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人間が生きる プロセスと終わりについて

終わり良ければすべて良し、といった言葉がありますが、人生という場面では、そのプロセスと終了間際、どちらが重要なのか誰か教えてください。

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回答No.3

こうした一見“素朴”な質問ほど奥深いものがあり考えさせられるものはありませんね。 例えば“寿命”というのは自分で決められるものではないですよね。 しかし、不摂生をし、身体を壊し、せっかく与えてもらった“天命”も真っ当できず逝ってしまう人もいます。 そうではなく、生きていて、あれもしたい・これもしたい、と熱い情熱があるにも拘らず“余命宣告”をされ亡くなる若者もいます。 この世の去り方は“人それぞれ”なんですよね・・・。因みに母は97歳で亡くなりました。最後の2年程は点滴で生き長らえていた状態でした。 『終わり良ければすべて良し』とした意味は結果が良ければ途中経過は(過程)は問題とせず、物事は終わりがすべて。と認識していますが、『人生という場面では、・・・』と言われているので、どう生きたか、また“生き方”をしてきたかとしたことに重要素が含まれていると思います。 “老人福祉施設”に時々ある方を訪ねてお見舞いに行くことがあります。 歩行器を使えば歩ける方、車椅子でないと移動できない方、寝たきり状態の方・・・etc 半身不随で手が利かず職員さんから食事をさせてもらっている方と様々です・・・。 『生老病死』という言葉がありますが、そのものではとつくづく感じます。 長くなりましたが、人(人間)は“どう生きたか”とした中身が問われるのでしょうね。 ピント外れでしたらごめんなさい。

angel25gt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。どう生きたか、という自問に対して最終段階で自ら否を唱えるべからず、といったところでしょうか。否を唱えるのは、プロセスの段階で唱えるべきですね。

angel25gt
質問者

補足

ピントは微妙ですが、私もウィンドウズXPではなく、血の流れる人間ですから言わんとすることは分かります。皆さんの一般論を軸に再度勉強します。

その他の回答 (2)

回答No.2

こんにちは。 私の答えとしてはプロセスです。 人生の終了はプロセスによって決まります。 それは因果応報という言葉で表されます。 原因があって縁があり結果として死があるということです。 死ぬ原因は生まれたことです。 原因と結果はきまっていますが、プロセスによって縁があります。 終了の仕方は人によって違います。 長い時間の闘病の末に亡くなる人。 老衰で亡くなる人。 交通事故で一瞬にして亡くなる人。 死刑によって亡くなる人などさまざまです。 生きるという事において、終了間際ではどうすることもできません。 やはりどのように縁と向き合うかでしょう。 交通事故に遭う人は、必ずその前に交通事故に遭う行動をしています。 例えば体調であったり、家を出るタイミングであったり、通る道であったり・・・。 遭うべくして遭うのです。 病気になる人は、食べ物だったり、薬だったり、食べる量や食べる時間も全部影響します。 すべての事はなるべくしてなるのです。 暑い夏を過ごせば、暑い夏に応じた秋が来ます。 今日をどの様に過ごすかによって明日が決まります。 毎日の行いの積み重ねが人生であって、それを無視したら自分なりに精一杯生きることのできた人生にはならないでしょう。 プロセスがしっかりしているからこそ終わりもしっかりするんです。 「終わり良ければすべて良し」とは人生の中での出来事に対して自分自身が納得するための言葉だと思います。

angel25gt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。プロセスに間違いが見い出せず人生を送り、最終地点でそのプロセスを後悔する場合も多いものと思います。プロセス重視の場合、結果がどうであろうと省みないようにするしかないようですね。

回答No.1

どちらが重要かと言われればどらも大事ですが・・・。 しかし『終わりよければすべて良し』にさせるには、 過程の中でいかに自分が有意義な時間を過ごし、充実した 時間をすごさなければ、人生の終わりの時に、そんな思い にはならないかと思います。 なので、プロセスの方が大事ですかね。

angel25gt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。プロセスは重要ですが、それをもってして終わりの時期の納得となるかどうかは定かではありません。プロセスがダメでも終わりの時期に納得ができる場合、しかし、はなから後者が好みだと言う人もあまりいないでしょうね。

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