• 締切済み

思考の際に明確な理由で母国語以外を使う方に質問

物事を考える際に言語や記号を用いると思うのですが、母国語以外(記号なども含む)を中心として思考するのはどういった理由からでしょうか? 具体的に日本語と比較してどのような点が優れているか、もし良ければどのような点が劣っていると思うかなどを教えてください。 日本語でご回答願います。

みんなの回答

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.12

    #1です。寝言です。とてもいい質問をしてくださって、僕の場合愚答続出です。     僕の裏庭にプラムの木があリ、それの熟する頃になったので思い出しました。この頃になるとドアベルがよく鳴ります。近所の子(アメリカですからみんな英語ネイティブ)です。     ご存知のように bring 「持ってくる」の過去は、brought です。プラム採りの季節になるとやってくる中に4歳ぐらいの女の子が居ました。     最初は、bringed と言っていました、しかししばらくすると brung と言い始めました。ほほう、と聞いていると brought になりました。その間、2週間ぐらいです。     僕なりに解釈すると、始めにいろいろ考えて(=思考して)X軸とY軸のような、二次元の表のようなものがこの子の頭に有って、「過去形」と bring の交差点を埋めようとしているらしい。     そこで多数派の ed をつけて bringed という試作品第一号を作ってみる。僕には分かりませんがネイティブの両親から思わしい反応がなかったのでしょう。     そこで おしまいに ing  のついた sing 「歌う」にならって、(ちょっと問題はありますが) brung という試作品第二号を作ってみる。ところがお母さんもお父さんも思ったように受け入れてくれない。     ええ糞(と言ったかどうかは分かりませんが) brought と言う試作品第三号で、やっと周りの承認を得て安心したらしい。     こう見ると学齢期まえに、自分専用の文法をこの子は構築している、言い換えれば、文法を構築する思考能力があり、その具体形、言語は後になって、入念な試行錯誤の結果生まれる。   と言うのが僕の見方です。もうこんなことは発達心理学かなにかの教科書に書いてあるのでしょうが、思考と言語は別もの、という僕の考えの根拠の一つです。

314h
質問者

お礼

No9で書いた文章と概ね同じ意見です。 重ねてご回答及びご指摘ありがとうございました。

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  • multi_pon
  • ベストアンサー率40% (240/589)
回答No.11

日本語ネィティブです。 私はいくつかの外国語の学習者であり、プログラミングを生業のひとつとしています。 ご質問に合うかわかりませんがちょっと回答してみます。 そもそも「思考」とは言語で行うものではないと思うのです。 もっと抽象的な何か、例えば感覚とか空間的なものとか嗜好とか、そういったものが思考であり、それを表現しようとした時に「言語」というものを使って表現されるのではないでしょうか。 よく「外国語で話すときはその言語で考え、話す」と表現されますが、私の場合はその時表現したいことはその言語(母語以外)を使いますが、その言語で考えているわけではなく、また母語で考えているわけでもありません。頭の中・心の中に浮かんだものを外国語で表現しているに過ぎないという感覚です。 プログラミング言語の場合は空間的な概念が脳裏に浮かびます。 頭の中に日本語があるわけではないですし、かといってプログラミング言語で考えてるわけではないんです。 またプログラミングしている間は人間の言語の理解度が悪いです。 ある言語Xで会話している時に急に言語Yで話しかけられてもとっさに反応できないという現象があります。 例えばある英語話者と英語で会話していて、とっさに日本人にthank youと言おうとしてしまった経験があります。この時言いたいことのコアは相手への感謝です。頭の中にありがとうが浮かんだのでもなく、thank youが浮かんだのでもなく、感謝の表現としてその時使っていた英語がとっさに出たのです。 思考が母語以外になっているというよりは、母語に限らずその時使っている言語に適応しているのでしょう。 ご質問の「思考の際に母国語以外を使う」というのは状況への適応のひとつなのかなと思います。 何だかまとまらない回答ですみません。

314h
質問者

お礼

no9さんに指摘していただいた通り少し不完全でした。 非常に丁寧に教えて下さりありがとうございます。 また今気づいたのですがno9さんの回答を辞書と照合する際誤って考えるの項目を参照していまいた。。。 今更収集つかないんですが、どちらにしろ思考の方にも心理学的意味で取れば判断が入っていました。 外国語カテゴリですしそういった意味で取られる方がいるとは思っていませんでした。 ご回答及びご指摘ありがとうございました。

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  • yingtao7
  • ベストアンサー率17% (124/699)
回答No.10

>言語の利点と言うよりもあなたの環境と理解度による利点ですね。 なんか質問の論点もはっきりしないまま回答者の揚げ足をとって楽しんでいるように思いますが、もっと論点を明確に書いていただけませんか?

314h
質問者

お礼

言語そのものの利点を追求しています。 論理的表現に向いているだとか、感情的表現に向いているだとか、立場を表すのに優れているだとか。 そんなようなところですがno9さんの指摘通り少し不完全でしたので締切ります。すみません。 ご回答ありがとうございました。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.9

   #1です。つけたリです。  >>物事を考える際に言語や記号を用いると思うのですが、母国語以外(記号なども含む)を中心として思考するのはどういった理由からでしょうか?     この最初から異議を差し挟む僕には、続けて書き込む資格はないのですが、面白い意見が聞かれるのでまた出てきました。      僕の「思考」と、質問者さんの思考が違っているのが一因と思います。      僕が「言語」とは無関係に、非常に多くの情報を瞬時に半ば本能的に処理する能力が、ヒトにはある、と思う理由は言語習得以前の乳児の観察、に基づいています。      例えば、まだものが言えない1歳前後の子供が、自分の好きなCDを、嫌いなCDと分けることが出来る。あるいは大人が何か薬を探している時、まだものの言えない子がそれを探し当てて目の前に突きつける、こういう例を、日本でも、英語圏でも目にしました。     また大人になっても言いたいことは頭の中にはっきりあるが、それを表す「言葉」がない、と言う場合があったり、甲と言う言葉も乙と言う言葉も言いたいことに近いがちょっと、はずれている、こういう場合「思考」と「言語」の隔たりを感じます。     逆に言うと「言語以前」に、非常に高性能な情報処理機能が存在していて、言語とは、その青白い不完全なごく一部でしかない、というのが僕の考えです。     

314h
質問者

お礼

こういう質問の正しさについて問う回答は歓迎します。 前の補足では思索と思考を言い換えるなどと馬鹿な行為をしていたし、前の補足はなかったものとしてください。両方について謝ります すみません。 言語=思考というつもりは全くありませんでした。思索と言い換えていたことがすべての根源でした。 また、判断する。というのが信じられないことに辞書の思考の意味の中にありました。 判断とは無意識的な過去の情報との照合も含まれるんですよね。。。 これが入るとどうしょうもないですね。 思索にして質問し直します。 私の謝りに気づかせてくださり、また丁寧なご回答ありがとうございました。

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回答No.8

一応私は英語とフランス語ができます。 英語圏、フランス語圏の方と英語かフランス語で話す際は、 会話内容が自分の語学力を超えない限り、英語かフランス語で思考しています。 理由は簡単です。日本語で思考するメリットがないからです。 言語は文化だと私は説明しています。 英語には日本語のような非直接的に「察してくれ」という表現をする文化は さほどないので、最初から英語で考えた方が合理的です。 フランス語には皮肉めいた表現があり(Il a beau~=~するのは美しさがある=無駄なことをする) そういうフランス文化的な考えを日本語で思考するのも、合理性に欠けるというよりは無駄です。 優劣の問題ではなく、ある言語を利用する際その言語で思考しないと 円滑にコミュニケーションし辛いと思いますが。

314h
質問者

お礼

まとめると文化によって使い分けるのであって特にそれぞれの言語に優劣はないという考えですね。 別の方への補足を引用しますが 例えばアラビア数字とローマ数字を比較した場合明らかにアラビア数字の方が明確に思考ができませんか。 目的が同じならば一定の優劣が生じてくると思うのです。 確かに相手とコミュニケーション全般を通してみれば理性的な話し方、感情的な話し方、形式的な話し方などで方向性の違いがあり、一概には言えません。 ですが感情的な表現、形式的な話し方などとジャンルを絞り込めばどの言語がどの分野において優れているといえるはずだと考えています。 何か誤りがあれば教えていただけると助かります。 ご回答ありがとうございました。

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  • snorioo
  • ベストアンサー率54% (103/188)
回答No.7

母国語以外の言語で物事を考える人などいるのでしょうか?そもそも母国語とは、そのひとが物事を考えるときに使う言語、それを母国語というのではないですか?あたかも思考と言語が別物のように議論していますが、その出発点が間違っています。 記号を用いるとしても、その記号を理解するのは言葉を使って理解するのです。数学の公式を理解したと言えるのは、それを言葉で説明出来たとき、その公式を理解したと言えるのです。言葉で理解せずに、公式に数をあてはめて答えが出たとしても、それでは公式を理解したことにはならないのです。 言語を使って思考するのではなくて、思考とは言語そのものなのです。

314h
質問者

お礼

はてなキーワードより 自分の祖国の言葉。 他にも思考の定義から心の定義まで洗ってみました。 >あたかも思考と言語が別物のように議論していますが、その出発点が間違っています。 wikipediaの思考と心のページから 広義には「心」が動くことそのものを言い、「内化された心像・概念・言語を操作すること」である ヒト以外の哺乳類も感情(情動)があると推測されることも多い。 また哲学的にいってなぜ合理的な判断をしたか?と聞かれてもあらゆるこういった質問はすべて、どんどん遡っていけば「そう感じたから」に終息することから、結局人間の思考を特徴付けている自由意志も完全!には唱えられないため動物も思考すると考えました。 上のことから言って言語と思考は別物のように思います。 定義の確認及び問題があれば再回答お願いします。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.6

人間の思考は本来、テレパシーとして伝わるものであり、言語や記号を超越したものであると思います。ただ、そのような伝達能力が顕在化していない私たちは、聞き手があると想定して特定の言語で意識化しているのではないでしょうか?

314h
質問者

お礼

質問とは関係ありませんが、個人的興味で答えます。 思考がテレパシーで伝わるというなら言語と人類の発展をどう見ますか。 >そのような伝達能力が顕在化していない(つまり顕在化している人がいるとあなたはおっしゃるわけだ) ランディのサイキックチャレンジ知ってますか?誰も証明できなかったそうです。(むしろ最終的に超能力信者がピエロにされた) ほかに科学的に行われたテレパシーの証明らしきものはありますが、言語的な情報の伝達の証明となると何もありません。 そういった懐疑的に行われた実験に基づいた証拠がない限り、宗教と同列に扱うことしか出来ません。 ただこの回答をする上で色々テレパシーと科学について調べましたが非常に興味深かったです。 ご回答ありがとうございました。

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  • mide
  • ベストアンサー率44% (333/745)
回答No.5

私の場合,日本語であれそれ以外であれ通常その会話の言語で考えます。日本語で考えると,それを外国語に翻訳するのに時間がかかるし対応する語や構文を思いつくとは限らないからです。聞くときもその言語で考えながら聞かないと話すスピードについていけないので。 言語そのものに優劣があるからというわけではありません。 自然言語でない,プログラミング言語の場合は日本語等自然言語も使いつつ考えると思いますが,日本語だけというわけにはいきません。その言語で使う語彙や構文,パターンがありそれに沿って組み立てる方が楽で速いからです。 数式もやはり日本語等を使いつつ式そのものの言語で考えると思います。数式であれば変形したり何かを求めたり,有用な推論ができるからです。ダイヤグラムや図でもそうだと思います。

314h
質問者

お礼

>言語そのものに優劣があるからというわけではありません。 言い切るのであればもう少し理由が欲しいです。 これは言語じゃなく記号の話ですが 例えばアラビア数字とローマ数字を比較した場合明らかにアラビア数字の方が明確に思考ができませんか。 例えば言語も論理的に考える時まるで数学のように~ーだから~~で故に~~~でしょ?といったような使い方をします。 私は上に挙げた理由からどうしても言語の間に優劣があるように思うのです。 アウトプットする形式と同じ形式で思考するというのは言語の利点ではなく環境による利点ですね。 ご回答ありがとうございました。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

    #1です。補足です。 >>幾何学の精神によって何かを推し進めるときにでもですか?  残念ながら僕程度の幾何学では「精神」などありません。 >>確かに普段は言語を通さず瞬時に処理されることも、結論が先に来てそれに向かって思索することもないではありませんしかし思索というものは論理的でなければならないためにどうしても言語を使っての思考になると思ったのですが、そうでない人もいるんですかね。    僕の場合を申し上げただけですので一般論にはほど遠いです。僕が頭の回転が速い未来のヒトなどとはこれっぽっちも考えていません。     むしろ、魚、両棲類、四つ足、という進化の過程で「食うか食われるか」の何千万年にわたる決闘を勝ち抜いた後に自分が来ている、だから環境を瞬時に見て取るのは、生存に必要な能力だと思っています。     「思索が論理的でなければならない」と言う前提も、反例を見れば容易に崩れます。「言語」という非論理的な道具を思考に会わせると言うのも首肯できません。

314h
質問者

お礼

幾何学の精神というのは物事の推し進め方の方法です。 特に幾何学のレベルは関係ないですよ。一応辞書にもあります。 >僕が頭の回転が速い未来のヒトなどとはこれっぽっちも考えていません。 すみません。 そのように言ったつもりはないのですが。 > 「思索が論理的でなければならない」と言う前提 辞書より→論理的に筋道を立てて考えること。なので前提と言うよりも思索自体に意味が含まれています。 ご回答ありがとうございました。

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  • ur2c
  • ベストアンサー率63% (264/416)
回答No.3

技術者あがりです. > 母国語以外(記号なども含む)を中心として思考するのはどういった理由からでしょうか? A. 母国語では表現できない,あるいはしにくいことを表現したい B. 母国語を知らない人や機械を相手にしたいとき,翻訳を省きたい からです. > 具体的に日本語と比較してどのような点が優れているか、 たとえば 1. 数式は簡潔で正確です.同じ事を日本語で考えると,冗長であいまいになります. 2. コンピュータ・プログラムには処理系が必要です.同じことを日本語で書いても,処理系がありません.(たとえあっても,それは人間だから高価です.)それなら,日本語で考えてコンピュータ言語になおすより,初めからコンピュータ言語で考えた方が経済的です. 3. 外国語で話すとき,その言語で考えれば翻訳がいりません.日本語で考えて外国語にすると,時間がかかって間抜けになり,会話が成立しません. > どのような点が劣っていると思うか たとえば数式は,理解できる人が少ないです.ですから,考えを伝達しようと思うと,翻訳を要します.

314h
質問者

お礼

>1. やっぱりそうなるんですかね。 >2. これは環境の利点ですね。 >3 言語の性質ですね >考えを伝達しようと思うと,翻訳を要します. 英語で哲学的思索したり記号で論理的思索をしたりするときも別の言語によって表現しようとすると間抜けになるんですかね? ご回答ありがとうございました。

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