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醍醐味って自分本位な表現?
醍醐味って自分本位の表現でしょうか? 「○○○○では、○○○するのが醍醐味!」 ↑自分は満足かもしれないけど、一方迷惑な人もいる。 もしくは、やせ我慢(無理)している。 ”程良い”がやや超過した状態?
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#1さんがおっしゃっているとおりで、醍醐味そのものは「 物事の本当のおもしろさ。深い味わい」といった意味なので、自分本位であるかどうかは関係ありません。 ある人が本当に面白いと判断したら、それがその人にとっての醍醐味です。 たとえば、「スーパーでは万引きするのが醍醐味」「スーパーでは店員と親しく話をするのが醍醐味」「居酒屋では会計をごまかすのが醍醐味」「居酒屋では赤の他人と仲良くなれるのが醍醐味」など。 前者は「買い物をする」、後者は「お酒を飲む」がそれぞれ【一般的な面白さ】でしょう。 それに対して【本当の面白さ】は別にある、と言いたいときに使う言葉です。 自分本位(自己中)で迷惑なことかもしれませんし、公的な理解を得られる良いことかもしれませんし、つまり、どんな場合にも使えます。 以上が直接的な回答です。 >安く売られているものを卑しく値切るのを醍醐味という言葉効果で誤魔化している気がしたのです。 : それは言えるかもしれません。 面白い分析です。 しかし、それは「自分本位(自己中)なこと」に醍醐味という言葉を使うことには違和感を覚える、という質問者さんの感覚、あるいは価値観の問題です。 先にも触れましたが、どんな場合でも、当人が「一般的な面白さに対して、これこそが本当の面白さだ」と感じたら、それはその人の醍醐味と表現することができます。 『「美しい男性」という表現はやめてほしい。「美しい」は女性に対して使われるのがふさわしい。』 といった感覚と似ているかもしれません。 「美しい」という言葉自体の用法が間違っているわけではありません。
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- hakobulu
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#4です。 >「価値観の違い」「生理的に無理」 ↑こういう逃げ方が嫌いなのです。 醍醐味にもそれに近い臭いを感じたのかもしれません。 : おっしゃりたいことはわかります。 ただ、それは、価値観・生理的・醍醐味といった言葉自体の問題ではないはずです。 要するに「言葉で逃げる」という、その精神性が嫌いなわけでしょう。 ですから、ある言葉が逃げのために使用されているのであれば、それがどんな言葉であっても似たような感想をお持ちになるのではないか、と思います。 ただ、熟語というものには抽象性が伴いがちなので、そういった感覚を喚起しやすい言葉なのかもしれません。
補足
ありがとうございます。 精神性まで行くと、ちょっと気持ちと合わない気がします。 追求するとそうなのかもしれませんが。 自動車でも嫌いな車種や車体色はあり、その車種ではなく、所有者のセンスが嫌い。。 というと。。 いや、やっぱりその車種かな。みたいな。
- tetsumachi
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No,3の回答者です。いただいた補足に回答いたします。 >・『自分本位』というより『自分ならではの楽しみ方』 >・『自分ならではの楽しみ方』というより『自分本位』 >どちらも成立しそうな気がします。 >人生は『自己中』にするのが醍醐味というのも成立しそう。。。 すべて言葉としては成立すると思いますよ。 後半に上げた3つの例も、本人が「オレはそれが醍醐味だと思っているんだ!」と言えば言葉としては成立しますね。 「楽しさ」という主観に寄るわけですから客観的な基準はないです。本人が主張すればそれが「醍醐味」となります。 ただし、言葉として成立しても、そんなことを主張する者は社会人として成立しない、ということです。 言葉は意思、気持ちを伝える手段ですので、この場合、言葉が正しくてもその意思が「間違っている」と判断されます。 価値観の相違、音楽性の違い、意識の低さ・・・これらはすべて主観ですので主張されれば他人には否定不能です。 それをいいことに安易に使うことへの質問者様の疑念には賛同します。 より正確な言葉を使うよう心がけるとともに、言葉の真意を読み取るようにしなければいけませんね。
お礼
ありがとうございます。 今回、皆様にお付き合いいただき、モヤっとした疑問をあらためて見つめ、 貴重なご意見に勉強させていただいた気持ちで感謝いたします。
- tetsumachi
- ベストアンサー率23% (3/13)
『自分本位」』というより『自分ならではの楽しみ方』という感じではないでしょうか。 ・夏にこそ熱いものを食べるのが醍醐味 ・映画は映画館より家でゆっくり見るのが醍醐味 ・ゲームはわざと不利な条件で挑戦するのが醍醐味 自分独自の楽しみ方を知っている、というのは生活を豊かにする一つの方法だと思います。 ただし、おっしゃるように人に迷惑をかけるのはだめですね。 ・音楽は近所まで聞こえるくらいの大音量で聞くのが醍醐味 ・スポーツカーは150km以上で走ることこそ醍醐味 ・3日間風呂に入らず一気に汚れを落とすのが醍醐味 こんなのはただの『自己中』、迷惑なだけですね。
補足
ありがとうございます。 ・『自分本位』というより『自分ならではの楽しみ方』 ・『自分ならではの楽しみ方』というより『自分本位』 どちらも成立しそうな気がします。 人生は『自己中』にするのが醍醐味というのも成立しそう。。。 仰る後半の3例は醍醐味の使い方として間違いなのでしょうか。ありなのでしょうか。
- born1960
- ベストアンサー率27% (1223/4397)
その「醍醐味」を経験した人の多くが賛同するような事柄が醍醐味って言えると思います。 迷惑というような負の印象はありません。 もっとも、その事柄を「醍醐味」と称す人の中には、一時流行った言葉「トレンド」だとか「必須アイテム・マストアイテム」のような胡散臭さも感じさせることがあるので、質問者さんもそういう例を思い出したかもしれませんね。
補足
ありがとうございます。 「フリーマーケットは値切りこそ醍醐味」という言葉に違和感がありまして質問しました。 多少やせ我慢な部分も抱えながらの”醍醐味”の方がピンとくるというか。 上記では、自分にとっての利のみ受け容れる”醍醐味”な気がしたのです。 なので、 「欲丸出しで非常識な交渉をして恥をかくかもしれないけど値切るのが醍醐味」 「ついムキになってしまい無茶な額を強要してしまい怖いオッチャンに裏に連れて行かれるかもしれないけど値切るのが醍醐味」 の方が、醍醐味の用法ぽい気がしました。 安く売られているものを卑しく値切るのを醍醐味という言葉効果で誤魔化している気がしたのです。
- hunaskin
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>醍醐味って自分本位の表現でしょうか? 違います。 本来は「最上級の美味しさ」をあらわす語句です。 それが転じて趣味嗜好の奥深いコクのある楽しみ喜びをあらわすのにも使われるようになりました。 質問者様は自分本位の表現のように感じられる使い方を目にする事が多いのかもしれませんが どのような感情表現でも自分本位な表現にはなり得る、というだけのことです。
お礼
便利に使ってるのでは?と思いました。 ありがとうございます。
補足
ありがとうございます。 私は言葉に委ねる誤魔化し方が嫌いなのかもしれません。 「価値観の違い」「生理的に無理」 ↑こういう逃げ方が嫌いなのです。 醍醐味にもそれに近い臭いを感じたのかもしれません。 しかも、価値観、生理的、醍醐味には、無理やり言い切る強引さも感じます。 たぶん、使う人も自分でもよく解ってないけど、通用する言葉として便利に使ってる感あります。 似たものに「それ以上でもそれ以下でもない」もあります。 言ってる方は満足かもしれませんが、言われた方が煙に巻かれた気分です。 それが「自分本位」なんじゃ?という気持ちなのです。