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江戸時代 道場の師範とは
時代劇や時代小説ではよく道場が登場します。そこには必ず師範がいて「先生」だの「師匠」だの呼ばれています。この師範ですが、もちろん武家ですよね? さて、そうなると師範の職業=武道家ですよね?武道家自体は「侍」とくくられるのでしょうか?例えば浪人さんが道場を開くなどはありましたか?(資金があれば) よく殿様の子供に剣術を指南する、なんて話もありますがそう言う話が来るような道場は大きな有名どころなんでしょうか。 また道場を継ぐと言うのは嫡男であったり、養子であったり、腕のいい弟子なのでしょうか? 教えてください。
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「侍」よりも「士分」と理解している 浪人さんが道場を開くことはごく普通です 逆に、指南役という役職ならば、殿様から俸禄をいただいて家臣の武術を指導するのが務めで、道場主として指導することで収益を上げては利益相反になる 浪人さんが生計を立てる方法の一つとして、剣術を道場で教えるというのがあった 殆どの場合、道場主は髷を結っても総髪だったはず、其れは民間人であるという意味でもある 権威で成り立っているような道場であれば、道場主は座っているだけでいいので血統を重視することもあるかもしれないが 実力勝負の世界なので、弟子のうちで優れた腕を持つものを婿養子なんぞにして後継とする話は多い
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- Pinhole-09
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江戸の三大道場の一つ 千葉周作の祖父、父とも中村藩の剣術指南でした。 父の幸右衛門(ウイキでは別名)は故あって浪人して 松戸で、馬医者を業としていました。 周作は浪人といっても武道の血筋の者です。 同じくその一つ練兵館の斎藤弥九郎は郷士の子 で旗本の家来の若党をしていたので、下級武士 です。 士学館の桃井春蔵は沼津藩士の田中の子です。 桃井道場の三代目の養子となり道場主を継ぎ、 発展させました。 剣術途)経営に優れたものが道場主であり師範でも ありました。 勿論健康上とかで、道場主に代わり師範代が表に 立つこともありました。 農民出といっても名字帯刀を許された郷士出です。 大道場には各藩から藩士の鍛錬を頼まれ、彼らは 塾生として寄宿したので、藩より多額の援助金を受け 経営に寄与しました。 藩には藩校があり道場もありましたが、他藩の士と 交わることも目的のひとつでした。 幕臣、藩士以外にも郷士や裕福な庶民も剣術修行に 励んだといいます。 馬庭念流の道場に七日市藩の藩主が入門したことが あります。 以上は江戸の大道場ですが地方については大都市を 除き、藩の町道場は江戸の小町道場と同じで経営は 苦しかったと思われます。 藩校に道場があり剣術指南役がをり、藩士の鍛錬は ここで行われ、それにもれた下士がが通うくらいでしょう。 経済的にも剣術修行でもマーケットが小さいのです。 浪人も地方で生活は困難でした。 武士は学問があるので、寺子屋の師匠、医者それに 町道場ですが他には日銭稼ぎの内職や日雇い位でしょう。 小都市では少なく、浪人は江戸など大都市に流れて いきました。 種々の職種があり、寺子屋、医者、町道場以外にも 仕事があり食っていけたのです。 大店の用心棒兼、教育係も多く、うまくいけば入り婿 になりおお店の主も狙えたでしょう。 ただし旗本の二、三男もこれを狙っていました。 豪商の中でも、鴻池、住友はそれぞれ尼子、柴田勝家 の家臣の末裔です。
お礼
ありがとうございます! >農民出といっても名字帯刀を許された郷士出です。 これは豪農だから許されたとか、地元に何らかの形で貢献したから許されたとかですか? 今回の質問からはずれますが、例えば伊能忠敬さんのような豪農で、たしか庄屋だったような気がしますが この方も名字がありますね。 自分の知りたいことは皆様の回答でだいたい理解ができました。 どの方の説明もわかりやすかったのでBAは選らばずにおこうと思います。 またそれぞれの方に質問したことに対しても、お時間があれば回答をお待ちしております。
- hekiyu
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”この師範ですが、もちろん武家ですよね” ↑ 必ずしもそうではありません。 江戸三大道場のひとつ、神道無念流練兵館 の師範である斎藤弥九郎は農民出身です。 ”浪人さんが道場を開くなどはありましたか” ↑ 同じく、江戸三大道場の千葉周作は浪人です。 ”殿様の子供に剣術を指南する、なんて話もありますがそう言う 話が来るような道場は大きな有名どころなんでしょうか” ↑ この場合、殿様というのは大名の領主ということですね? 高禄の旗本の領主も殿様と呼びました。 殿様の子供の場合は、各藩に所属する剣術指南役がおりました から、彼らの指導を受けた場合が多かったと思います。 ”道場を継ぐと言うのは嫡男であったり、養子であったり、腕のいい弟子なのでしょうか?” ↑ ケースバイケースですね。 千葉周作の北辰一刀流玄武館は世襲でしたね。 子供が非常に能力がありました。 千葉の小天狗千葉栄次郎が有名です。 鏡新明智流の桃井春蔵、二代目は養子で 三代目は実子でしたが四代目は養子です。 養子というのは、有能な弟子を息子にした ものです。
お礼
ありがとうございます! 農民出身の師範とのことですが、当時の農民は帯刀が許されていないのに、どうして剣術の師範になれたのですか?腕っ節がよくて養子とか後取りになったのでしょうか?
- mekuriya
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玄武館を開いた千葉周作が有名だと思います。小説やテレビドラマになったぐらいですから。武士は食わねど高楊枝といったところで、生計を立てる手段が必要です。リストラされた武士は何か武士に相応しい仕事を始めるしかないのです。吉田松陰で有名な松下村塾は、最初は松陰の叔父の玉木文之進が開いたものです。玉木文之進は長州藩士であって浪人でもなんでもないが副業だったわけです。町医者になって病院を開業したり、蘭学者になったり儒学者になった人もいる。武士の家に生まれても家督を継げるのはたった一人だけです。次男、三男は身を立てる為に学問を修め、新しい生業につくしかないのです。そういう数多い進路のひとつが道場の師範だったというだけの話。道場を継ぐというのは家督を継ぐことです。嫡男であったり、養子であったり、腕のいい弟子。はい、その通りです。将来見込みがない実子より、見込みがある弟子を養子にして家督を継がせようとするのです。それが家系という概念なのです。後継者と目していても若くして亡くなったりすることも江戸時代は多かったので、いろんなドラマがあります。
お礼
ありがとうございます! >リストラされた武士は何か武士に相応しい仕事を始めるしかないのです ずばり、リストラの具体例を教えてください。 >町医者になって病院を開業したり、蘭学者になったり儒学者になった人もいる。 しかしこれは、今ほど厳密な医師免許がなかったとしてもあんまりバカじゃなれないですよね? 大岡越前の榊原伊織先生はこの例なんでしょうか?? その場合も帯刀は許されたのですか?
お礼
さっそくありがとうございます! >指南役という役職ならば、殿様から俸禄をいただいて家臣の武術を指導するのが務めで、道場主として指導することで収益を上げては利益相反になる と言うことは、下級武士とか町人などを相手にせずに「殿御用達」みたいな立場なんですね? >浪人さんが生計を立てる方法の一つとして、剣術を道場で教えるというのがあった これは浪人本人が道場主と言う場合と、雇われ道場主みたいな場合があるのでしょうか。前者の場合は道場の収入の他に、浪人名物傘張りなんて内職もいたのでしょうか? 本当に何もわかってなくてすみません・・・