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「終わり良ければ全て良し」 ?
「終わり良ければ全て良し!」 と、言いますが、人生の終わり(臨終)が良ければ その人の人生は良かった! と言えると考えます。 さて、良い臨終とはどのような光景でしょうか? 私は家族に見守られながら、「じゃぁ逝って来るよ」 と挨拶し、残る皆も あまり泣かないでお別れする 状況を思い浮かべましたが、いかがでしょう? 人生を深く思慮されてるこの哲学カテの人たちの 理想の、人生の最後とはどのようなものかお聞きしたいです。
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>「終わり良ければ全て良し」 私も結構、そう思います。 >理想の、人生の最後とはどのようなものかお聞きしたいです。 自分の場合、あまり仰々しい最期は迎えたくないです。 深呼吸をしたままフーっと息を最期まで吐き続けるような、これから昼寝でもするかのような、比較的軽い気持ちで死んでいきたいですね。 自宅で死ぬにしても病院で死ぬにしても、家族に看取られるにしても、ひとりで死ぬにしても、(いろいろあったけれど、まぁいいか)と思いながら。
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- tokytime
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人生の終わりの後はどうなるのか・・・によって終わり方の意味が違ってくると思います。 boke-chan様は死後にも何か存在が残ると思いますか。 それとも、人は肉体のみの存在で、肉体の死と共に全て無くなってしまうのでしょうか。 私は人の本体は魂であり、肉体は仮の衣に過ぎないと思っているので、 死とは衣服を脱ぎ捨てるようなものであり、 又生とは魂を豊かにするための経験を積むために、一時的に特定の環境と肉体を選んで参加する学校のようなものだ・・と思っています。 学校では一つの課程を修了すると、次のもっと高度な課程に進級します。(輪廻転生) 上手くマスター出来なければ、最履修、又は落第します。 ですから私は、何としても自分自身を向上させたい・・と思っています。 未熟な欠点だらけの魂としての自分を、何とかもっと視野と懐の広い、高い理念をもったレベルに到達させたいと思っております。 この様な考えを持っているので、人生の終わりに一番願うことは、 「私はこの人生で、出来る限り努力し、困難を克服し、学び、それを糧として自分自身の視野を広げ、慈悲(愛)を広げ、人間的に向上出来た。 だから、後悔することは何も無い。次の段階に躊躇なく進むことが出来る・・」 と言える様な最後の瞬間を迎えることです。 その最後が自然死であろうと、事故死であろうと、家族に囲まれていようとも、たった一人で向かえようとも、関係なく、そうありたいものだと思っています。 死後も努力を続たいと思っております。
お礼
「輪廻転生」は私も信じておりますので、基本的には回答者様と 同じ考え方ですね。 でも最近は思うのです。 「次もある」って考え方は止めようって。 次は無い! だから今生を精一杯生きるのだ。と もし結果、次があっても又そこで頑張る事だ。と その精一杯生きた結果は、死ぬ場面に現れるのでは無いか? その時に、本人がどう考え、どう看取られるかが、 その人が、その時代に生きた結果だったのではないか? と考え、質問しました。 努力した結果 いい最期が来る・・・か いい最期を迎える為に努力する・・・か 同じかもしれませんし、違うかもしれません。 ご回答ありがとうございました。
生に飽き飽きすること。 が、幸せな死を迎えるにあたり必須科目でしょう。 自分は生きれなくても既に皆幸せである。 残された人が幸せになっている。 それを信じられている。 信じられると楽になります。 それ以外に 自分にやりたいことが残っていても 死んだらやり残しなど 後悔したり嫉妬もしなくなりますので 自分的にはやり残して大丈夫で構いません。 偉大な人生とは 人生が終わっても続く功徳である。
お礼
>残された人が幸せになっている。 >それを信じられている。 重要な事ですね。 心残りが無いように逝きたいものです。 老衰で死ぬのが理想でしょうが、事故や事件に 巻き込まれる可能性もある訳で・・・ その時にも悔いが無ければ良いのですが。 本来なら、「いつ死んでも後悔無し」と 言える日々が理想なのかなと考えました。 ご意見ありがとうございました。
人は、いつ・どこで・どのようなことで『お陀仏」するかわかりませんが、ただひとつ断言できる事は、『その日」まで、精一杯生き抜くことです。 詠み人知らずの名言 「人間の値打ちは、棺桶に入った日に決まる。」
お礼
>「人間の値打ちは、棺桶に入った日に決まる。」 いい言葉ですね。その通りだと思います。 死んだ時に何人泣いてくれる人がいるのでしょうか? 何人、残念がってくれるでしょうか? 私は泣かれては嫌な人間ですが・・・ 死に方は、生き方の裏返しではないかと最近考え始めました。 良い生き方をした者は、良い死に方が出来るのではないかと。
- nabayosh
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どんな死も、死後に後味は残さないものです。 後味は生前の世の中にはありますが。 ということで、私の意見では、死に方に関係なく死はひとつの現象としてみな平等。 どんな死も後腐れがないので、それはそれでよし。 それゆえ、理想の最期なるものはありません。どんな死もよし、です。 ではなぜみなすぐ死なないのか。おそらく生もまたよいものなのでしょうね。
お礼
>どんな死も後腐れがないので、それはそれでよし。 自殺しようが、殺されようが同じでしょうか? 死んだ後は一緒でしょうけど・・・ ご意見ありがとうございました。
お礼
>(いろいろあったけれど、まぁいいか) 最高です! 私もそうありたいものです。