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研究に対する姿勢を説教するのは生活態度の押しつけになるのか?

研究は8時間労働とは違い、時間があってないようなものです。だからこそ、時間を大切し、土曜日曜休日もなく研究していく他はないと私は信じています。そのことを後輩に説教する場合、後輩に対して生活態度の押しつけになるのでしょうか? 特に「研究一筋」という言葉には反感があるようです。また、研究って成果を出そうと思えば、24時間フル回転するしかないと思うのは間違いでしょうか?

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  • kawakawa
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回答No.5

単なる実験オペレーターであるならば、勤務時間内での仕事だけで十分なのかも知れません。けれども研究者でありつづけたいのならば、違いますよネ。 職場での泊り込みや早朝出勤、深夜帰宅などは自分が研究者としての道を選んだ瞬間からの宿命です。食事も休憩もなしで二十時間以上連続して作業を行うことなども珍しくありませんからネ。 そして、研究施設にいる間はそこでしかできない実務を、それ以外の場所、通勤中の電車やバスの中では文献を読んだり、或いは、就寝前にも頭の中で反復したり、整理したり‥時間はいくらあっても足りないものです。 それが嫌であるならば、別の道を進めばよいことですからネ。 勿論、たまには羽目を外しての息抜きも必要です。けれども、それは新たな活力を得るためのものであって、研究ということを生涯の仕事に選んだ場合、研究に全てを優先して没頭することは当然のことです。 研究とは何か、一体自分は何をしているのか、成果を出すためにはどうすればよいのか‥そういった基本的な考え方が理解できていない方に対して理念を教えることは悪いことではないと信じています。 これは、全く別の分野でも言えることだと思います。プロスポーツの選手、それも一流といわれる方々などは有名ですが、スイングの改良を思いついて夜中に猛練習するとか、某ゴルフ選手は自宅の庭に自由に設定条件を変えることができるグリーンを作っていて1日中パターの練習をしているとか‥ 一流となるためには、つまり、成果を挙げるためには自己管理が重要となることは明白です。日本式プロスポーツではそれを集団管理を中心として行いますネ。シーズンオフのキャンプのような形で。それに対してアメリカなどでは完全にプレーヤーの自主管理に任せていますネ。そのために、自己管理と努力ができない者は直ぐに消え去っていくのです。 virulenceさんの後輩の方が研究一筋という言葉に抵抗があるのであれば、上記のような別分野での例も引き合いに出して述べられるのもよいかも知れませんネ。 以上kawakawaでした

その他の回答 (8)

  • sonorin
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回答No.9

他の方々の回答にもありましたが、研究に対する考え方は人それぞれなのだと思います。 私は某大学医学部の技官であり、夫は同じ大学の医局に所属する医師で、昨年まで大学院に籍を置いていました。ですが、大学院生時代でも、人手不足のために、日中はほとんどバイトにかり出され、研究にさく時間がない有様で、それこそ家に帰ってくるのが明け方だったり、帰って来れなかったり。子供たちもお父さんの顔が見れなくて可哀相でした。でも、多くの医学部の院生が、教官たちの研究におんぶにだっこで、ひどい人はほとんど自分の手で実験することなく学位を貰う始末。そんな中で、すべてを自分の手で行った論文で学位を取りたいと願う主人だからこそ、私もできうる限り協力してきました。そんな状況で研究しているので、今は学位申請保留中で、主人のお尻は大火事です。 私自身も技官ながら、自分のテーマで研究もしており、研究者の気持ちは良く理解しているつもりです。本当にそのテーマについて突き詰めて探求したい、自分の力で何とか成果を上げたいと思うなら、1日24時間では物足りなく、寝る間も惜しんで研究したいと思うもの。もしvirulenceさんの後輩が、休日や夜は研究したくないというなら、そこまでの情熱を持てないでいるということでしょう。情熱を失っている者に、そのようなことを言うと、やはり押しつけがましい態度になってしまいがち。virulenceさんも研究に行き詰まった時は、研究室に赴くのが苦痛になることってありませんか? 後輩の態度が研究室全体の運営に関わることであれば重大な問題ですが、後輩の方の研究への関心が高まるように、virulenceさんから色々興味ある情報を教えてあげるという風に持っていってみるのはいかがでしょうか?

  • obutyan
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.8

私は質問者の立場によって意味合いが違うと思います。 もし質問されている方が、指導的・監督的立場であれば、間違いなく押し付けになります。「研究に人生をささげる」か否かは、あくまでも研究者個人の問題であり、どんな生き方をするかを決める権利は、当事者にしかないと信じます。 その一方で、「自分の考え方を表明する権利」もあるはずです。質問を上げた方が、自分はこんな理由でこんな生き方をしているという内容についてお話なさっているのであれば、それを受け入れる自由も、受け入れない自由も相手にはあると思います。 私も某大学院のDR時代に、妻と出会って結婚しました。そのときもやはり研究者が恋愛なんてしてていいんだろうかと、少なからず迷ったのですが、結局学位は取れたし、今は結婚してよかったと思います。 確かに昼夜を問わずに研究に没頭すれば、やらないよりはいい成果が得られる可能性は高いと思います。どんな仕事も同じでしょうが、結局は努力しかないからです。 でも研究者としての成功と、人間としての成功とはちと違うように思えます。 人それぞれでいいのではないですか? 少々きついですが、質問者が私の研究上の上司であれば、僕はいい成果が出せないでしょうね。むしろ「やっといてくれよー」って人が上司で、「さっすがー」とか言う言葉をかけてもらえたら、一生懸命やるように思えますよ。

noname#50891
noname#50891
回答No.7

仕事の性格上、残業は当たり前、休日出勤も当然、 昼食にめん類が食べられないような状態での勤務経験のある者です。 (冷えたご飯は温めれば良いですが、めん類は伸びてしまうので…(笑)) 私だったら、まず、そういったことを後輩に話さないと思います。 これは意地悪で言っているのではありません。 生活態度や仕事のペースの作り方は人それぞれであり、 また、そのペースは自分自身で作るものである、そう思うからです。 そして、その逆も然りです。 研究の為に24時間フル回転した結果、 体調や家族内、その他身近な間のコミュニケーションなど、 色々なものが犠牲になってしまっても良い、とは思われませんよね。 もしvirulenceさんがそうなっても良い、というお考えであったとしても、 他の方がそうとは限りません。 「研究一筋」や24時間フル回転が良い悪いの判断も、 やはり、人それぞれの事と思います。 後輩の方達に対してお説教するのも良いですが、 ちょっと手厳しい意見ですけれども、 もう学校にいるのとは状況が違うのですから 本人任せにして良いのではないでしょうか。 そして、何か困ることがあれば、その都度注意を行い、 後輩からの相談には気持ちよく乗る、 そんな先輩でいれば良いのではないかと思います。

  • vcmshiro
  • ベストアンサー率44% (32/72)
回答No.6

この問題は、奥が深いものかと思われます。 私は、次の観点から書いてみたいと思います。 昔の日本人の様に、”志”、”忠誠心”、”使命感”が無くなりだらしなくなった現代人にとって、貴方のお話は重くのしかかる事になっているのではないでしょうか?? つまり、サラリーマン化し、自己中心的な考えになっている典型の現代の日本人的な反応かと思われます。 ここでは、昔の様な日本人的思想が良い・悪いは論ぜず、この様な質問をしてみて下さい。  ”何を目的として生きるのか?” それを理解できなかった(多分文面から推察しました)相手に対して、本質を問いただしてみて下さい。 きっと明確ではありませんから。(笑) 何かを成し遂げる為の間は、自分の何かを手放さなければなりません。 例えばビジネスでも、手放す事分何かを手に入れている訳です。できるだけ沢山の人達の為になる事業を行う事によって、リスクとマネーの両方をどの様にバランスをとり経営努力によって利益を捻出しています。 何かを行う事によって変化が伴いますが、それは何かを手放して、何かを得ようとしている行為でもあります。 何かを得る為には、自分の何かを手放している。その繰り返しとも考えられます。 研究者と言えども、どの様な職種であれ、それは同様ですね。 研究者と称するサラリーマンに対して、あなたの本質的な研究員の志や、使命感は、言葉で伝えても伝えきれないでしょう! では、どうやって教えてゆけば良いのか? どうやって、後輩を育てれば良いのか? 私は、次の様な形で社員研修や経営層に対して指導教育しています 戦艦大和の艦長であった山本五十六は、 「やってみせ」、「いってきかせて」、「させてみて」、「ほめてやらねば人はうごかじ」 と手本を見せております。 人が動くとは、人を感動させる事だ!と言う事です 口で忠告や指導等しても面従腹背状態で嫌々行う事では、良い結果は得られませんね。大きなうねりにはなりません。 人に感動を与えられる様な自分になってこそ、初めて人が動くものだよ!と五十六艦長が、おっしゃっている気がしてなりません。 先ずは、自分がそれを律して手本を見せ、感動させてみるのも手かと思いますがいかがでしょうか? 人を育てるのは、経営者としても永遠のテーマです 人の松下と言われる松下先生の書籍を読みあさって行くと、経営の神様と異名を取る先生でさえ、人については仏門のドアを叩いております (詳しくは、PHP研究所出版の書籍をご覧下さい) http://www.php.co.jp/kaisya/kaisya.html 人に対してどの様に接してゆけば正しい道なのか? 自分はどの様にあるべきか? など人間は色々迷いますが、そんな時は(新興宗教では無く商売で無い)原始仏教や諸先輩方を手本として男子として自分は磨きをかけています。 現代人では、男を磨く事を忘れている男子が多く見受けられます。研究員なのに8時間労働&土日休みにしてしまうのは、志が無い証拠かも知れませんね。真剣に何かに賭けるものが研究課題にないか、そもそも研究員の素養として・・・なのでは?とも感じてしまいます。 もし、8時間や土日が大切にしたいのであれば、他の職種に転職をお薦めします。(笑) 気楽に研究して良い成績を出せるハズがありませんので。。。(笑) 生活態度を改善させても、面従腹背状態では良い結果はあまり期待できません。そこでの議論より、むしろ考えさせられる様な内容を与えてみてはいかがでしょうか? 本人が心から戒心しないと効果は期待できませんから。。。 参考になりましたでしょうか?

  • groove
  • ベストアンサー率32% (178/556)
回答No.4

私の友人のご主人は、某大学院の研究室にいます。 そのご主人は結婚前に博士論文を書いているところだった のですが、担当の教授から「博士号が取れるまでは結婚す るな。」と言われたそうです。ご主人は迷ったそうですが 彼女が年上で30歳になる前には結婚式を挙げてあげたいと 結局先に結婚して、挙式後その年内に博士号が取れたそう です。 そのご主人にとってはその教授の指導はまさに"押しつけ" だったのではないでしょうか。 virulenceさんの意図するところと外れていましたら、 申し訳ありません。

  • kanakoiya
  • ベストアンサー率16% (9/53)
回答No.3

 間違いではないと思います。研究に限らず、人間として何かをやりぬく以上、例えば家事や老親介護、育児に教育、親戚づきあい、ご近所づきあいなど手を抜きたくなくても抜いてしまうのは当たり前です。(チョット違う?)ましてや、形として何かを残したいと思っていらっしゃるなら尚更です。  要は、人間ですから「ものはいいよう」ということではないでしょうか?  大上段に構えて指で指しながら「君はどうして時間を惜しんで研究をしないのか?」と言うのと、隣でぼそっと「こんなに楽しく人の役に立つ研究をどうして一生懸命しないのか、とても不思議だ」と言うのではお互い感情も違ってきますよね?  でも、あなたの質問には後輩の実力に期待しているのに後輩が思うように自ら動いてくれないという苛立ちを感じます。あんまり怒らずに率直に伝えてみてはいかがでしょう? 「君ならできると思うんだが、せめて土曜日だけでも一緒にしよう」とかね。

  • hiropiro
  • ベストアンサー率18% (8/44)
回答No.2

確かに、研究で成果を出すためには、休みの日も研究をした方がいいのかもしれません。virulenceさんの様に、「研究一筋」という人もいるかもしれませんが、やはり、そうでない人もいると思います。日ごろは研究をして、休みの日くらいは遊びたい、と言う人もいると思うのです。そういう人にとって説教されることは、つらいことではないでしょうか。私なら、一度言いたい事は言って、後は本人にまかせるようにします。でも、これって逆に後輩思いじゃないってことでしょうかね?難しいとこですね。解答になってないかも知れませんが、すみません。

  • shibako74
  • ベストアンサー率18% (163/876)
回答No.1

何に似てるのかなと考えてたのですが。今わかりました。 信仰は、8時間労働と違い、(きめられた) 時間があってないようなものです。だからこそ時間を大切にし、土曜日日曜日休日もなく信仰していく他はないと私は信じています... 信仰は成果はでませんけどね。さしずめあなたは自分から信仰の道に入った信仰一筋の修道師、後輩は信仰はしていたいけど大事なエッセンスは他にもあるキリスト教信者というところでしょう。でもキリスト教では全てを絶って神への信仰に勤めよ、と強要はしないのではないでしょうか? たとえが漠然としてますかね?ではこの仮定ではどうでしょう? あなたがSupervisorで、「24時間365日研究の事を考えている人間以外はこのラボから出てけ」という条件を決めることができる地位にあなたがいれば、この条件を飲んだあなたのラボに残った研究好きな人達に休まずフル回転を強要するのはかまわないと思います(法的には問題が有りそうですが)が、上記の条件が公言されておらず、後輩も研究職につく際に同意していない現状で持論を後輩に押付ける権利はあると思いますか? あなたは研究が好き、または研究者としての義務であると思っている、または他に興味がないような人間かもしれません。でも研究職にあっても家族が大事な人もいれば、ほかの趣味に生活の重点を置きたい人もいます。ラボにて提示されている公的で後輩も同意した条件以外のあなたの意見を後輩に言うことは、押付けでもあり、人権の侵害でもあると思います。 あなたの主張は言い変えれば「研究職についた人間たるもの研究に自分の人生に費やさずしてどうする?」ってことですよねえ?それは研究者としての義務ですか?そうしたら、研究職についたすべての人の生きる意味は研究にて見出されなくてはならないのでしょうか? 好きでやってる人でない限り、これを強要されるのは定められた目的以外の用途には絶対使われてはならない電源が入りっぱなしの機械か部品になりきれって言われてるのと同じだと思いません? ちなみに24時間はおおげさでしょう?寝てる時は頭も休めていると思いますよ。

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