午語」と書けば間違いになりますが、「午后」は大丈夫です。 ただ「常用漢字」に馴れきった人が多いご時世、ご経験になったように笑われたり、「間違えているよ」と指摘される機会は多いだろうなあとは思います。

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  • booter
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回答No.6

一枚噛ませて下さい。 コンピューターで変換できる/できないは、国語として間違えていない/間違えているという判断に使用するのは非常に危険です。 正しくともローカルなものについてはまだまだ登録などがされていないのが現状です。 名古屋の地名で土古(どんこ)というものがあります。これは「どんこ」と読むのが正解ですし、昔からある地名で勿論今も使われていますが、皆様のパソコン・携帯・スマホ・タブレットで変換は可能でしょうか? ちなみに私はできませんでした。 変換できないから正しくないとなると、上記の土古(どんこ)は正しくないので、正しい言葉に置き換わるべき、となるのですが、実際そんな事はありません。 コンピュータに頼った分析や判断はまだまだ解決できないものも多いです(ただ量的分析は圧倒的にコンピュータを利用した方が良い)。 きちんと紙に印刷されている辞書や書籍を基に判断した方が良いと思われます。

  • garamond
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回答No.5

御参考までに: 朱熹「大學章句」(經一章) 02 知止而后有定、定而后能靜、靜而后能安、安而后能慮、慮而后能得。 http://kanbun.info/keibu/daigaku01kei.html 十三經注疏本 http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/toho/ShiSanJingZhuShu/html/A0060062.html?1 下の画像は朱熹『四書集注』所収「大學章句」

  • Postizos
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回答No.4

広辞苑第四版には ごご【午後・午后】正午から夜の12時までの称。また正午から日の暮れるまで。⇔午前 となってますね。 コンピューターに入っている「大辞泉」では こう【后】 [音]コウ(漢) ゴ(呉) [訓]きさき [学習漢字]六年 一、〈コウ〉 君主。「后王」 きさき。「后妃/皇后(こうごう)•三后•母后•立后•皇太后(こうたいごう)」 二、〈ゴ〉うしろ。のち。「午后(ごご)」 となっています。 調べた所、后は常用漢字、学習漢字に入っているのですが常用漢字表の音訓に后の訓読みが無いのですね、音読みを「コウ」のみとして使用例を「皇后,皇太后」だけとしているのです。 http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/naikaku/kanji/joyokanjisakuin/index.html これを新聞などが拡大解釈して準拠しているのではないでしょうか。 (常用漢字には入っているので后という字そのものが何かの理由で排除されたわけではない) 字統によると「后」は「毓」の字と元は同じ物であるとのことで「継体直系の君を言う」つまり後継ぎの君主であって、「うしろ」「あと」の意味はここから来ていると解釈しています。「毓・后・後」の字を同じグループとしていますが「後」は位置関係としての「うしろ」の意味が強いとしています。 要するに「午后」も間違いではなく、お孫さんでしょうか?が習っていない知らないだけだと思います。 小学生では知らなくても良い用法ですが、高校ぐらいで知らないとちょっと困る類の字では。 なお后を肛門から来た象形と解釈すると君主の意味で「后王」「君后」などということばが使えるはずもないので明らかにおかしいことになるでしょうね。むしろ婉曲語法で、「うしろ」で肛門を表現する場合があるとぐらいに解釈した方が良いのではないかと私は考えますが。 「皇后」の表現は皇の後という解釈と女帝の表現からの変化の両方が考えられるように思います。 なお私のコンピューターの変換では午后も午後も出ます。

  • sayuliy
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回答No.3

こんにちは。 私の祖母もよく略字を書いていました。 漢字を習って分かるようになると変な字だと指摘してもいました。 卒が卆だったり、魔を广にマと書いたり。 懐かしいです。

回答No.2

私も六十半ばですが、「午後」を「午后」と教わったことも、また、表記したことも、一度もありません。 まず、「后」というのは、「きさき」と読むほかに、「尻の穴」を表します。 そして、なにより、「後」の簡体字が「后」でして、こういう中国の流れに反して、戦後、我国、日本では、概ね、このような簡体字を排する方向での学習がなされました。例えば、他にも、「坐」を排して、「座」を正式なものと認定していますよね。 昔の木版の時代ですと、画数の少ない簡体字の方が手間が省けるわけで、こういう略字がよく用いられていたのでしょうね。 「后」は、「後」の当て字ではなく、簡体字ということです。 この文章を打つ時も、「ごご」で、「午后」は出てきませんでしたよ。