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「終わり良ければすべて良し」は矛盾してないか?
終わり良ければすべて良しという言葉がありますが、 普通は、良くないから終わるというパターンが多いのではないでしょうか。 例えば、テレビ番組が終わるのは視聴率が悪い場合や、不祥事が発覚するからであり、そうでなければ終わる理由がありません。 どのような場合でも良い状態では終わることがないのが一般的だろうと思います。 なぜなら終わらせる理由が無いからです。 だとすると、この言葉の指す状況、つまり良い終わりとはどのようなことを指すのでしょう。
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- SPS700
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#3です。訂正補足です。 1。訂正 「これは簡単です。この言葉が出来たのが16世紀のイギリスで、テレビもなければ視聴率の心配もない400年も前に出来た言葉だからでしょう。」と訂正します。 2。補足 これを逆にして「終わりダメなら、全部ダメ」(これは僕がいま作ったので威厳がありませんが、九仞の功を一簣に虧く(下記)とか、「百日の説法屁一つ」など人口に膾炙した物もあります)。 http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2004/09/post_1141.html テレビ番組でも終わりがダメで全部ダメになったのは結構あるので、逆も亦真なり、ってところでしょう。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
ひとつの物事にあらかじめ始まりと終わりがあるほうが一般的だと思います。 オリンピックや、入社・退社、入学・卒業など色々あります。 良くても良くなくても物事には終わりがあるわけです。 しかし、そもそも、「終わり良ければすべて良し」とは、「序盤・中盤は良くなかったが、終盤だけは良いことがあった」という状況です。 本当にすべてが良い状況であれば、この表現は使えません。 その意味ではたしかに矛盾はしていることになります。 元々、序盤・中盤の良くなかったことは無かったことにして、全部良かったことにしようという意図の言い回しですから、国語的には矛盾していなければ逆に意味がないわけです。 願望で事実を超越しようという重宝な諺ですね。 ただ、あくまで一般的にはですが、終わりに近いほうが記憶に残りやすいということはあるでしょう。 金メダル5個を期待されていた種目で、序盤・中盤と全く取れない場合でも、最後にたった一個でもとると、この諺が適用されそうな気がします。 事実としては5個に対する1個なので決して「すべてよし」ではないわけですが、最後なので記憶に残りやすい。 最初に一個とっただけで後は全く取れなかった、という場合に比べて、印象がかなり違ってくるということも事実と言えそうです。 その意味では、「印象が事実を超越する」というある意味での真理なのかもしれません。 つまり、国語的には矛盾しているが真理である、といった感じになりますかね。 あとは、何をもって「良し」とするのか、その時々の価値観の問題になるでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 始まりと終わりが本当にあるのかという疑念が私にはあるのですが、 まあ、日常生活の中ではあるとしたほうが都合がいいのでしょう。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
これは簡単です。この言葉が出来たのが16世紀のイギリスで、テレビもなければ視聴率の心配もないが400年も前に出来た言葉だからでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 時間の概念も今と昔は違うかもしれませんね。
ご質問者さんは自分の期待した回答じゃないと納得できないようですね。 それはこういうところでする質問じゃないですよ。 回答しているみなさんにも失礼です。通報しておきました。
お礼
さて、このQ&Aは終わり良ければすべて良しとなるでしょうか
- yoichi001
- ベストアンサー率32% (328/1007)
単にことわざの使い時を間違ってるだけです。 >テレビ番組が終わるのは視聴率が悪い場合や、不祥事が発覚するからであり、そうでなければ終わる理由がありません。 そういう時につかうことわざではなくて テレビ番組で例えると、 10話完結のドラマが1~5話までは低視聴率だったが、6話あたりから徐々に人気が出始めて、最終10話では15%の視聴率を記録した。その後の打ち上げ等で 「いや~、最初はどうなる事かと思ったけど、終わり良ければすべて良しってことで」なんていう風に使われることわざです。 物事が何とか首尾よく収まったので、最初のゴタゴタは水に長そうよと、過去の失敗を濁すようなニュアンスもある言葉です。 質問者さんのいう「良い終わり」とは、時間軸でいうと「現在」を刺しています。「現在」を一つの物事の区切りと考えて、今がある程度いい状態で、それ以前がやや悪い状態だった時に、使う言葉です。つまり良い終わりとは、過去よりちょっと良い状況の今現在の事です。 また、 終わり良ければすべて良しは、万事が上手く行った状態ではなく、前半部分で多少の失敗があったという事なので当然、 ドラマが始まる時に「終わり良ければ全て良しとなるように頑張りましょう」とは言いません。 でも、多少出だしで躓いたドラマの現場で 「何とか終わり良ければすべて良しって言えるように頑張りましょう」という使い方はできます。 現在が悪い状態の場合は、物事の最後の締めくくりを何とか良い状態で迎えたいと場合は、今よりもちょっと良い未来の事を指す事もあると思います。 不祥事で終わる番組に例えると、 数々の不祥事で番組が終わる事になったが、お詫びを込めた最後の放送だけは視聴者からお褒めの言葉を頂き、視聴率も良かった時などに、「終わり良ければすべて良し」って使うかもしれません。でも実際は不祥事だらけだった為に番組が打ち切りになったわけですから、全然良い終わりではないわけなので、この言葉にはある種の失敗に対する「言い訳」の意味合いも含まれているんだと思います。たぶん質問者さんはこの「言い訳」の部分が引っかかって「良い終わりなどない」って考えてるのでは?
お礼
ご回答ありがとうございます。 私が違和感を感じるのは何を持って終わりとするのか、なのです。 確かにドラマなどは制作段階から放送する話数は決められているでしょうが、高視聴率であれば当然続編や映画化がされるはずなので最終回が必ずしも最後ではないのです。続編や映画化がされてそしてどこかの時点で必ずつまづきます(低視聴率、低収益)、それが終わりです。 私にとって続編が出来なかったドラマは良い終わりをしていないと思えるわけです。可もなく不可もないドラマだったと言えないでしょうか。 パチンコでどんなに儲けていようが、必ず最後は大損します。 損した時が終わりです、なぜなら掛け金がないからです。 儲かった時に止めることが人間には出来ないのです。 ドラマもそれと同じではないでしょうか。
- wa-ro-su
- ベストアンサー率37% (18/48)
誤解しているようですので説明しますが、 『終わりよければすべてよし』とは 「終わりがよければいいんだ。例え途中が悪くてもね」という意味ではなく、 正確には「物事は最後の締めくくりが重要であること」という意味です。 http://www.ymknu200719.com/kotowaza/koto-o-0026.html ですので、良不良に関わらず、締めくくりは重要。と考える必要があります。 漫画やドラマや映画を見ているから分かると思いますが、作品には〔終わり〕が必ずあります。 有限の世界で終わらないわけがありません。 どんなにいい作品でも終わりがパッとしなければ、いい気持ちになれませんし、 悪い作品でも終わりがスッキリしていれば、次なるステップへ行きやすくなります。 続かない作品には続かないなりの理由があるので、たしかに終わりがパッとしないものが多く見受けられますが、 全てがそういうわけではありません。1巻で綺麗に終わる作品もたくさんあります。 いい終わり方とは、次へ進める終わり方なのではないでしょうか。 この言葉を考えた人はすごいですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 広辞苑とは違う解釈ですね。 現実はドラマのようにはいかないでしょうね。
>なぜなら終わらせる理由が無いからです。 ご質問者さんの例は本当にテレビ番組にしか通用しないものです。 普通は終わってから思い返し、途中いろいろあったけど、無事終わってよかった。という言葉です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 時間は無限に続いているというのが私たちの生活のルールではないでしょうか。 例えば犯罪者が刑務所から出所すれば全て終わり、ということにはならないのです。 一生犯罪者としてのレッテルと被害者からの憎しみや怒りを背負って生きなければなりません。 それが普通ではないでしょうか。 終わりを設定することに無理があるように思えるのです。
- chibineko1980
- ベストアンサー率41% (13/31)
「終わり良ければすべて良し」と言うのは読んだ通り「終わりが良ければ」と言う前提があっての言葉だと思います。仮にいい結果に終わることなんて100の内2つか3っつしかないよ、と言ってもその2,3の成功事例を前提にした言葉ってことです。 例えば今回のオリンピックのバトミントンの女子ダブルスで、4組のペアが決勝トーナメントでの組み合わせを有利にしようと、無気力試合をしたと言う理由で失格処分を受けましたね。これは質問者様が例に挙げたTV番組中断と同じ事例だと思いますが、「仮に」彼女らが何のお咎めも受けずに(観客からの大ブーイングやマスコミの批判にさらされたとしても)、思惑通りに以降勝ち進んで例えば中国ペア同士が決勝で初めて顔を合わせ金銀独占となったとしたら、これは正に「終わり良ければすべて良し」と言うことではないでしょうか。 そんな状況で使われる言葉だとわたしは思ってます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 メダルを取ったら終わりとするならいいでしょうが、その後国に帰って世間から恥知らず呼ばわりされて肩身の狭い暮らしをしなければならないとしたら果たして終わり良しといえるでしょうか。 時間に終わりはないという法則に反しているように思えてしまうのです。
- meg68k
- ベストアンサー率33% (1133/3386)
こんにちは。 「終わり良ければ全て良し」という言葉は、例え途中がゴタゴタし ていようが、結果がうまくいってるんだから、途中のゴタゴタは黙 認しよう、という言葉だと思うのです。 物事、計画通りに行かず(予想では失敗クラス)、計画以上に頑張 りぬいて結果として成功といえる状態になったり、自分の計画では 失敗状態だったが、自分が考えてた事ではない何かが発生して、結 果として成功になったなんて例は沢山あると思うのです。 そういう途中段階の反省点は現時点では考えずに、成功を讃えよう という言葉だと思います。(勿論、途中段階の問題点は後から反省 しようという言葉でもあるとは思いますが)。
お礼
ご回答ありがとうございます。 結果をどこで判断するかによりますよね。 良い大学に入ったら良しとするのか。 三流の大学を卒業しても年収が1000万円を超えたら良しとするのか、 それでも働きすぎて40代で死んでしまったらつまらない気もします。 さて、どこに終わりを持ってきたらいいでしょう。
>終わり良ければすべて良しという言葉がありますが、 この言葉の指す意味は 「最後さえよければ、途中のごたごたや、悪いと思われた そのイベントのことさえもよく思える」というような意味ですが・・・ 例 ■結婚式で、、不味い飯、司会者の不手際、あれこれ手違いなど があったものの、最後に新婦の父親への手紙に会場一同が 感動し涙した。。。 ■登山で、、、忘れ物をした、思わぬ大雨にあいびしょ濡れ、 登山道を間違え引き返した、、、などトラブルはあったものの、 最後には雄大な頂上の景色を堪能し、みな無事に下山した。 意味合い的には、途中のごたごたさえも最後の良い出来事や結末を 彩るアクセントや思い出になったというようなことも含まれます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、私には良い結婚式というものが想像できなかったのです。 将来的に離婚する夫婦が感動的な結婚式をしたからといってどうだというのだろうという感じです。 つまり私にとって結婚の終わりは離婚または死別なのです。 私にとって結婚式を終わりとみるのは難しいようです。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 完成度を80%位に抑えていた方がいろんな意味でいいかもしれませんね。