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無謬の反論とは、いったいなに?

皆さん、 この下の全体の文章では、「無謬の反論とはならない」は、どういった意味になるんでしょうか? ↓ 人身攻撃は、権威に訴える論証の逆である。 権威に訴える論証では、 論証者の権威、知識、地位などがその論証の真偽の基礎となる。 人身攻撃は逆に、 論証者が主張する権威/知識/地位を持っていないことを攻撃したり、 論証者が過去に同様な誤りを犯したことに注目させる。 しかし、それが無謬の反論とはならない。

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noname#160007
noname#160007
回答No.2

これはWikipediaの「人身攻撃」という項目の先頭部分ですね。 その元になった英語版はこちら↓です。 http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Ad_hominem&oldid=164237164 当該箇所の英文を抜き出すと、 "Argument ad hominem is the converse of appeal to authority, in which the arguer bases the truth value of an assertion on the authority, knowledge or position of the person asserting it. Hence, while an ad hominem argument may make an assertion less compelling, by showing that the person making the assertion does not have the authority, knowledge or position they claim, or has made mistaken assertions on similar topics in the past, it cannot provide an infallible counterargument." となります。 「無謬の反論」は "infallible couterargument" の訳だと考えられます。 infallible は「全く誤りがない」という意味ですね。 "it cannot provide an infallible counterargument" は要するに、「そんなやり方で反論しても完全に論破したことにはならんよ」といった程度の意味だと思います。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.1

その文章だけ抜いて書かれると、文章内に矛盾点が生じますね。 人身攻撃は、論理的には論証の前提の真偽はそれを述べている人とは独立しているので 演繹的には妥当ではない。しかし、人身攻撃は三段論法的に述べられることは滅多に無く その評価は非形式論理の領域と証拠の理論で行われるべきものである。 証拠の信頼性は、目撃証言や専門家の証言などにおける証人の信頼性の評価に大きく依存する。 例えば、目撃者が嘘をつく動機を持っているから信頼できないとか、専門家が実際には その分野について深い知識を有さないといった反論は、法廷では大きな役割を果たすことがある。 ということでなら「無謬の反論とはならない」に繋がると思います。 法廷で、権威/知識/地位を持ちだすことは論点をすり替える行為になるからです。 あくまでも、その時の行為の事実が論点となり、個人の持つ権威/知識/地位は無関係なのです。 故に「無謬の反論とはならない」が成り立つと思います。

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