禁足の対語だと思いますよ。
例えば二宮金次郎は泥棒か?という議論があるそうです。
学校に立つ二宮金次郎の像(最近は少ないですが)を見ると様々に想像しますよね?
・彼は子供である
・彼は働いている(薪を背負っている)
・彼は勉強している
これらから導き出される答えは「彼は貧しく、子供ながらに働きつつ、それでも学問にいそしんでいる」という事なのですが、ここに実は矛盾があるんです。
「彼は貧しいのであれば、この薪を産する場所に権利など保有しているはずはない。彼は泥棒なのだ」
というわけです。
ただここに「入合い山」といった、地域における共有財産が存在したという知識があれば、地域の人々が相互に利用できる山から、二宮金次郎は薪を拾ってきたのであろうと納得できるわけです。つまり良く知られる二宮金次郎像の姿に対して、整合性を以って理解が進むんですね。
そして今回ご質問の「足入」なのですが、山の権利というものは、宗教権威が保有している事が多いんです。そのような山を「禁足地」などと表現します。代表的な所では、奈良県の三輪山など全山が三輪明神の管理下にあり、何人たりとも足を踏み入れることができなかったんですね。
そのような禁足の山とは反対に、入山における権利の所在が曖昧であり、かつ、地域共有の財産とされていた山が実際には存在しております。そのような場所が「足入」と表現されていると読み取れます。
これを踏まえて「此所 足入 沼也」を平易に読み解けば「ここは権利未確定で出入り自由な場所ですよ。ただし沼ですから財産価値はきわめて低いですよ」そして「足入也」は普通に「権利未確定地なり」といった感じになろうかなと思いますが。
四十間や所によって2~30間などの表現も見えますからね。中世を中心に、租税を課す土地の単位に「間」が使われます。ですから「足入」の詳細を「間」という単位で表現していることから、租税計算に利用できるような基準を念頭に入れた土地面積の説明文であり、ここで説明された土地の性格は「足入」(権利未確定地)ということで…
お礼
okormazdさま 回答ありがとうございます。 「この場所は沼があって入れない」 と言うような感じなんですね。 よく分かりました。ありがとうございました。