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この寺は、いったい何を考えているのでしょうか

汚職で実刑判決を受けた政治家を「先生」と刻んで、銅像にしているお寺があります。 私が子供の頃、日通事件(にっつうじけん)という大きな汚職事件がありました。日本通運が1940年以来独占輸送をしていた政府食糧を巡って、自民党の池田正之輔(まさのすけ、元科学技術庁長官)らにわいろを渡した事件です。 東京地検の検察首脳会議でも、池田正之輔を逮捕すべきだとの河井信太郎東京地検次席検事らの意見に対し、井本台吉(だいきち)検事総長は逮捕に反対しました。 その結果河井が失脚し東京地検特捜部がこの後8年間、ロッキード事件での田中角栄前首相(自民)の逮捕まで長い眠りついたきっかけとなった有名な汚職事件です。 井本検事総長が検察首脳会議の前に、新橋の料亭「花蝶」で池田正之輔、福田赳夫(たけお、当時自民党幹事長、のち首相)と会食した事も、当時の新聞・週刊誌でずいぶん騒がれました。 結局池田正之輔は与党の自民党衆院議員でありながら起訴され、1977年(昭和52年)10月14日 最高裁判決で、懲役1年6月の実刑、追徴金300万円が確定しました。 政治史の教科書には必ず出てくる著名な事件ですが、どんな感想ですか? またこの刑事犯罪人を「池田正之輔『先生』之像」の文字を入れ銅像に、境内に飾ってる寺があります。もちろん誰でも目にします。 http://www4.airnet.ne.jp/soutai/07_douzou/02_i/ikeda_masanosuke.html 私は(お寺は真理や人の道を説法するのだから、個人的に付き合うならともかく、こういう議員を「先生」と崇(あが)め境内に銅像を建て公開するのは、宗教家として変なのでは?)と思います。 社会常識や宗教学的にはどうなのでしょうか?皆様方のご意見を聞かせて下さい。 <備考> ○池田正之輔(自民党代議士・十期) 1960年第2次池田内閣の科学技術庁長官兼原子力委員長として入閣したが、1968年に日通事件で賄賂罪で在宅起訴され、1976年に最高裁で懲役1年6ヶ月の実刑判決は確定。病気により服役は免れたが、政界から引退した。

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回答No.2

その銅像を建てたのは、そのお寺さんですか? 偉い人の銅像を建てる場合、多くが「○○先生顕彰会」などという具合に、銅像のモデルの人を尊敬する人たちが集まって(お金を集めて)建てる場合が多いと思います。 もしかすると、お寺さんは建てる場所を貸しているだけかもしれません。 「貸しているだけでもけしからん」と言われるかもしれませんが、「顕彰会=檀家さんの集まり」であれば、お寺としては断われないかもしれません。 その銅像が建てられたのは、実刑確定より後なのでしょうか。 だとしたら問題なのかもしれませんが、確定前に建てられたものだとしたら、借地契約をしていた場合、そう簡単に取り壊すこともできないかもしれません。 また、先の回答にあるように、この政治家はお寺(もしくは宗派or仏教界全体)に対する多大な貢献をしたかもしれません。 そうなれば、政治家としての犯罪とは別に、お寺としては顕彰するだけの人であるということでしょう。 無知をさらすようでお恥ずかしいのですが、私はこの質問を読むまでこの政治家のことも事件のことも全く知りませんでした。 事件の重大性、政治家の罪の重さも実感できていないので、このお寺が非常識だというほどの憤りは感じません。 汚職事件で実刑判決を受けたということは重大なことで、質問文を読むとかなりの重大事件だったように見受けられます。 そのことはつまり、その政治家がそれだけの力を持っていたからこそでしょう。 汚職事件を取り上げれば罪は罪ですが、それ以外の部分で政治家としての力量を発揮していたからこそ、汚職事件が大きなニュースになったのだと思います(小者の政治家だったら賄賂程度で大騒ぎされないでしょう)。 つまり、その政治家の政治力によって恩恵を受けた人たちがいるでしょうし、政治家として尊敬する人たち(とりまきともいえますが)もいたのでしょう。 だから「銅像を建てる」ということになったのだと思います。 田中角栄氏のような存在なのであれば、銅像を建てる人がいてもうなずけます(角栄氏の銅像も、お寺にあるかどうか分かりませんが、どこかにあったと思います)。 そうすると、汚職事件というマイナスの部分ではなく、政治家としてのプラスの部分を顕彰していると見ることはできませんか。 「罪を犯してしまったのだから、それ以前に行なったよい部分も含めてその人を切り捨ててしまう」というのは仏教者としては如何なものか……という見方もできはしないでしょうか。 と、私はこの政治家のことを全く知らず、特に検索で調べることもなく、質問文だけを読んで書きました。 角栄氏などとは比べものにならない、お粗末な政治家であったのなら功罪の「功」の部分への「顕彰」はあてはまらないのかもしれません。 「顕彰会への義理」とか「借地契約」などのことも、この銅像の建てられた由来を全く知らないので、すべて推測です。 たぶん銅像のどこかには建てられた由来が書かれているはずです。 その由来が分かれば、回答(お寺さんに対する評価)も変わるかもしれません。

回答No.1

お寺としては、『銅像を立てておくだけの、お世話になったのでしょう?』そういう義理が発生したいきさつからと思います。義理堅いお寺と思います。 良いとか悪いとかは抜きにしてです。

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