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作曲の際に調性を決定する要因 (根拠) は?
皆様こんばんは。 標記の件で質問です。 楽曲/歌曲の調性はどのように決めるのでしょうか? 私なりに考えたのは以下の通りです。 1. 器楽、声楽的な制約。 (例) A. 歌手の声域に合わせて作曲する必要性から。 B. ピアノ曲で88鍵の範囲内に収める必要性から。(他の楽器についても同様) 2. 演奏者の技量に対する配慮。 (例) A. 鍵盤楽器で初/中級者に運指が困難な調性を避ける。(弦楽器についても同様?) B. 難易度を上げるために、敢えて演奏が難しい調性を選ぶ。(F.ショパンOp.10-5など) C. 「#」、「♭」が多い調性は、初/中級者に読譜が難しいので避ける。 3. 作品集全体のバランス。 (例) A. 24色一揃いにするための辻褄合わせ。 (F.ショパンOp.28など) 私の知る限り、市販の楽譜で原曲と調性が違う場合は、2-Aまたは、2-C、カラオケの曲で原曲とキーが違う場合は1-Aだと思うのですが、上記1 ~ 3のどれでもない決定要因はありますか? (平均律音階では、どの高さであろうと、和声的には「等価」ですが......) この曲の調性はこの理由で決められた、といったエピソード、薀蓄等ご存知の方、コメントお待ちしております。 # 現実的には、作曲家の「気分」でしょうか?
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平均率でも純正率でも、本来は等価なはずです。 (例えば私が曲を移調する場合は、まずその曲をだいたい覚えて、始めの音を任意の調に移調して再現すれば、あとは自動的に移調されますから、そう思います) 実際に、心理学的な実験によれば、調性によるイメージの違いはないらしいのです。 (でもこれは音楽に対して一般的な経験を持つ国立大学生を対象にした実験ですので、似たような音楽経験を持つ人を集めて実験すれば、結果も変わると思います。私も調によって感じ方が違いますから。) 調を決定する理由で、論理的な答えは、一番には音域だと思います。 ある曲を違う楽器の曲に編曲する場合は、音域に合わせて当然調も変える必要が出てきます。 また、音の高さによって、楽器の音色は確かに違います。 たとえば「G線上のアリア」はG線のみでひくことができるように、調が変えられています。 この場合は、G線だけで弾くのは難しいのですが、他の弦を使った場合よりも、音が柔らかになるため、このように演奏されるそうです。 交響曲などでも、G線でとか、A線で、と指定されることもあります。 フルートでも、高い音と低い音で音色が全く違います。これを考慮して作曲することもあるでしょう。 管楽器だと、B管、F管、C管のように、様々な種類がありますが、極端な調には合わせにくいと思います。 故に管楽器に合わせて、調を選ぶこともあるでしょう。 トランペットはある特定の音が低くなってしまうという特性があるそうです。 そのためにピストンが付けられているのですが、やはりそのような音をさけて作曲することもあると思います。 ピアノで、88鍵に納める必要があるから、というのはあるかもしれません。 ピアノは音域が広がっていった時代に、ベートーベンは音域ぎりぎりまで使って作曲したそうです。 それが調の決定に影響したことは考えられます。 というわけで、「楽器の都合」というのが一番だと思います。 調のイメージというのもあるとは思いますが、よくわからないです。 イメージについて考え出すと、音律の問題も避けて通れないと思いますし、高めに演奏する、低めに演奏する、といった違いだけでも印象は全く違うわけで、演奏者によってかなり恣意的な部分が多く、議論がしにくいと思います。
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- wolv
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音色は、基準となる音とそのn倍音の音の大きさの比率で決まりますが、楽器がある特定の大きさ形を持つ以上、鳴らしている音の高さによって微妙に音色がちがいます。よって、完全に平均律にしてあっても、調性による音色の違いはあるのではないでしょうか。 ちなみに、私は絶対音感はもっていないんですが、なぜか自宅のピアノの音だけは、1音弾いただけで、どの高さの音なのかわかります。多分、音色の違いで聞き分けているのだと思います。 この回答をしていて気づいたのですが、人間の耳も特定の大きさと形を持っているので、音源が、まったく同じ音色で音程だけ違う音を出していても、人が実際に聞いている音色は高さによって違っているかもしれません。また、大人と子供でも違う音色が聞こえているかもしれません。
お礼
コメントありがとうございます。 > なぜか自宅のピアノの音だけは、1音弾いただけで、どの高さの音なのかわかります。 自宅の麻雀牌なら、背面や側面の疵や汚れの特徴ですべて見分けられる、という人がいるようですが、それと同じようなものですか? (引き合いに出す譬えが適切でないかもしれませんが) (^-^; > 音源が、まったく同じ音色で音程だけ違う音を出していても、人が実際に聞いている音色は高さによって違っているかもしれません。また、大人と子供でも違う音色が聞こえているかもしれません。 仰る通りだと思います。 光でも周波数が違えば、視覚で感知される「色」は変化しますので。 私が見ている「赤」とwolvさんが見ている「赤」が同じである保証はどこにもありませんし、音についても個々人の聴覚に差異が生ずるのは避けられないことと思います。 **************** 以下、余談 **************** プロフィールを拝見しました。 「適正」と「適性」も追加して頂けると嬉しいです。(^-^; (なぜか、誤用例のほうが圧倒的多数派。すでに市民権を得ているのか・・・?)
- songbook
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No.2のものです。 呼び捨て。 これは大変失礼いたしました。お詫び申し上げます。 お詫びがてら、というわけでもないですが、調性とその印象、効果、意図などについて興味をお持ちのようですので、私がかつてかかわった質問を下に紹介します。 そこでの私の回答は、あくまで私の仮説に過ぎませんが、作曲者は、やはり自分にとって一番気持ちのよい、その曲に対する調のイメージを持っております。 それは、もしかしたら、作曲者本人の音楽体験が影響しているかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 Q 164977 拝見しました。 (特にNo.3が参考になりました) > 平均律音階では、どの高さであろうと、和声的には「等価」 どうやら、この軽率な発言は撤回せざるを得ないようです。 電子楽器でない限り、音程の違いは単なる周波数 (波長) の変化にとどまらず、必ず音「質」の違いを伴う、と認識したほうがよさそうです。 電子楽器なら、音質の変化を伴わない、波長のみの純粋数学的操作が可能でしょうが、スピーカの機能による制約がある以上、現実にはやはり低音/中音/高音は異質なものとなりそうな気がします。
- nabayosh
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調性は、西洋音楽において、特別な意味を持っています。その文化圏から外れた日本ではどうってことなく適当に歌いやすい調でとかいうケースは多いですが、最近ではそのニュアンスの違いがわかる感覚を持つ日本人も増えてきたので、「調性の決定」というのは重要な意味を持ってくるようになりました。 とりあえず、モーツァルトの場合というのを、ある文献から引用してみます。 ======================== ニ長調はオーケストラには最も華やかな調で、特に弦楽器に効果的です。モーツァルトはこの調を「ザルツブルク・セレナード」のほぼ全曲で好んで用い、イタリア風交響曲や序曲、また華麗さを意図したコンチェルトでも使いました。 ニ長調とハ長調では習慣的にトランペットとティンパニが用いられました。 ハ長調は格別な深遠さをたたえているため、モーツァルトは儀式的性格の作品で好んで用いています。作品としては、初期の交響曲の数曲、円熟したピアノ・コンチェルト3曲、交響曲第34番および第41番です。 変ホ長調はオペラの情緒的アリアの伝統的な調で、温かい情感と結びついています。そうした性格はシンフォニア・コンチェルタンテK364/320dと交響曲第39番に反映されていて、特に表情豊かな楽器と見なされるクラリネットがこの調でよく用いられました。 ヘ長調とト長調はより中間的な調と見なされ、円熟したモーツァルト作品では比較的使用頻度が少ないです。 ヘ長調はある種の田園風の性格と結びついています(ベートーヴェンの交響曲「田園」もそう)。 高音のホルンが一因となっているト長調の軽い性格(ホルンはイ長調や時には変ロ長調で、より際立つ)は、田舎風の陽気さと関連しています。〈フィガロの結婚〉と〈ドン・ジョヴァンニ〉の合唱がその例です。 オペラの愛の二重唱のために、モーツァルトはよくイ長調を用いました。この調は柔らかく、温かいテクスチュアを思い起こさせます。 オペラでは、ニ短調はほぼ例外なく復讐の観念と結びつけられています。とはいえ、短調はこの時期のどのような音楽でもあまり使用されず、それが用いられたときは、必ずある種の暗く、情熱的な感情を特に意味しました。 モーツァルトの時代は、鍵盤楽器でさえ平均律が十分に使用されてはいませんでした。これは調が「色合いを帯びている」ことの要因でした。そして、ある種の音程が彼の敏感な耳には受け入れがたかったことが、調の選択に影響したものと推測されます。 ======================== 鍵盤楽器が平均律になったのはそう言えば大体ショパンの頃からです。「平均」であることで厳密に綺麗なハーモニーというのを失ってしまいましたが、それが鍵盤楽器の可能性を広げたとも言えるでしょう。本来の調の持つニュアンスを追求するためには、声楽か弦楽を聞くのがいいようです。
お礼
詳細なコメント、ありがとうございます。 > 本来の調の持つニュアンスを追求するためには、声楽か弦楽を聞くのがいいようです。 なるほど、平均律でない、となると、話は一変しますね。
- songbook
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確かにこれは、それぞれの作曲家に聞く以外はないと思います。私も、たまに簡単なものを作る程度ですので、参考までに。 私の場合は、ほとんどが歌の曲ですので、Ribenrenの仮定された、1-Aのパターンが当てはまります。 ただ、(これこそ素人の勘繰りですが)ラベルのボレロに関してだけは、何か、感じるものがあります。 単純明快、同じことの繰り返し、誰にでも作れそうなのに、決してほかの人には作ることができない、ラベルの天才性を思わせるこの曲は、ハ長調です。 楽譜を見ても、調性記号がありません。 私は、彼は、楽譜上からも、調性の考えからも、一切の無駄と思えるものをそぎ落としてみたかったのではないかと思ってしまうのです。 チューリップとか、きらきら星のような、人類の宝のような、単純明快かつ、本物の音楽に、彼は近づこうとしたのではないかと思っております。
お礼
コメントありがとうございます。 > ほとんどが歌の曲ですので、Ribenrenの仮定された、1-Aのパターンが当てはまります。 呼び捨てありがとうございます。(苦笑 (^-^; (悪気があってのことではないと拝察致しますが、心中穏やかではありません........) 器楽より声楽のほうが (個人差はあるにせよ) 器質的な制約が多くなるのは致し方ないことでしょうか。 > ハ長調です。 この曲は何度も聞いたのですが、ハ長調とは気付きませんでした。 楽譜を見たことがありませんし、絶対音感もありませんので。 > 単純明快かつ、本物の音楽 ボレロの場合、最後を除いて転調が1度もない、特異な構成ですので、調性が変ると、曲の印象が大きく変ってしまうかもしれませんね。 根拠のない仮説ですが、音の高さ (周波数) によって、聞き手が受ける快/不快感が変動するのかもしれません。 で、もっとも快く聞こえる音程を中心に曲を構成した結果、特定の調性に収まるのではないかと........。
ごめんなさい、作曲みたいなことをして遊んでいるだけのシロートの意見なんですが(^_^;) >(平均律音階では、どの高さであろうと、和声的には「等価」ですが......) と書かれてますが、私的には、それぞれの調性にはそれぞれの色合いというか、雰囲気があると感じます。 こういうのも、作曲家の「気分」になるのでしょうか? (あぁ、逆に質問しちゃいましたね..)
お礼
早速のコメントありがとうございます。 > それぞれの調性にはそれぞれの色合いというか、雰囲気があると感じます。 実は........私もそうなのです。 (この質問をした理由の一つでもあります) 残念ながら、音楽理論に疎いこともあって、音の高さの違いによって、聞き手の受ける印象の差異が何に起因するのか、が上手く説明できないのです。
お礼
コメントありがとうございます。 > フルートでも、高い音と低い音で音色が全く違います。 > トランペットはある特定の音が低くなってしまうという特性があるそうです。 声楽に限らず、どんな楽器であれ、機能上の制限が必ず伴う、ということですね。 (電子楽器でも、スピーカの機能上、音程の違いは音色の違いを伴うものと思われます) > というわけで、「楽器の都合」というのが一番だと思います。 管弦楽曲についてはそのようですね。 納得しました。 > 調のイメージというのもあるとは思いますが、よくわからないです。 > イメージについて考え出すと、音律の問題も避けて通れないと思います むずかしい問題ですね。 (No.3さんが引用された考察は興味深いものがあります)