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予測における確率の表示と依存度の違い
近未来への予測が確率で表されている場合 そこには確率と、それに伴う精神的依存の度合いが同時に存在すると思われます。 確率の度合いと、それに依存する度合いとは、必ずしも比例しないように思われます。 確率の表示形式の違いによって、依存の度合いが大きく変化してしまう、といった事があるのではないでしょうか。 たとえば 70%という表示と 70.01%という表示の違いです。 予測情報の表示形式の違いと、それが与える精神的依存度のゆらぎ・・・とも言えそうです。 そのへんのところをお聞かせ下さい。
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- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
hetanosukeさま、こんばんは たとえば、「「~」によれば、」というようなことが、ありそうです。 ・・・「kurinalによれば0%」でも、「hetanosukeによれば100%」 では、雨具の準備をしない者は、居ない道理でしょう。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ★ 近未来への予測 ☆ この主題じたいが 問題です。 ★ 確率 ☆ の問題ではありません。ましてその表示は それがいかにあれ 問題外です。 自分は どうするか。これに 問題は 尽きます。 そのときにも 予測は それとしてともなっています。 それだけのことです。 ★ 依存度 ☆ は 問題外の問題外の問題外です。 と考えます。 どうしたの?
お礼
お元気でなによりです。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
決定論的な立場に立てば、物事の未来は本質的には 決まっていて、ただ情報不足や分析力の不完全さに よって、未来は不確定になっているとされました。 これによれば、ある現象の起きる「確率」とは、 情報の不足によって生じるのであり、ご指摘の 「70.1%」の小数点以下の精度を高めれば、同時に 確率も上がります(70.10%ではなく80.00%になる)。 しかし量子力学の不確定性原理において、そうした 確定性こそ二次的なものであり、存在の本質は確率 的なものである事が明らかとなりました。 ある粒子の未来の位置を決定するには、その粒子の 現在の位置と運動量を把握せねばなりませんが、 その2つの値の不確定性が相補的=一方を確定しよ うとするともう一方が無限不確定性(=無)に発散し てしまう、というのが不確定性原理です。 その不確かさを、冒頭のような観察手段の不完全さ に由来するもの、と批判する一派もありましたが、 たとえば2本のスリットを通して、向こうのスクリーンに 電子を飛ばすと、1個単位で電子を飛ばしても、痕跡の 集まりがスクリーンに次第に描くのは、2本の帯ではなく 干渉縞である事で、決定論は息の根を止められました。 即ち、スクリーンに1つずつ消えていく電子が、それ以前 に消えていった電子の場所を覚えていて、皆で協力して いるか、1個の電子が、2つのスリットをそれぞれ通った 確率同士が干渉しているか、だから。 それゆえに「確率」という言葉は、本質的な不確定性と、 判断のための情報不足による不確かさの2つが生じる のです(その「認識力の不確かさ」によって、原理的に 無限不確定に発散するところを、階層現象表面的に 適当に(経験的に)捉える事で、有限的存在性を派生 させている)。
お礼
ありがとうございます。 >「確率」という言葉は、本質的な不確定性と、 判断のための情報不足による不確かさの2つが生じる 押えておきます。
- kannzou001
- ベストアンサー率22% (49/216)
>たとえば >70%という表示と >70.01%という表示の違いです。 これは見る人の精神的影響は、明確に異なります。 これを実際に活用されている例は、アルコール0%の飲料商品です。 「アルコール度0.00%」と表示されていますが、何故「アルコール度0%」では駄目なのかは、見る人の印象として、本当に0%なんだという事を印象付けるからです。 これは、同じ0%と表記されても、「0.4%。四捨五入により0%と表記」と言う事は可能です。そのため見る人は「本当に0%?」と言う疑いを持ちます。しかし、「0.00%」と表記する事で、その疑いを払拭する効果があるのです。 疑いを持つ要素がなくなるという事は、悪く言えば、例えその飲み物が0%でなくても0%と信させてしまう効果があるという事です。 確立に限らず、その数字を盲目的に信じてしまうと言う危険性があります。 70%の確立。と聞けば、感覚的で適当な確立なのかなと思いますが、70.01%と聞くと、統計から算出された正確な確立なのかなと思ってしまいます。
お礼
ありがとうございます。 消費税の始まりが%という表示形式への始まりだったように思います。 それは私達に無感覚なまでに植え付けられてしまったようです。
補足
関係すると思われる事柄を補足します。 表示された確率とは 確率そのものではなく 表示形式というフィルターを経た確率です。 確率そのものは機械的に算出されたものであったとしても、表示形式を決めるのは人間です。 確率を情報として提供する場合においては、必ず表示形式の選択が求められてくると思います。 それは、情報を受け取る側の有用性における依存度、への配慮によって決められてくるのでしょう。 以上の見方からすれば 情報の表示形式とは、その内容と等しいほどの重要性を持っているはずです。 表示形式を分析すれば、そこにどのような人的配慮がなされているかを理解できる可能性があります。 この事は、予測における確率に関してのみならず、情報全般についても同様であると思います。 表示形式を読み解くことが、情報を提供する側の配慮を知る手がかりになるはずです。 その配慮とは段階的な要素のあるものではないでしょうか。 また、そこには情報を提供する側の責任の所在や、その度合いというものも含まれているように思います。
- littlekiss
- ベストアンサー率14% (98/698)
●たとえば 70%という表示と 70.01%という表示の違いです。 ↑ これって… 消費期限と賞味期限のちがいみたいな感じ? 「キッパリ」と「だいたいやねー」 みたいな?
お礼
ありがとうございます。
- Tefu_Tefu
- ベストアンサー率27% (87/322)
こんばんは。 私は、いつも疑問に思うことがあります。人間の寿命はどんなに長く生きても130年程という100%近い事実があるのに誰もこのことに動揺しないのは何故でしょう。自分だけではないという、集団心理なの?数なの?神(独裁者)が過ちを犯していたらみんな滅んでも平気とか?それとも、新しい遺伝子が必要とか?個も多数も自然界では、同じ確率のはずなのに。ああ~人間の限界を感じる今日この頃なのです。ああ~無常・・・ん・・・なんか違う(笑) 将軍様は、トウモロコシが沢山収穫できるように30cm間隔で植えていたのを、15cm間隔に植えさせたとか。これにより、日光や水や栄養が少なくなり収穫量が少なくなったとか。確かに、人間は沢山飢えたのでした。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 降水確率は・・・ 気象庁の予測がそのままメディアを通して発表されます。 表示形式は誰にでも分かりやすい そしてこれ以上は望まないというぐらいにまで区域別・細分化されている 誰もが納得する形で発表されています。 政治的配慮は無しです。 これがいい。 フィルターが少ないほど信じられる。 観測体制の直接発表に近い 政治的配慮という、曖昧さ、無責任なデタラメさを承知で聞く情報は虚しい そう感じる人達がもし居たとするならば 不確実な別情報が有効性を持つ機会があるかもしれない だが そういう機会はできれば訪れないほうがいいのです。 それだけは確信を持って言えます。
補足
hetanosukeの保護者より皆様方へ hetanosukeという野蛮人に、これ以上、言葉という道具を与えて放置する事は危険であると判断しましたので、収監する事と致しました。 仮釈放の予定は未定です。 長い間、皆様方にはhetanosukeを可愛がっていただき誠に有難うございました。 この場をお借りして御礼申し上げます。 メモ書がありましたので、一応下に載せておきます。 それでは皆様方もお元気でお過ごしください。 ありがとうございました。 もう一度・・ 希望ではない新しい時間の意味は、 踏み出した時に与えられる 雨や風の意味が時には伝えられるように それは新鮮で 幼い頃の時間の質と変わりないものだと、 信じているから