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アイデンティティーを否定しても私は私だ
- アイデンティティーは当てにはならないと思いませんか。
- アイデンティティーに依存しない精神を作り上げておくのがよいと思われないでしょうか。
- 普通の生活が出来る人、こういう人は最も強い精神の部類に入る人ではないでしょうか。
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シフトさんのおっしゃるのは、アトリビュートです。 アイデンティティというのは、己が他人ではなく己だということのみを指します。 他人の記憶とすり替わっていると訴えたり、 感じたり信じたり願ったりしているのは自分ではないと訴えたり、 経験の中心に他人が居ると訴えたり、 しないことです。 ヒト以外の動物にもアイデンティティがあります。 シマウマやトムソンガゼルを食らうライオンが、 自分には食欲がなかったのだけれど、 というような認知不協和を起こすことはまずありえないでしょう。 また、逃げなくちゃ捕まって食べられちゃう、とばかりに ライオンがシマウマに混じって逃げ走ることもありえません。 山の動物も里の動物も、 餌場、排泄場所は縄張りとして、自己の中心性や生存の優位性の保全につとめねばなりません。 そうして得られる睡眠や生殖の条件が、動物のアイデンティティを支えているのです。 何にもすり替えられないものです。 他の動物に比べ、ヒトは、大脳が発達しすぎています。 ヒトは非常に多くの予測を常に抱えており、また、習慣性も甚大に持っていますから、 いわゆるゴールの微細な揺れに応じた、繊細な自己焦点化をおこなうのです。 痴呆症や認知障害や記憶障害のケースで人がどうするかというと、 状況のつじつまに合わせて自己を修正するのですから、驚いたものです。 当てにならない不確かさということで言うならば、 「私」が何者であるかということよりも、 今その瞬間のその場しのぎで、他者から見える自分を 状況に合わせて取り繕える能力が優位に残るということのフレキシブルさのほうが ヒトという存在をまざまざと照らしています。 それこそ、自分がライオンなのかシマウマなのかわかっているし、他の犬の尻を嗅いで縄張りを保持することもわかっているという具合で、 ボケてもとぼけても忘れても、迂遠やまわりくどさを経て利益を自己の方向へ絞ることができるのです。 それは、ヒトのアイデンティティがぶれていないことの証なのです。
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- yuniko99
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神の様に 今ここに自分としての理想的な存在を創り出せるのならそれもいいかもだが そりゃ無理だろう アイデンティティはその人がその人であるためにとても有効な恒常性というか存続なのです それは生命誕生から40億年 人間誕生から数百万年進化向上するために必要だったのです 人は断続的に存在することはできません 責任もあれば 運命もあるのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 もちろんアイデンティティーの有用性はあります。 しかし恐らくはそのON,OFFが出来るのではないかということです。
- bxd88442
- ベストアンサー率11% (30/263)
思考も喜怒哀楽のある 感情と結びついているのでは。
お礼
ご回答ありがとうございます。 思考を否定しているわけではありません。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 属性という考え方はよくそれを表現していると思いました。 もう少し思索にふけろうと思います。