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スピリチュアルや宗教について
色々な意見をお聞きしたいです。 お暇な時にでもお願いします。 私の母は真理を追究したがる人で、色々な思考や団体に手を出してきました。 そしていつも精神不安定な母だったのですが、最近ある団体に所属して安定を得たようです。 夫婦仲もとても良くなりました。精神的にも落ち着いたようです。 母親はそこだけが、絶対であると信じているようでした。 (私自身、母親がその時その時にやっている、色々な団体の話を何度か聞きに行ってみましたが、やはり無理でした…) 私にはとても納得できないのですが、そう言う事もありなんでしょうか? 娘の私としては寂しいですし、どうしたら良いのかも分かりません。 人と言うのは「役割」をくれる所に、自分の所属すべきアイデンティティ?を見出すんでしょうか? 自分の父親の場合は、それが会社だったんではないかと思うんですが。 スピリチュアルや新興宗教と言うのもありなんでしょうか?
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こんにちは お母さんのこと、娘なら、気になるのは当たり前だし、嫌な気持ちもわかります。 でも、お母さんは、きっと、気高い精神を持っていて、傷つきやすい自己をもてあましているんじゃないでしょうか? 鈍感で、単純なおばさんなら、気にならないことでも傷ついてします。 どう生きるか、っていうことを常に気にしてしまうんだと思います。 これが、友だちが多くて、俗物ならば、同年代の人と、ランチにいって、姑やだんな、子供の愚痴でもいいながら、憂さ晴らし、色気のある人なら、韓流ブームにのっかったり、年甲斐もなく、ジャニーズのおっかけやったりするんだろうと思います。 もてあました自己の精神をどう安定させるか、自分の居場所とは? これは、普通ならば、若いうちに、ちょっとは悩んでも、そのうち、仕事や恋愛などで、忘れていく事柄です。 だけど、お母さんは、のほほんとした、ただのおばさんにはなれなかったんだと思います。 私は、宗教に興味があります。 とはいっても、例えば、宗教の哲学の本を読んだり、新興宗教の教祖の生い立ちに興味をもったりすることくらいで、実際に、いったことのあるのは、親戚の通夜や葬式、結婚式場、神社仏閣に観光による見学くらいですねえ。 はまる覚悟がないんです。 あなたは、お母さんの心の置き所まで、引き受けることはできますか? 家庭の中で、自分の価値を見つけ出し、その役割をこなした上で、自分の友だちと交流することによって生活が充実できる人は幸せだと思います。 自分の母親がそういう人だったら、娘は幸せだと思います。 でも、人間って、表のそういう顔だけじゃなく、もっと、ほの暗い感情があったり、もやもやしたものを抱えているんです。 私は、あぶない、宗教団体で無い限り、認めてあげるべきだと思います。 もちろん、お布施とかはもったいないと思いますが、お母さんが借金したり、家計が逼迫するほどの出費ではない、会費ぐらいなら、払ってもいいではありませんか? あなたのお母さんのような人は、付き合いにくいでしょうけど、心は綺麗なんです。 他人から必要とされるのは大切だとおもいます。 ほんとうなら、現実世界で満たされてほしいけど、あなたにできることは限られてます。 たまに、楽しいことに誘ってあげるくらいがいいんじゃないでしょうか? 近所の人を強引に勧誘するとか、苦情がでないかぎりは認めるべきだと思います。
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- nagaineko
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>母親はそこだけが、絶対であると信じているようでした。 それが正しいかどうかは問題ではありません。 信じる心、それがすべてです。 人間とは不安定な状態で生きているものです。 ですから、何か頼りになるもの、信じられるものを 求めるのは必然です。 それが心のよりどころとなり、精神の安定を もたらします。 >私にはとても納得できないのですが、そう言う事もありなんでしょうか? ありなんですよ。 >娘の私としては寂しいですし、どうしたら良いのかも分かりません。 お気持ちはわかりますが、これだけはどうしようもないと思います。 大金をつぎ込んだり、よほどのことがなければ、温かく 見守ってあげればよろしいのでは? >人と言うのは「役割」をくれる所に、自分の所属すべきアイデンティティ?を見出すんでしょうか? それがすべてではありませんが、そういう一面もあるでしょうね。 >スピリチュアルや新興宗教と言うのもありなんでしょうか? これらは絶対的なものではありませんが、魂の救済という意味では ありだと思います。 自分は、これらには食指が動きませんが、科学的な心理学などに 興味があります。 日々、生きてると、いろんな疑問が次々とわいてきます。 なんで生きてるんだろう?なんで仕事してるんだろう? なんで?なんで?ってことは、尽きることはありません。 そういうことを考え出してはみたものの、明確な答えを 自力で導き出すことはなかなか困難なんですよね。 そんな状態を続けていると、精神が不安定になるわけです。 なんで?なんで?の連続ですからね。 そういうときに、やはり、何かしら、精神の支えとなる 思想であったり、真理であったり、論理であったり、 そのようなものが必要になるわけです。 自分の場合はそれを心理学に求めてるんだと思います。 日々、無意識に過ぎていく日常、日々変化していく 自分自身、単なる偶然の積み重ねなのか、それとも 予定された必然なのか。 やはり、それがわからないのは不安なんです。 ほんとの事かどうかはわからない。 でも、自分が信じられるものが欲しいわけです。 自分も子供のころは宗教ってなんやねん、って 思ってましたが、年齢を重ねるにつれ、 人間にとって必要なものなんだ。 だから、大昔から、なくならないものなんだ。 って、思えるようになりました。 もしかしたら、あなたも年齢を重ねたら お母さんの気持ちがわかるようになるかも しれませんね。
お礼
ありがとうございます。 そうですね。母もただ平凡と歳を重ねていくなら生きていても仕方ない、と言っていました。 子育てが終わり、子供達はいずれいなくなる。そうした時に一般の人達と同じように生きて行きたくないようです。 何処から、何のために生まれ、どうして生きていくのか、それを知りたいだけだと言っていました。 自分はこう言う生まれなんだと。 私自身、宗教や精神世界は嫌いではないのです。 母の元に生まれて、ある意味、これからもそう言う生き方をして行くのだと思うんです。そこは仕方ないように思います。 その道しか歩めない家庭も人生もよいのでしょうか。
- tenten41
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それは自由です。これが良い。あれはダメ。決め付けられません! ただ、押し付けない事です。
- ni_si_ki
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お母さんからみると、ようやく自分を認めてくれる場所が見つかった、という感じかな? 帰属意識は誰にでもありますから、今は安定しているのでしょうね。 もしかするとお母さんは、子供の時から家族としての機能を保つ為に、何らかの役割を与えられていたのかも知れません。 それは共稼ぎの両親を助けるために兄弟で分担してお手伝いをする、といったような何処にでもあるようなケースではなく、逼迫した状態に身を置いていた。 所謂、機能不全家族だったのかも知れないということです。 私の例で申し訳ありません。 実は子供の頃に兄が髄膜炎を発症し、医師からも神仏に祈って下さいと言われたことがありました。 父はたった一人の跡取りを失いたくないがために、ある日、仏像を持って帰ってきました。 母に土下座をしながら、とある新興宗教に入信したいと言いましたが、母は首を盾に振りませんでした。 「うちには娘が三人もいる 変な宗教に入信していることで娘達の縁談に差し障りがあっては困る 長男にもしものことがあってもそれはあの子の運命 親のエゴで残された子供たちが世間から白い目で見られるのは絶対に避けたい」 母の様なタイプは自分の足元がちゃんと見えています。
お礼
母親の両親も宗教をしていましたので、幼い頃からの影響もあるのかもしれません。途中で辞めたらしいですが、若い頃には完全に入信して活動をしてたようです。 私も同じように幼い頃から宗教をかじっているので、いつかドップリ…なんて事もあるかもですよねぇ。 ni_si_kiさんのお母様の様な強い方もいらっしゃるんですね。 色々な家族の形があって驚きです。 素敵なお話をありがとうございました。
私は、神の存在を信じません。したがって宗教にも関心がないし、死後の世界……天国や地獄も信じません。ただ、この気の遠くなるような広大な宇宙の中に、「奇跡的な生」と「必然の死」と、「死後の無の世界」があるだけだと思っています。 このような私には、宗教の世界はないに等しいのですが、世界には約70億人の人間が暮らしています。それこそ、私たちには、想像もできないような暮らしをし、人生を送っている人々が沢山いると思います。そのような人々の中には、裕福な暮らしが保証され、少なくとも経済的には幸せな人生を送っている人々も少なからずいるでしょう。精神的に幸せかどうかは別ですが。逆に、経済的なことばかりでなく、精神的にも大変苦しいというか、いわゆる不幸な人生を送っている人もいると思います。OKwaveのおびただしい質問を眺めるだけでも「いろいろな人生があるのだなぁ」ということは十分に理解できます。もちろん作り話もありますが。(笑) 神だとか、宗教というのは、そういった人々の心の隙間に忍び寄ってきて、「心の安らぎ」や「現世でかなえられないことを来世で」というような教義で引きつけるのではないでしょうか? すなわち「信じる者のみ」に理解できることで、「信じない者」には何の役にも立たたない不思議な世界です。心の問題、精神の問題ですから、夫婦、親子といえども立ち入ることのできない世界に迷い込んでしまうのです。「迷い込んでしまう」という言い方自体が宗教者やその信者にとっては極めて、失礼で、不愉快な言い方に聞こえるでしょうが。 現世で得られない満足や来世の約束を宗教で満たしているのです。それは、それで仕方のないことではないでしょうか?少なくとも、ほかの家族や親戚に迷惑がかからなければ、ある程度は理解してやる必要があるのではないでしょうか?お母さんも、一人の人間なのです。 ただ、どうしても、「母親を宗教から抜けさせなければならない事情」があるのであれば、お母さんの「心の隙間」の原因がなんなのかを把握し、理解してあげる必要があります。そして、それを宗教以外のもので満たしてあげる必要が生じるのです。 神も宗教も、それを「信じる者の心」の中にのみ存在するということです。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。色々な考えの人がいるから、世の中面白いのかもしれないです。 私自身は22azqq22さんのおっしゃられる、「奇跡的な生」と「必然の死」を神と呼ぶのでは、と思うことはあります。 それと同じく、宗教も一人一人の信じる世界なのでしょうか。 それがないと生きていけない母親を、感情は理解できないです。 とても許せないです。結局、苦しくて現実から逃げてしまったんでは…とも思ってしまいます。 母親を一人の人間として、理解してあげることが必要なのかもしれないですね。 家族って、本当に難しいです。。
- mama4615
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宗教は選ぶ自由がありますからね。 母様が その宗教を信じて 何か尽くしている事で 精神的に安らぐなら べつに良いんじゃない? ただし、前に書いた様に 選ぶ自由があるので 親子といっても そこは個人の自由が反映されないと おかしいので 貴方が無理に宗教活動をする必要性は全く無いですよ。 だから 貴方が納得する必要も無いはずです。 そこだけ お母様に きちんと話しをして納得してもらえばいいのでは?
お礼
私が納得する必要はない、、そうかもしれないですね。 母親と共依存関係にあるんだと、最近気付けたばかりなので、母との距離のとり方が分からない事が多いです。 私は私で、母親とは別である という事を自覚していきたいです。 なかなか難しいですが、一度話をしてみたいと思います。 ありがとうございました。
暇なのでテキトーに答えますね。 >人と言うのは「役割」をくれる所に、自分の所属すべきアイデンティティ?を見出すんでしょうか? 人と言うのは「カネ」をくれる所に、自分の所属すべきレーゾンデートルを見出すんではないでしょうか? >自分の父親の場合は、それが会社だったんではないかと思うんですが。 それはどうでしょう 仮に、お父様がマンションの管理組合の理事長という「役割」をもらったとしても 「カネ」をくれない管理組合にアイデンティティもレーゾンデートルも見出さないかも。
お礼
コメントありがとうございます。 そうですね。 確かにお金の場合もあるんですよね。 私はまだ両親と同居しておりますので そう言う意味ではお金へのレーゾンデートルは分からないのです。
お礼
そうか、そうですね。 確かに母は独特な感性を持っていて、俗世間の事には染まりません。 gonngithuneさんがおっしゃられる、綺麗な心を思っているように思います。 そんな見方もあるんですね。考えてもみませんでした。 時間は掛かるでしょうが、そのままの母を認めてあげたいと思えました。 ありがとうございました。