- ベストアンサー
御経について質問です
読経の大切さを解り易くお教え頂けますとさいわいです。 後、 御経の意味。 一文字一文字の御経の意味。 宗派による違いは何故か。 何故朝夕等の日々の読経があるのか。 御僧侶は修行に専門的お勉強をなされた上での読経、素人と申しますか一般人の読経との違いで考えれる事はなにか。 です。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
簡単には仏教は元々釈尊から来てますが釈尊は弟子の実力能力や人格に応じて教えを解いて行きます。 弟子は自分が教わった教えが最高の教えと思って後世に伝えます。 この弟子が沢山居て1人1人教えが違いますから後世に沢山の宗派が出来ます。 今で言う小学生には小学生に合った教えを…中学生には…高校生には…専門学生には…各々の生徒が社会へ出たら分野の違う仕事をします。 これと同じです。 御経は基本的に仏様を賛美し敬い讃えて尊敬してる文章で深く読めば人間の内なる生命現象の哲学的、生き方を解いたバイブルとも言えます。 あごん、華厳経、ほうとう経、般若経、法華経、涅槃経と有ります。 釈尊は最高の教えは法華経と明確に言ってます。 御僧侶と檀信徒との違いはこうした仏教の意味を知ってるか?…そして仏様に対する姿勢、精神…そうした事を修行等で体で体得し他人に教える人が僧侶です。 つまり経文自体は誰が読んでも意味合いは同じです。 問題は僧侶や信徒…立場で無く、読経する時の心構えや姿勢等が問われて来るのです。 僧侶は仏教に於ける信徒の自先案内人で有り、先生で有り、灯台で有り、模範でも有ります。 宗派によりけりですが僧侶は不必要との宗派も有ります。 冠婚葬祭や儀式には僧侶は必要だと私は思います。 基本的には依法不依人…つまり仏教の経文を根幹にし人の我勝手な教えを拠り所にしては駄目だと言う事です。 その模範が僧侶で有らねば成らないのです。 現実は堕落した生臭坊主、坊主丸儲け…なんて僧侶も居ます。 誰を信じて模範にするか?…です。 質問者様は釈尊ですか?…天台、誰を模範としますか?…。 法律では自由な筈ですね。
お礼
とても参考になりました。 ご回答ありがとうございました。
補足
失礼致しました補足です 模範… 宗教に関しては、深すぎて判りません。 法華経を信じているのと、信じきっているの違いと、余程以外、宗派限らず他宗への敬う思いはあるからでありましょうか。 あと、模範と申しますと、 揃いながらにして奇妙な思想に固執し、心を故意に乱してきた罪深き鈍化思想の権力に他人様方々、どこそこ限らず、模範にする様な事は到底微塵もございません。 それら奇妙な思想により、心等犠牲になった事柄は多すぎますから。 ありがとうございました。