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侍の狩
先日時代劇でお代官様が勢子連れて狩をするのを見たのですが殿様以外の侍も結構狩をすることが出来たのですか?例えばその他に家老とか御奉行とか。
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武芸に熱心な大名は、鹿狩りや猪狩りを結構行っていました。 将軍家光の「洲渡谷の猪狩」屏風絵や、豊後七万石の「中川家猪狩絵巻」など残っています。 田畑を荒らす害獣退治も兼ねたものです。 代官は後者の為狩りを行う事も、あったでしょう。 ただし代官配下の武士は非常に少ないので、勢子は殆ど農民か猟師の筈です。 武士が大勢いたとすると、時代考証不足です。 大名の家来が狩りを主催する事は、原則的にはないでしょう。
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- goo-par1732
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テレビだけの世界ではないでしょうか。 塚本学著『生類をめぐる政治』の一節です。 「将軍や大名が鉄砲隊をひきいた狩猟の例も、ないわけではない。けれども、江戸時代をふくむ前近代の日本で、支配者層の狩猟の中心は、終始鷹狩であった。」 武士は刀を魂としましたが、鉄砲は足軽・雑兵の扱うものという意識がありました。 鷹狩の歴史は古く、平安時代の昔から天皇の大権として始まっています。嵯峨天皇は鷹愛好者として知られています。 鷹狩は強大な権力の象徴です。鷹の巣を見つけてヒナを獲り、育てるのですが、広大な山野を自由に探索できる権力をもち、豊富な野鳥が育つ広大な鷹場を管理し、鷹役人や鷹匠を擁することができる支配者でなければ鷹狩はできません。 鷹狩の対象は諸鳥で、これらをおどす鉄砲の使用は固く禁じられていました。 なお、「鷹」という生物学上の特定の鳥がいるわけではなく、ワシタカ科に属するいくつかの種の鳥を利用します。その「鷹」の利用者が強大な権力をもつ者に限られたとき、鷹は「御鷹」と呼ばれるものになります。 高貴の御鷹と下賎の鉄砲という構図です。
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ありがとうございました。
江戸時代、鷹狩りは大名の特権でした。 この特権はもちろん将軍家が管理するもので、各大名が勝手にやることはできませんでした。 鷹狩りの格式なども大名の家格によって差がつけられており、将軍家が各大名を統制するのに利用していたということです。 鷹狩り以外の狩については、よくわかりません。
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ありがとうございました。
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代官がちょっとした狩をするのはないことはないと言うことですね、参考になりました。