習慣だと答えるのが正解なのでしょう。歴史書などで「殷」と書かれてきたことが理由だ、と。
歴史書では、なぜ「商」を「殷」と書くのを慣わしとしてきたのかな、とつっこんで考えませんですか?
昔、私は考えました。
それを説明した本には出会ったことがありませんが、宮城谷昌光さんの本などに、商の人だから「商人(しょうひと)」だ、「商」の人がやったから「商売」だ、というような話は出てきます。
しかし、あの時代(周)は重農主義。
農作物を生産して、人を飢えさせないことこそ尊いもので、物を右から左へ移動させるだけで儲けるような行為というのは、さげすまれたのではないか。
日本の士農工商で、商人が一番下に置かれたのと同じ発想です。
そこから、国の名前として「商」はの字はふさわしくない、という発想になって、「商」は使われなかったのはではなかろうか、と小説的に空想しています。
そのあたりの「事情」を証明する資料は、いまのところ見つかってはいないようですので、どなたにも証明はできないでしょう。
お礼
遷都していたのですね。それなら国名が替わる理由になりますね。