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何でも、ためらいなく経験できる方がよいという思想

何でも、ためらいなく経験できる方がよいという思想 そこまでいかなくても、そのようになれたほうがよいという思想を、どんな人が展開したことがあるのか、知りたいのですが、そのようなものがあれば教えてください。 私の知る限りでは、 ニーチェの永劫回帰 は、そういったものだと思います。 心理療法の分野や、思想、宗教の分野で、そのような思想は何かありますか?

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  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.1

参考になれば。 デイヴィッド・ヒュームは、経験主義の懐疑論者ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A0 「自己とは諸状態の集合に他ならぬ」といい、 「存在するとは他物とともに縫い上げられ経験の織り目に捉えらる」という。 感情、記憶、心像も知覚も精神は物事と共に縫い上げようと試みた。 かなり?勇敢な破壊的な主張だったみたいで、「ヒュームのいう経験主義の再建に関しては無邪気だ」とフランスの哲学者アランは批判もしてましたけど。 アランは精神分析を疑った人ですからね。 言葉しか見つからない自己の内に、厳しい繋がりがある、止まった性格を受けた者という 「ありもしないものを予測する技術」とまで。 「人間は人間自身にとっても得体が知れない」からで 「精神とはいかなる時でも現状に満足することを許さない完璧への要求である。」 「人間は自分を導きたいと分だけしか人間ではない」のだという。 私にすると安定した順調であった時のことはほとんど記憶がありません。 なにか体当たりして得た経験とか、トラブルやピンチだった時のことは 頭にも胸にも色褪せずに残ってる。 経験が自己保存の役に立つのなら本能で残しておくはず。 失ってしまいやすいですね。幸せ、何も求めていなかった時のこと。 辛い経験をしておいた方が今が幸せと感じますしね。

spongetak
質問者

お礼

どうもありがとうございます。ヒュームについて、参考になります。 「精神とはいかなる時でも現状に満足することを許さない完璧への要求である。」 というのがあるのですね。

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