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人類の起源が「アフリカである」の理由は?
(1)人類の起源がアフリカにあるというのはどういう理由からでしょうか? (2)そう仮定しているだけで論理的にもアフリカ以外で有り得ないとの証明がされていない常識論的な説ではありませんか。
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1.遺伝子解析の結果、全人類の共通祖先が10万年ほど前のアフリカにいたらしいこと 2.類人猿と現生人類の中間形態の化石がアフリカで数多く見つかり、アフリカ以外ではまったく見つからないこと これらの証拠を矛盾なく説明できるのは、「人類の起源はアフリカである」という仮説だけ、という状況であるわけです。 それぞれの証拠についてもう少し詳しく説明します。 遺伝子解析の話は、「ミトコンドリア・イブ」の話が有名なのでご存じかと思います。 ミトコンドリアだけでなく、やはり生殖細胞を作るときに組み替えが起きないY染色体の解析もされていて、同様の結果が出ています。 つまり、全人類を母系で遡っても父系で遡っても、約10万年前のアフリカにいた人に辿り着く、というわけです。 これらの化石証拠がない時代は、「ミッシングリンク」があるため人類進化の詳細は謎である、などと言われていましたが、この数十年で飛躍的に「人類の祖先」の化石が見つかり、ミッシングリンクは急速に埋まっています。ただ、それでも全てが解明された、というにはほど遠いですが。 ただ、これらの類人猿と人類の中間形態の化石が、アフリカ以外ではまったく見つかっていないのは、「人類アフリカ起源説」の有力な状況証拠になるでしょう。 北京原人とかネアンデルタール人といった化石は、アフリカで出土しているものよりもっと新しい、いずれもホモ属に分類されるような化石群です。そしてそれらは「現生人類の祖先」である可能性は非常に低いです。比較的新しい化石では遺伝子解析が可能である場合があるのですが、それらの解析からは彼らが我々の祖先であるという仮説に対しては否定的な証拠しか得られていません。(でも交雑はしていたらしい) つまり、アフリカで進化した人類は、その中で何回かアフリカを出て世界各地に拡散したことがあったらしいのです。 ただ、最終的に「世界各地に定着する」ことに成功したのは、「ただ1回の出アフリカ」のグループである、ということが人類の遺伝子解析の結果、判っています。ネアンデルタール人や北京原人といった、「それ以前の出アフリカ組」は結局、絶滅している、ということです。 ちょっと前、「他地域進化説」すなわち北京原人やネアンデルタール人といった世界各地で見つかっている「旧人」が、そのままされざれの地域で現生人類の祖先になった、という説と、アフリカ起源説が戦っていた時代がありましたが、現在では他地域進化説を支持する証拠はほとんど何もない、といった状況です。 まあ、他地域進化説にしても、それより古い人類化石がアフリカ以外ではまったく出土しないので、結局はこれも「アフリカ起源説」なんです。出アフリカの時期と回数が違うだけです。
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Jagar39です。 どうも話が噛み合わない理由がはっきりしてきました。 論文においてMethodとResultがない論文が成立し得ても(まあその場合はそれらは他論文から引用しているのですが)Discussionがない論文が成立し得ないのは、それは科学の世界ではDiscussionこそが科学の本質であり本体と見なされているからです。 自然界の真実は直接観察できない質のモノの方が多いです。数百万年過去に起きた進化などおそらく未来永劫、直接観察することはできないでしょうし、空間が曲がっているところも直接観察できません。 それらの真実を解明したい、というのが科学の動機ですから、観測事実から理論を組み立てることこそが科学の本質であり本体なんです。観測してデータを得るのは、理論を構築する手段です。 自然界の成り立ちの真実を知るのが科学の目的であるならば(違う、と言うのなら話はまったく違ってきますが)、観測事実そのものは真実を何も語ってくれません。語るのはあくまで理論です。 永久に変わらないのが科学なのではなく、間違いを繰り返しながら真実に近づいていく行為が科学です。 だから結果的に「間違っていた」理論も、科学史の中では価値があるものという扱いを受けることがあるわけです。 それは別に私と質問者さんの価値観や哲学の違い、という話ではなく、科学が何のためにこれまでどうやって積み上げてきたか、という普遍的な話です。 そこのところが一致しないと、話が噛み合わないのは当然で、「観測事実こそが科学の本質」という価値観を持つこと自体は自由ですが、それでは「科学の議論」は誰とも噛み合わないのは仕方ないです。 この立脚点が噛み合っていない以上、各論の話をするのはあまり意味が見いだせないのですが、出された質問にはレスを付けておきます。 >人類学研究の技術(車)の両輪です。化石だけでも人類学は回ります。 「両輪」というのは、普通はどちらかが欠けると上手く回らない、ということを表現するのに使う言葉です。 >化石人類に対してDNAだけで何か有意義な事が言えますかね DNA"だけ"で言わねばならない理由が不明です。 化石だけで有意義なことが言えますか? 化石の年代は物理学を応用した「理論」がなくては成立しません。 化石生物同士が近縁かどうかの判断は、「形が似ているモノは近縁だろう」という単なる推測です。それは非常に妥当性が高い推測ですが、たった1塩基の違いで大きな形態変化をもたらすこともあり得る、ということは遺伝学の方から判明していますが、化石生物の系統分析ではその可能性は無視されています。調べられないことを考慮してもムダですから。 まあそもそも、化石が「太古に生きた生物が保存されたモノ」というのも、誰かが「直接観察」したわけではないので、これも「理論」なんですけどね。 ですが、化石とDNAが揃えば、その可能性も考慮することができる可能性があります(DNAの機能解析が進むことと解析に必要なサイトのDNAが得られることが条件ですが)。 古代の生物化石では、試料からDNAが得られることは極めて希です。 人類化石だとネアンデルタール人、デニソヴァ人くらいしかホモ・サピエンス以外でDNAが得られた旧人類はいません。年代が新しくても熱帯であるアフリカのホモ・サピエンスやジャワ原人(これは古いけど)、フロレシエンスなどは全滅です。 なければないで仕方ありませんが、あれば貴重なデータが得られる、というだけの話です。 >のように条件(別の科学)次第なのですよね。DNA解析は何の結論も導き出していないのではありませんか 条件をクリアすれば結論は導けます。 >ルーシーやイブがアフリカ人というのはDNA解析が導き出した事(導ける事)ですか? ルーシーは300万年以上の化石に付けられた固有名詞です。当然DNAなど欠片も取れていません。 ルーシーがアフリカ人なのは、ルーシーがアフリカから出土したからです。ルーシー実はヨーロッパ人で、はるばるアフリカまで旅をして死んだ、という噴飯モノの仮説を成立させない限り、ルーシーがアフリカ人なのは疑えません。 イブがアフリカ人なのはDNA解析が導いた推論です。これもほとんど疑いようがなく、ほとんど確定と言って良いくらい支持されている「推測」です。 >そういう虎の威を借るような循環論法ではないご解説 虎の威、という意味がよく判りませんが、「人類の遺伝子解析をしたらたまたま起源が判った」という話ではなく、最初から人類の起源を調べることを目的として、そのために組み立てた設計で調査をした結果、起源を推測するに足るデータが得られた、という話ですよ、という意味です。 >死んだアフリカの家系が多いから「孤立」したのアフリカクラスターを樹形図上で呈しているだけではありませんか? 死んだアフリカの家系? 解析サンプルは生きている現存の人間ですから、遡った家系はどれも「生きて」いますよ。 また、「孤立」という言葉を繰り返されてますが、「孤立」はしていません。系統解析の基礎ですが、孤立していれば「起源は別」という推測になります。 >それと場所がDNA解析で起源の特定できますか? 「他の科学で得られた観測事実」を繋げば可能です。 念のため断っておきますが、前質問であった「青森と東京と長州」のような狭い範囲の場所は実際はミトコンドリアDNAの解析では普通特定できません。日本なら日本全体、くらいがせいぜいです。 年代もこまかなことは追えません。せいぜい数千年単位です。 でも、20万年の人類の移動の軌跡を追うにはこれで十分です。 「他の科学」の成果を併合するのが何故かお嫌いなようですが、人類の系統解析には現在では化石や遺伝子だけでなく、古代の気候変動や火山噴火のデータ、言語系統学等々、補強や修正に利用できそうな学問分野は総動員の感があります。 遺伝子の方も、ネアンデルタール人はミトコンドリアDNAだけでなくゲノムがかなり解析されています。ネアンデルタール人は寒冷地適応した人種なので、DNAが抽出できる試料が多いので。 でも、「観測事実の整合性を高める」上で、異分野のデータを持ってくるのはおかしいなんて、縦割り行政みたいですね。 おそらくこれ以上議論しても、立脚点が異なる以上平行線でしょう。
お礼
「科学」ではなく、わざわざ「科学の本体」と言ってるのですよ。その手間をかけているのを読み取れていない。しかも日頃「本質」という言葉を多用する私が今回「本体」と表現しているのに……。 「科学の目的」と「科学の本体」も異なります。論理構成できない知力なのですね。 「科学の目的」が「真理を探る事」だと「科学の本体」が「理論」になるのですか?中学生にでも分かるように、言葉の目的がコミュニケーションならば、言葉の本体が文法になるの???? 観測事実が目に見えない事なのですか???目に見えるよう定量化したのが観測事実なのですが……そこが分かっていない人が科学者になると科学原理主義者になって非科学的に暴走します。 >『 だから結果的に「間違っていた」理論も、科学史の中では価値があるものという扱いを受けることがあるわけです。』 「科学史」の中ではそうですよ。「科学」の中では価値がないですよ。「科学史」や「科学の本体」は、「科学の目的」とは別の話なのですよ。 >『解析サンプルは生きている現存の人間ですから、遡った家系はどれも「生きて」いますよ。』 現存していない人を遡っても生きていたという事に気がついていない。「孤立」と表現したのはクラスターに分けた動機の事です。長いこと交雑がなかったと考える関係の事を指しています。この起源を現在の人種分布から推定する論理の前提は、その「孤立」をしていたから「アフリカ人」は「アフリカ人」という具合に「出自を別々」にしている論理でしょ。 >『おそらくこれ以上議論しても、立脚点が異なる以上平行線でしょう。』 ぜんぶ循環論法です。自分で定義して、定義だけで証明している。そりゃアフリカになりますよ。 >『化石の年代は物理学を応用した「理論」がなくては成立しません。』 Jagarさんが崇拝するDNA解析の大理論を使うからアフリカだと特定できたのですか? (並行進化説の否定の話ではありませんよ。人類起源の場所の特定です。まったくDNA以外の知見に由来しているんじゃないの?) >「化石だけで有意義なことが言えますか?」 逆ですよ(笑) ★DNA解析でイブがアフリカ人である事を証明できるのですか?
Jagar39です。 >おっしゃられている意味での(統計的)「観察事実」が科学の本体に思います そうではありません。これは科学哲学とか個人の思想の問題ではなく、普遍的な問題だと思いますよ。 科学論文では「背景(Introduction)」、「材料及び方法(Material & Method)」、「結果・成績(Result)」、「考察(Discussion)」といったセクションに分けて記述するのが一般的なフォーマットですが、その中で文句なしに最重要視されるのが「考察」です。総説のような論文だと材料及び方法や成績のセクションがない論文も存在しますが(つまり自分で実験や調査を行わず、既出の論文で提出された成績を挙げて考察を加える形式の論文)、「考察」のセクションがない論文は成立しませんし存在もしません。 観察事実は、「その事実からどのような結論が導かれるか」という論理部分がなければ価値がありません。 例えばアインシュタインは「光速度不変の法則」という"観測事実"を基に、ほとんど思考実験のみで相対性理論を構築しましたが、これは「科学の本体」ではないのでしょうか。 その後、一般相対性理論は重力レンズ効果の発見(本来は太陽の陰に隠れる位置関係のはずの星が太陽の直近で本来の位置とはずれて観察されたこと)によって"証明"されましたが、この「観測事実」も、相対性理論という「理論」がなければ、単なる「星が本来の位置とズレて観測された」という"事実"に過ぎず、何の意味も持ち得ません。(そもそも"理論"があったからそのような観測系が組まれたのですが) 重力レンズも、光が曲がったというところまでは受け入れても、「光は質量を持った粒子なので、太陽の引力によって曲がった」というようなトンチンカンな考察をしてしまったら「間違ってしまう」わけでしょう? つまり、観測事実そのものが自然界の真理を語ってくれるわけではないのです。真理を解き明かすのは、あくまでも「なぜこの観測事実が得られたのか?」という「論理」です。 観測事実は確かに科学の基礎ではあります。適切な観測事実を得る、というのはそれほど易しくはないことですから、科学者としての極めて重要な資質に「適切な成績を得るための試験設計や試験の技術」があるのは確かです。 でも、観測事実は観測事実に過ぎず、観測事実だけで終わるのは小学校のアサガオの観察日記レベルまでです。 だから「成績だけで考察がない」論文は成立しないのです。 >否定できない、論駁できないから、対案がないから、正しいとは言えませんよ 言えないどころか、これこそが「科学の論証方法」です。 1つの観測事実を「説明」する方法は無数にあります。でもそれが10の観測事実になると、それらを矛盾なく説明する方法はずっと少なくなります。 導かれる理論の精度(確からしさ)は、その時点でいくつの観測事実を人類が持っているか、にかなりかかってきますが、その時点の数ある観測事実を全て矛盾なく説明できる理論が1つだけ(他の対案はどれかの観測事実と矛盾する)になったとき、その理論は「真実である可能性が高い」と認識されるのです。 その後、その理論に矛盾する観察事実が出てくるかもしれませんし、逆に補強する観測事実が出てくるかもしれません。 でも、矛盾するように見える観測事実も正しく考察すれば矛盾しないことが判明するかもしれませんし、逆に「矛盾しない」と思われていた観測事実が考察し直すと矛盾することが判ったりするかもしれません。 ある観測事実と矛盾すると思われたために棄却されていた仮説が、その後得られた観測事実から「違う理論」によって矛盾しなくなることが判明するかもしれません。 重力レンズ効果が、「光が引力によって曲がった」という理論も、光速度不変という観測事実から否定でき、結局相対性理論が唯一残るわけです。 ですから、観測事実は確かに「事実だけは」永久に不変ですが、事実だけでは何も真実を語ってくれるわけではないので、それだけでは意味がありません。 >でもDNA関連技術の発展によって解明されたという前フリ(説得法)でもって「アフリカ起源」という話題にされていましたよね 大前提は「化石とDNAは車の両輪」と説明しましたよね。 化石の出土状況という観測事実が先にあり、それだけでは「非アフリカから出土しないのはそれらの地域の非存在を証明しない」などという、かなり苦しい反論もまだする余地があったのが、DNA解析によってトドメを刺された、という表現をしていたはずで、DNA解析だけで解明されたとは書いていないはずです。 >この三人の人類の起源は青森にありますか? いくつかの前提条件をクリアすればそうなります。 1つは6つの塩基置換が起きるのに十分な時間より前からthegenusさんの家系が青森で暮らしていたこと、もうひとつは変異の数だけではなく変異サイトがそれを矛盾なく説明できるような位置であること(つまり変異の位置がバラバラであれば、それぞれの起源は異なるという結論になる)、もうひとつは日本以外の人類グルーブから私たち3家系の系統が独立していること、です。 3番目の条件については、もしそれを満たさない場合、thegenusさんはシベリアから、私は中国から、pooさんは韓国から来た、という結論になるかもしれません。 >近縁度の孤立派の家系がアフリカにいたというだけであって、人類の起源に対する古さを示していないのでありませんか アフリカの人も「孤立」しているわけではありません。 アフリカの各部族もそれぞれ10万年の間、変異しているわけですから、アフリカの人はアフリカの人でクラスター(グループ、とでもいう意味)を形成しています。アフリカクラスターとアフリカ以外のクラスターは5~8万年前に分岐していて、非アフリカの人類は全てそのクラスターに入ります。 これが多地域進化論が正しいとすると、系統樹のルーツ(収束点)がいくつも現れるはずなんです。ヨーロッパで1つのクラスター、アジアのクラスター、アメリカ大陸のクラスターが、もっと「孤立」するはず、すなわちそれらが全て収束する年代が数百万年前になり、次の分岐が10万年前、くらいの「枝」が均等に狭い間隔で枝分かれする系統樹ではなしに、それぞれの地域のクラスターが遙か昔に合流する、という系統樹になるはずです。 >アフリカでどれくらいの量の化石が発見されているのですか? 東アフリカにおける初期人類(アウストラロピテクス、アルディピクス、サヘラントロプスetc)の発見標本数、という資料があるのですが、数ははっきり述べていないものの、グラフから読み取るとおおよそ800標本数、といったところでしょうか。 東アフリカ以外のアフリカからも初期人類の標本は相当数出土していますが、非アフリカからはホモ属に属する比較的新しい人類化石しか出土していません。。 http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-6/p816-831L.pdf >たとえば分岐的の比較的「古い」家系の日本人(アジア人や西洋人よりもアフリカ人に近縁の日本人)がいた場合、その日本人はどのように移動したと言えますか 比較的近年にアフリカ人と交配した、という推測が否定されれば、説明不能でしょうね。 でも、そういう説明不能なデータが確認された、という話は聞きませんが。 この人類の系統解析は、この1回だけ行われたのではありません。Y染色体で「ミトコンドリア・アダム」を探す分析も行われていて、年代に差はありますがやはり10万年ほど前のアフリカに収束しています。 初めてこの解析が行われた1980年代と違って、現在では遺伝子断片を採取して系統解析をする、といった程度のことは経費的にも技術的にも非常に容易になっています。100人程度の遺伝子解析であれば、血液さえ手に入れば私でも50万円程度の経費さえ確保できれば1ヶ月ほどあればできる程度の仕事になってしまっています。その程度の検体数のウイルスの系統樹解析なら、現に数年前にやってますから(ウイルスでもヒトでも遺伝子断片になった状態では何も変わらない)。 ミトコンドリアDNAによる系統解析という手法も非常にポピュラーになっていますし(知人がニホンザルの移動状況をその手法で調べて学位を取ってます)、絶えずデータは追加されています。 従来のデータと矛盾するようなデータ(例えばアフリカ人に近縁の日本人、といったデータやこれまでの系統樹とは別起源の配列を持つデータ)が見つかれば、話のインパクトからいってかなり大きく報道されると思います。「定説」をひっくり返す可能性がある報告ですから。 それと、そもそもミトコンドリアDNAで系統解析をやる、というのは「起源を求める」目的で設計、計画された試験ですよ。 何の目的もなく、「現代人のDNA調査」をして偶然ひょうたんから駒が出てきた、という話ではありません。「系統解析」というのは「起源を求める」という目的だからやる手法です。 >宝来氏は形態学系の専門家ではありませんよね。 「進化」のような総合的な学問の場合、1人の学者が全てを把握できるものではありません。 でも「総説」のようなものは世間から求められますから、専門外の分野でもそれなりの勉強をした上で喋ったり書いたりせざるを得ないときもあるでしょう。 これはその当時の古人類学ではそれが「定説」であった、ということなのでは。
お礼
ご親切にありがとうございます。 Jagarさんとの質疑応答は面白いのですし、科学哲学についての議論も楽しいし、Jagarさんが言いたい事があるように私も私も言いたい事はいくらもあるのですが、そこはあまり膨らませないようにしましょう。 論文では「考察」が必須の構成要素だとしても、私がしているのは「科学」における実質的価値の議論でして、「論文」が成立するかの議論ではないのですよ。「科学」においては、MethodとResultの価値が普遍的だと思いますよ。考察を重視すると、宝田聡先生の本の考察部分ばかりに気を取られている岩波やNHK、世間一般がしているお祭り騒ぎになりかねませんよ。 相対世理論は本体(実体)にならないのでしょうね。本体は観測事実です。本体とは有益性の事ではありませんよ。なくらないようなものの事です。 >『つまり、観測事実そのものが自然界の真理を語ってくれるわけではないのです。真理を解き明かすのは、あくまでも「なぜこの観測事実が得られたのか?」という「論理」です。』 ですから自然界の「事実」を抽出するのが観測であり、「事実」の「整合性」を高めるのが「仮説」です。 遺伝子を染色体単位に分けるように長くなって行くこの質疑応答も分割した方がいいのでしょうかね。 【B1-2】 >『大前提は「化石とDNAは車の両輪」と説明しましたよね。』 人類学研究の技術(車)の両輪です。化石だけでも人類学は回ります。化石人類に対してDNAだけで何か有意義な事が言えますかね。 ★(No.3のお礼) >『起源がアフリカにあるというのはDNA解析の結果からだけで言えるのですか?』……★1★ 【C1-2】 >『いくつかの前提条件をクリアすればそうなります。 1つは6つの塩基置換が起きるのに十分な時間より前からthegenusさんの家系が青森で暮らしていたこと、』 のように条件(別の科学)次第なのですよね。DNA解析は何の結論も導き出していないのではありませんか。 ルーシーやイブがアフリカ人というのはDNA解析が導き出した事(導ける事)ですか?……★2★ ★1★、★2★について教えて下さい。 【B2-3】 (No.5のお礼とNo.6の回答) >『近縁度の孤立派の家系』 近縁度(樹形図における)孤立という意味合いです。 つまりこの具体例として青森・東京・長州のモデルを提示したのです。「青森の質問者」は「樹形図における」孤立派の家系という事です。それが人類起源の地理的分布の実際に対して意味を持ったり、与えたり出来ますか。 リンクのご紹介ありがとうございます。出土数に関しては読んでから補足します。 【C1-2】 >『 それと、そもそもミトコンドリアDNAで系統解析をやる、というのは「起源を求める」目的で設計、計画された試験ですよ。』 そういう虎の威を借るような循環論法ではないご解説をしていただけると助かります。(現存する人類のサンプルにおける)相対的な分岐点の古さですよね。アフリカ人の古さではありませんよね。死んだアフリカの家系が多いから「孤立」したのアフリカクラスターを樹形図上で呈しているだけではありませんか? 【C2-2】 それと場所がDNA解析で起源の特定できますか? 【B3-2】 >『でも「総説」のようなものは世間から求められますから、』 当時の古人類学では「定説」だったのでしょうかね。アファレンシスが直系の先祖というのは彼の頭の中の定説(常識)だったのではありませんかね。系統解析をしている人こそ慎重になれるはずだと思いますが。 総説であれ考察であれ、勝手な事を断定に書いた場合、それが間違いであれば、間違いの部分として評価されるべきですよ。土台から専門外の事や専門のDNA解析で導けない考察を一般書に載せるのならばそこはことさら慎重しないといけません。素人はその文章どおりにぜんぶ正しい物として読むでしょうから。
Jagar39です。私もあちこち本を引っ張り出して調べながら書いているので勉強になります。 >「出土していない」→←「過去に存在していない」 >の関係をどう見るかの違いでしょうね(強力さ加減は)。 単に「出土していない」というのは非存在の証明はならないでしょう。 あくまで「アフリカでは大量に出土しているのに、アフリカ以外の地域からは皆無」という2つの地域の関係性からの推測であるわけです。 (先の回答でも"大量"という表現を使いましたが、これは「件数」の話です。1件あたりの"量"は複数個体など極めて希で、それどころか1個体の完全骨格が出土することすら珍しいです。そういう意味では厳密には「大量」ではなく「多数の」と言うべきだったでしょう。まあそれらの化石を1カ所に集積すると"大量"になるのですが) 例えば非アフリカ地域から、500万年前の人類化石がたった1体でも発見されれば、その瞬間にアフリカ起源説は大きく揺らぐでしょう。そのたった1体もない「皆無」です。 化石が出土しないことをもって非存在の証明にはできないのは、そもそも化石化という現象が非常に低確率でしか起きないからなのですが、それでもアフリカでは多くの化石が出土しているのに、他地域ではゼロである、という現象に対して「他地域には存在しなかったのだろう」という以外に合理的な説明をすることは不可能だろう、と思うのですが。 もちろん将来見つかる可能性がゼロではありませんから、この知見をもってアフリカ起源説が完全証明されている、というわけではありませんが、私ならアフリカ起源説に孫の代までの財産を賭けてもほぼ確実に勝てる、と認識します。 実際には存在したのにこのような現象が起きる妥当性は、限りなくゼロに近いほど低いでしょう。 >ですから対抗馬がいなければどこまでも言えるのか、という事をお聞きしたのです 様々な事実(化石の出土状況、現生類人猿の分布、現生人類内あるいは類人猿との系統解析)を矛盾なく説明できるストーリーが1つしかなければ、それが正しいと考えられる、ということです。 科学は別に直接証明を必須としているわけではありません。そもそも直接証明が本質的に不可能な事象が数多くありますから、その場合は可能な限り傍証を集め、それらを矛盾なく説明できるストーリーを考察するわけです。これが「論理」です。 直接証明してしまえば、その瞬間からそれは「科学」ではなく単なる「観察事実」になるわけで、人はその観察事実を足がかりにして、さらに未解明の事象を「論理」を駆使して解明しようとしているのではないでしょうか? >起源がアフリカにあるというのはDNA解析の結果からだけで言えるのですか? 言えます。もちろん「100%確実に」ではありませんが、「他に妥当な対抗仮説を立てることができない」という意味で。 遺伝子による系統解析の話を詳細にすればとてつもなく長くなってしまうのですが、まず各サンプルの塩基配列の変異を調べることによって、Aという系統からBがいつ頃分岐した、という解析ができます。 それと、AやBそれぞれのサンプルの居住地情報と合わせると、分岐が起きた年代だけでなく、その「場所」も特定できます。 人口が増えてその土地では増えた人間を養えなくなって、集団の中から分派した小集団が少し離れた土地に移動して・・ということを繰り返して人類は世界中に分布していったわけですが、そうすると移動してその土地を去った集団と残った集団は生殖的に隔離されます。つまりこの集団間ではもはや遺伝子の交換は起きなくなる、ということです。 すると、移動したAという集団に起きた変異は残ったBという集団には伝わらなくなりますし、逆にBに生じた変異はAには伝わらなくなります。なのでここで遺伝的な系統が分岐するわけです。 Aはやがて同じように居残り組と移動組に分岐しながらヨーロッパに向かい、Bは同じようにオセアニアに向かうとします。もちろんその土地に留まっている集団もあるわけです。 それらの集団がそれぞれ分岐しながら居残り組と移動組に分かれることを繰り返すことによって世界中に分布してきたわけですから、それぞれの遺伝子の系統解析と居住地情報を組み合わせることによって、非常に大まかな「人類の移動と拡散の経路」を遡ることができるわけです。 その結果、アフリカに収束した、というわけです。 ミトコンドリア・イブ以前にその集団がアフリカ以外の地域から移住してきた、という「思いつきレベルの反仮説」を立てることも可能ですが、それが成立するためには、その人類集団が「種の全集団がまるごと移住してきた」という仮説を受け入れなければなりません。しかもミトコンドリア・イブがいたのは現在のエチオピア付近と推測されていますから、非アフリカから分岐もせずに中央アフリカまでの長旅をしなければならないわけです。途中で居残り組が出たり他方面に向かう分派が出れば、遺伝子の痕跡が残りますから。 ミトコンドリア・イブがアフリカ、それも中央アフリカにいたと考えられているのは、端的に言うと「最も古い系統」すなわち最も古い年代に分岐した系統がその地域に集中しているから、です。 >ところで人類の化石のDNA解析はされたのですか?? いえ、化石からはDNAは取れませんからそれは無理です。 数万年前くらいの比較的新しい化石から僅かなDNA断片が取れることがあり、それらはもちろん解析されていますが、数十万年前とか数百万年前になるとまったくもって不可能です。 「ジュラシックパーク」のように偶然でも何でも奇跡的にDNAが保存された化石が1体でも見つかれば、人類系統に関する知識は飛躍的に増えるでしょうけど。いつか見つかることを期待したいです。 >近縁度の「遠さ」が、そのまま「古さ」にすり替えらているような気もするのですが 近縁度が遠い、というのはそれだけ「遺伝的に昔に分岐した」ことを意味します。 そしてそれは、「元集団との隔離(すなわち移住による地理的隔絶)が昔に起きた」ことを意味します。 それが「古い」という意味です。 >ホモ・エレクタスとサピエンスの交雑の可能性は高いだろうとは考られないのですか 交雑が可能であった可能性は高いと思います。犬の品種よりは遙かに遠いでしょうが(犬の大半の品種は数十年から数百年の隔離に過ぎませんから)、数十万年程度の生殖的隔離では交配不可能なまでには分化しない可能性の方が高そうです。 でも、「交配が可能だった」ということと「実際に交配したか否か」ということは別の話ですから。 人類が未だに持っている他集団に対する排他性と攻撃性、人類史の中で「集団」と認識できる大きさが加速度的に大きくなっていること(つまり遙か昔はもっと小さかった)、チンパンジーなどの人類に近縁な類人猿の他集団に対する激しい排他性と攻撃性を考えると、日常的にサピエンスとエレクトゥスの交配が起きたか否かと考えれば、「起きなかったのでは」と考えた方が勝率が高いと思います。 現在のところ、遺伝子解析の結果もそれを支持しているようですし。(ただこれは将来的には修正される可能性はあると思います) >他地域並行進化説には混血説が必要になる訳ですか? ミトコンドリア・イブを否定できない限り、混血説が多地域進化説の「最後の砦」になるでしょうね。 >ミトコンドリア・イブによってどのようにトドメを刺されたのでしょうか? ミトコンドリア・イブによって解明されたのは、現生人類がアフリカ由来の1系統に収束する、ということですから。 各地域で人類が進化したのなら、決して1系統に収束するというような結果は得られません。 >「構想上の架空の女」ですよね そのとおりです。全人類が1系統に収束するというのが解析結果であり、その収束点にミトコンドリア・イブという名前を付けただけですから。 1系統に収束する、という結論も、その収束地点がアフリカである、という結論も「論理的」ですよ。 >「直系」と言っていますよ アファレンシスが「直系」というのは、現在では否定的な見解の方が多いようです。 化石による系統分析というのは、「Aという骨の形とBの形は似ている。だからAとBは近縁だ」というものなので、つまり「似ている」という「主観」が入るのです。だから別の学者が、「いや、似ていない」と反論すれば、それは主観と主観の衝突ですから結論が出ない泥仕合になるわけです。 なので化石人類の系統は、1つ新たな化石が出る度にコロコロ変わりがちです。たくさん化石が出て、年代順に多数の化石を並べることができれば、「似ている」という主観も少しずつ客観的なものに近くなっていきますから。 >DNAが取れていないのに、そのDNAの持ち主の家系が断絶(行き止まり)とか分かるのでしょうか たくさん化石が得られれば、化石と化石の年代が近くなるような化石群が得られれば、それぞれの「形態の差」は小さくなりますから、「似たものを並べる」ことによる系統分析の正確性が増す、ということです。 そうなれば、行き止まり(もうこれ以上新しい年代の化石が出てこない)系統、というのが判別しやすくなる、ということです。 ま、その後また新たな化石が見つかるかもしれませんが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 誰にでもありえる回答文のブレにすぎないのかもしれませんがJagarさんの科学哲学は私と異なるような印象です。 >『直接証明してしまえば、その瞬間からそれは「科学」ではなく単なる「観察事実」になるわけで』 おっしゃられている意味での(統計的)「観察事実」が科学の本体に思います。つまり理論は更新され土台から無用・無効になるものもありますが、観測事実はその当時の観測条件と共に永遠に有効なのです。ですから観測事実が本体です。 独善は科学者が唱えても科学未満です。科学か否かは権威対素人というような主格の問題ではありません。 >『、人はその観察事実を足がかりにして、さらに未解明の事象を「論理」を駆使して解明しようとしているのではないでしょうか?』 そうですよ。だから個々の観察事実よりもそれらを科学にするための「論理」がどの程度なのか内容をはっきりさせる事が大事です。駆使して解明する活動は科学者の作業であって、その作業における理論は、科学ではないのです。「●●だと想像している」のであればむしろ想像である事が証明されます。 ★否定できない、論駁できないから、対案がないから、正しいとは言えませんよ。科学は作業ではないし火急の政治決断の是非ではないのですからまったく急ぐ必要はないのです。そういう姿勢には堅実な科学者に相応しくない(アメリカ文化型の)やましさを感じます。 【A1-2】 ★アフリカ以外出土していないからアフリカ起源なのですよね。それはDNA技術関係ない事でしょ?でもDNA関連技術の発展によって解明されたという前フリ(説得法)でもって「アフリカ起源」という話題にされていましたよね。 【C1-1】 アフリカ人の分岐点が「相対的な」「樹形図のリテラシー」に従ったみると「(そのリテラシーの表現で)古い」なのではありませんかね。 私が青森、Jagarさんが東京、poo氏が長州に先祖代々暮らしているとしてその塩基置換数を調べたとします。「Jagarさんとpoo氏」が1つ異なる。「Jagarさんと私」が5つ、「poo氏と私が」が6つ異なる。この時、私が一番近縁度が離れて孤立しています。これを左から右に伸びる樹形図にします。樹形図のリテラシーに従って左ほどを古いとした時、私との分岐点は古い時期と表現されます。この三人の人類の起源は青森にありますか? 古さを決めているのは化石じゃないのですか? ミトコンドリアイブの話には化石を使われていませんよね。 ★この話は、近縁度の孤立派の家系がアフリカにいたというだけであって、人類の起源に対する古さを示していないのでありませんか? 【B2-2】 アフリカでどれくらいの量の化石が発見されているのですか?ご存じなければ、出土したと言うだけの事であり、集めるも集めないもなく、大量という表現は不適当に思います。 化石の量がまるで検討つかない情報となれば、あらためて別の質問投稿で尋ねようかと思います。 【C2-1】 >『それと、AやBそれぞれのサンプルの居住地情報と合わせると、分岐が起きた年代だけでなく、その「場所」も特定できます。』 「起源の場所」がなんで特定できるのですか? >『その結果、アフリカに収束した、というわけです。』 その結果、「その」は樹形図ですよね。 たとえば分岐的の比較的「古い」家系の日本人(アジア人や西洋人よりもアフリカ人に近縁の日本人)がいた場合、その日本人はどのように移動したと言えますか。 >『ミトコンドリア・イブがアフリカ、それも中央アフリカにいたと考えられているのは、端的に言うと「最も古い系統」すなわち最も古い年代に分岐した系統がその地域に集中しているから、です。』 ですよね。『端的に言うと』というかそれだけなのでは?どうしょうもないほど「短絡的論理」では?現代人のDNA調査が行われたというだけのニュースでしかないように思うのですが。つまり示唆するにしても、アフリカ起源というのをDNA調査から結論して発言してはいけないのでありませんかね。以下の「直系」発言もそうですが。こういうのをなんと喩えられるのかわかりませんが、二種類の独立した研究の一方の研究発表が、知らぬ間にもう一方のふんどしを締めている。役所の責任たらいまわし的な詭弁ではありませんかね。整合性がないままに合法づらして、まかりとおってしまっているような。 【B3-1】 >『アファレンシスが「直系」というのは、現在では否定的な見解の方が多いようです。』 宝来氏は形態学系の専門家ではありませんよね。NHKも彼の説を宣伝したのですが、1997~2001年当時、アファレンシスは直系と言われていたのですか?遺伝学者が300万年前のDNAサンプルもないのに当り前のように直系と言っているあたりに独善性を感じませんか。 質疑応答のレスポンスが早いのは有り難いのですが、水掛け論にしたくはありませんので、ごゆっくり気長にお願い致します。 わざわざ蔵書などお調べいただいたとの事、大変感謝しております。
Jagar39です。すいません。やっぱり長くなってしまいました。 >アフリカ大陸の化石人類は無条件的に「直系である」という解説がなされていませんか? いや、そういう認識はありませんけどね。 昔は「原人」→「旧人」→「新人」という、あたかも人類が一直線に進化してきたかのような説明がされていたと思うのですが、現在ではまともな本では「人類は無数の種が現れては消えていき、結局、現在の我々ホモ・サピエンスに繋がるただ1系統を残して他の系統は全て消えてしまった」という説明がされていると思います。 質問者さんが引用したサイトの下の方に出てくる系統図もそうですよね。 Au,アファレンシスやアフリカヌス、ホモ属になってもエルガスターやアンテセソール、もちろんネアンデルターレンシスやフロレシエンスといった多くの種が「行き止まり」になっていて、H.サピエンスに繋がる1本の系統を除いた他の枝は全て行き止まり、と描かれています。 個人的にはルーシーは俺の先祖、と思っていたのでアファレンシスが行き止まりなのはショックですが。 この枝葉の繋がりもどこまで正しいのか判りませんけどね。 結局、化石では形態でしか判断できないので、どこまでいっても不確かさが残るのです。 形態では、「形態的に近いモノが近縁」という基準で判断せざるを得ないのですが、たった1塩基の変異が大きな形態変化をもたらす場合がある、ということも判っているので、「形態が大きく異なるモノが近縁である場合もないとはいえないが、とりあえずその可能性は無視」というスタンスでやらざるを得ないですから。 遺伝子が取れていれば、この系統樹は非常に正確に書き直せるのですが、無い物ねだりをしても仕方ないですし。 まあ遺伝子解析も結局は確率の問題なので、「ないとはいえないけど、とりあえずその可能性は無視」という世界は残るのですが、その確率は桁がいくつも違うくらいに小さくすることはできます。
お礼
ご親切にご回答くださりありがとうございました。
補足
ご回答ありがとうございます。いくら長くても結構です。 かねてからの疑問であり、この本を読んでの質問投稿ではないですが、また読み直したついでに、宝来聡著「DNA人類進化学」(岩波書店)のP63より引用します。(1997年初版の2001年の内容です) >『その後、400万から300万年前の東アフリカにアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)が出現した。この猿人も現在のヒトに至る直系の化石と考えられ、すでに直立歩行していたが、脳容量は400ccくらいで、今のチンパンジーより少し大きい程度であった。』 (中略) >『ここまでのヒトの進化はもっぱらアフリカの中でのみ起こったものだったが、ホモ・エレクタスの系統は、最初の脱アフリカを試みた。』 (引用終わり) 見たような話ですよね(笑) 「もっぱら」アフリカの中で「のみ」というのがどうなのかという疑念を私は持つので質問しました。 「直系」と言っていますよ。 DNAが取れていないのに、そのDNAの持ち主の家系が断絶(行き止まり)とか分かるのでしょうか。
No.2のJagar39です。 別に買い被っているわけではないのですが、限られた字数の中であれもこれも書いてしまうとどうしても本筋から外れがちになったり論旨がぼやけたりしてしまうので、自分なりに書くことの取捨選択をしながら書いているつもりです。 まあツッコミどころがあれば遠慮なく指摘していただければ幸いです。 >しかしながら消去法になっていないと思うのです そうでしょうか。化石自体はアフリカだけでなく世界中で発掘作業が進められていますし、現にネアンデルタール人や北京原人といった、比較的新しいホモ属の化石は出土しているのです。 それより古い、数百万年前レベルの人類化石がアフリカ以外からまったく出土しない、という事実は事実として受け止めることは十分可能で、その知識を基に考察した場合、「人類はアフリカで進化した」という仮説はかなり強力に支持できると思います。 >対抗馬の仮説がないからと言って、どこまでも言えてしまうという訳ではないでしょう この「仮説」というのは、例えば論文化されたような仮説というような意味ではなく、想像レベルの仮説も含みます。 科学における仮説は、しばしば冗談や思いつきレベルから始まるのですが、その時点で判明している知見から考察して、「モノになりそうだ」と誰かが考えたら、それを証明できるデータを得るために新たな実験や調査を立ち上げる、ということになります。 思いつきレベルの仮説が、思いついた本人ですら容易に否定できてしまったり、識者から簡単に否定されてしまうような程度のものであれば、その「仮説」が立証に向かって動き出すことはない、ということになります。 今のところ、人類アフリカ起源説は、「もしかしたらモノになるかも」というレベルの対抗仮説すら提示することができない、という状況だと理解しています。 >でもDNAは本質的に土台部分を何も証明していませんよね 質問者さんが「本質」という言葉をどのような意味で使っているのか、私にはもうひとつピンと来ないのですが、私はそうでもないと思っています。 私は「本質」はここでは「人類の進化史の解明」という意味で使っているのですが、少なくとも遺伝子解析は「人類はチンパンジーとの共通祖先から分岐して進化した」ということは「証明」できている、と認識しています。これをひっくり返すには、遺伝学と分子生物学を根底から覆さないと無理だと。 その時期はいつか、とかオランウータンやゴリラまで含めた類人猿全体の進化史、という枝葉の部分では今後もいくらでも修正されていくでしょうけど、本質、つまり人類はチンパンジーやオランウータン、ゴリラなどの類人猿と比較的最近になって分岐してきた動物である、という部分は動かないでしょう。 ですから、実は「人類アフリカ起源説」はこの知見だけで、少なくとも思いつきレベルでは「これは大いにモノになりそうだ」という程度の確度で立証できてしまうのです。類人猿全体がアフリカの熱帯雨林を主体的に進化してきた動物で、ヒトと近縁な類人猿で現在アフリカ以外で生息するのはオランウータンだけですから。 まあ現実とは話の順番が逆ですけどね。 >結局、この科学は、化石ありきですよね DNAが残らないほど昔のことを調べる、という科学ですから、化石が主体になるのは自然なことだとは思います。 ただ、化石は2つの種の類縁関係を直接証明してはくれません。形態でしか判断できませんから、ある学者が「AとBは近縁だ」と主張しても、別の学者は「いや、AとCが近縁でBは違う」と主張しても、厳密な決着は付きません。結局、どちらが支持者が多いか、などという極めてアナログ的な過程で「定説化」されるしかありません。だから新たな化石が出土すれば簡単にひっくり返ったりもするわけです。 それに対して遺伝子は、少なくともその結果そのものは非常に客観性が高いものが得られますし、厳密性も高いです。 もちろん異なる遺伝子を調べれば異なる結果が出てきますし、そのその変異率の分母は年数ではなく「コピー回数」ですから、一世代あたりの年数をどう仮定するかで結果にかなり大きな幅が出てきます。 ですから絶えず新しいデータを出して精度を高めていく必要はありますが、化石だけでは決して判らないことが判る、というのは確かです。 ですから、進化史を調べる上では、化石と遺伝子は「車の両輪」くらいの位置づけだと思うのですが、如何でしょうか? 遺伝子の弱点は、「基本的に現存する生物の類縁関係しか調べられない」ということでしょうね。ネアンデルタール人など比較的新しい化石からはDNA断片が得られたりすることもあるのですが、数十万年前ということになると絶望的でしょう。 その代わり、現存さえしていれば、チンパンジーのような進化の過程で化石がほとんど皆無に近いような動物と類縁関係も調べることができます(熱帯雨林は極めて化石化しにくいので、ゴリラやオランウータンの祖先の化石も皆無に近いです)。 思えば、現存する「人類」はホモ・サピエンスただ1種なのですが、何種か「人類」が生き残っていれば、もっと詳しいことがわかったでしょうね。 >となると「アフリカ単一起源説」が盛り上がった時はなんだったんですかね 「他地域進化説」は元々は、もっと古い時代から人類祖先が世界中に分布していて、それぞれの地域で独自に人類に進化した、という"文字通りの"多地域進化説でした。それがアフリカから古い時代の人類化石が大量に出土するようになってほとんど死に体ににっていたのが、ミトコンドリア・イブの発見によって「ぐうの音も出ないほどトドメを刺された」という様相だったと私は認識しています。 なので他地域進化説が生き残るためには、「各地の旧人類がホモ・サピエンスと混血した」というようなところまで「後退」せざるを得なくなっています。 そんな変節までして生き残らねばならないのだろうか・・・?と甚だ疑問に思うところですが。 そもそもオリジナルの他地域進化説だと、それぞれの地域の人類は少なくとも数百万年前に分岐した、ということになるわけですから、それらの動物が揃いも揃って自然環境も大きく異なる地域で「人類」に進化して、しかもそれらの人類が互いに交配可能である、というむちゃくちゃな論旨になってしまうわけで、さすがにどこをとっても無理、という気がします。 「全ての生物の進化の最終目標は人類」という古~い価値観の亡霊のような説だと思うんですけどね。 ただ、ミトコンドリア・イブが発見された(発見、というのもちょっと変な表現ですが)時点では、他地域進化説は「ホモ・サピエンスになる前の旧人類が出アフリカして世界中に分布し、彼らが各地域でホモ・サピエンスに進化した」という形で辛うじて生き残っていたわけです。まあこうなると単に「時期が違うだけのアフリカ起源説」に落ちぶれてしまってはいたのですが、それでも辛うじて生き残っていたわけです。 それがミトコンドリア・イブによってほぼ完全にトドメを刺された、という出来事だった、と思います。 各地の旧人類がホモ・サピエンスと交配することによって、各地域の人種を形成したのだとすれば、多地域進化説論者にとっては「勝った」と主張しても良い展開だったでしょう。オリジナルからはだいぶ変遷してしまってますが、それでもオリジナルの面影は残っていますから。 ミトコンドリア・イブとそれに続く詳細な解析結果は、その可能性もほとんどゼロに近くしてしまったわけで(完全に世路になっているわけでもないとは思いますが)、議論がそういう一般人にはちょっと判りにくいところに行ってしまっていたので世間的なニュースは「アフリカ起源説の勝利!」というニュアンスは薄かったとしても、学問の世界では勝負を決定づける意義はあったと思います。 現在、旧人類との混血がなかったわけではない、という知見も得られていますが、今のところそれが多地域進化説の復権に繋がるようなこともないようです。 例えば、犬に例えるとラブラドールとハスキーを同数混ぜて自由に継続して混血させると、集団はやがてラブでもハスキーでもない新たな形態の犬になるでしょう。それが各地で起きていたのなら多地域進化説にも正当性がある、ということになるのですが、ハスキーの集団に1頭だけラブを入れて交配させても、世代を重ねるとラブの形態は消えてしまってやっぱりハスキーはハスキーのまま、です。 今のところ、もし混血が起きていたとしてもその程度の域を出ていないという知見のようですから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 討論目的ではありませんので、勉強させて下さい。 (A1-1) 「出土していない」→←「過去に存在していない」 の関係をどう見るかの違いでしょうね(強力さ加減は)。 私には、あくまでも「出土している」→「過去に存在していた」(だろうが強力な)だけなのです。 ですから「過去に存在していた」に対して不支持ではありませんが、「アフリカ起源」の強力な支持には至らないのです。 >『、「もしかしたらモノになるかも」というレベルの対抗仮説すら提示することができない、という状況だと理解しています。』 ですから対抗馬がいなければどこまでも言えるのか、という事をお聞きしたのです。対抗仮説の有無ではなくて、アフリカ起源説自体に、アフリカ以外に存在していなかった事の説得力が必要なのです。 (B1-1) >『、化石と遺伝子は「車の両輪」くらいの位置づけだと思うのですが、如何でしょうか?』 はい。いい喩えだと思います。 私が言った「本質的に土台部分を」とはDNAの情報だけでは、起源の地域探しにおいて、まったく価値を見出せないのではという事です。起源がアフリカにあるというのはDNA解析の結果からだけで言えるのですか?化石の方は化石の出土だけ言えますが。 ところで人類の化石のDNA解析はされたのですか??化石から得たDNAとの近縁度ではなかったのですか。 (B2-1) 宝来聡著「DNA人類進化学」(岩波書店)の中では、ウガンダ人がかなり初期の頃、分岐しているとありますが、そういう事から言えるのですか。化石人類の場合はどうなるのでしょう。 (非アフリカ地域の人からの)近縁度の「遠さ」が、そのまま「古さ」にすり替えらているような気もするのですが。 >『アフリカから古い時代の人類化石が大量に出土するようになって』 大量に出土したのですか?出土は一体二体という感じなのかと思い込んでいましたが。 交雑に関しては本題にしていなかったのですが、ホモ・エレクタスとサピエンスの交雑の可能性は高いだろうとは考られないのですか。品種程度の差じゃないのでしょうか。たとえば交雑可能な犬種における形態・DNAの差はもっと大きいような気もしますがどうなのでしょう。 ここで申しておきますが、私は「他地域並行進化説」の支持者ではありませんからね。 他地域並行進化説には混血説が必要になる訳ですか? ミトコンドリア・イブによってどのようにトドメを刺されたのでしょうか? ミトコンドリア・イブは化石人類や考古学とはまったく別の話なのですよね。 「ミトコンドリア・イブ 」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96 >『カリフォルニア大学バークレー校のレベッカ・キャンとアラン・ウィルソンのグループは、できるだけ多くの民族を含む147人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した。これを元に彼らは全てのサンプルを解析し系統樹を作成した。すると、人類の系図は二つの大きな枝にわかれ、ひとつはアフリカ人のみからなる枝、もう一つはアフリカ人の一部と、その他すべての人種からなる枝であることがわかった。これはすなわち全人類に共通の祖先のうちの一人がアフリカにいたことを示唆する。このように論理的に明らかにされた古代の女性に対して名付けられた名称が「ミトコンドリア・イブ」である。』(引用終わり) 「論理的に」の樹形図の最初の分岐点を見つけた、その分岐点の”上方”に(147人以外の)人類の母を想定できるというという(骨もDNAもない、樹形図上にもない、樹形図という想起されたモデルからさらに想起された)「構想上の架空の女」ですよね。 「論理的」なのはそのモデルを創る作業が機械的だったということであり、アフリカにいたという結論(示唆)が「論理的」だった訳ではありませんよね。
- poomen
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「論理的」って意味がわかってらっしゃらないようですね。 化石およびDNA解析の研究によるものです、論理的というより「かなり実証的な仮説」です。唯一の真理であるとはとはまともな学者なら誰も断定はしていませんよ。今のところこれに勝る「仮説」がないのです。 以下をご参照下さい http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/jinrui-01.htm
お礼
>『「論理的」って意味がわかってらっしゃらないようですね。』 poomen氏の方がわかってらっしゃらない。 カラスはトラですか?と聞くのが非論理的か? その説は論理的に証明できていますか?という質問が非論的か?実証的でさえあるだろう。 リンクはありがとう。いらっしゃるかどうかは想像なんだから発表しないのが科学者です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 だんだんご回答が独善的になられていくので一番最初がBAです。 この分野は拡張解釈が甚だしいと思いますので、より正確な見解を求めて、また質問します。 今後とも宜しくお願いします。
補足
この度はご親切にご回答ありがとうございます。 Jagarさんの1.2.の箇条書き、私の認識もそんな感じです。 (A-1)しかしながら消去法になっていないと思うのです。 見つかった化石がアフリカという事ですから。 対抗馬の仮説がないからと言って、どこまでも言えてしまうという訳ではないでしょう。 (B-1)この方面の話題は、DNAなどの分子生物学(解析技術)が進歩して解明されてきたなどという文脈で紹介されますよね。でもDNAは本質的に土台部分を何も証明していませんよね。結局、この科学は、化石ありきですよね。言ってみれば、科学的(=厳密な議論)には、「人類の起源」ではなくて、あくまでも「化石人類の起源」という表現にとどめながら議論や話題にされるべきではありませんかね。科学を振興する社会の節度・責務としても。この分野はとりわけ冷静な科学じゃなくなっていると思うのです。 (B-2)(アフリカが人類の誕生の地であるという仮定の中では)ご回答の最後の段落の一文、その意味「どちらにせよアフリカ起源」になりますよね。 となると「アフリカ単一起源説」が盛り上がった時はなんだったんですかね。それまでは北京原人の化石がある事から北京(中国)起源説のような対立候補があったというのを踏まえないとあの盛り上がりはおかしいですよね。世間は多地域並行進化説が否定された事を驚いた訳ではありませんよね(笑)僕らの先祖はアフリカにいたのか!ですよね。ご回答の一文と同じ事が当時なぜ聞かれなかったのか。「人類の起源はアフリカ」で世間が沸いた時に「皆さん興奮されているようですが、とっくの前からもともと人類の起源はアフリカ起源説だったのですよ」との解説がありませんでしたよね。 あの発見は、たとえば、アフリカから遠く離れた我々日本人はホモ・エレクトス・ ペキネンシスやホモ・エレクトス・ エレクトスの子孫じゃありませんでした、というだけですよね。それじゃあ世間的なニュースにならなかったと思います。「アフリカ(単一)起源説」はたぶん当時のニュースの科学部門においてトップの座を得ていると思います。 (A-2)(地理的に分散している)多地域並行進化説が否定されたのは結構なのですが、(地理的にアフリカ大陸に集中している「だけ」の)アフリカ単一起源説もまた直系議論で否定される得るべき部分が大きいのではありませんかね。アフリカ大陸の化石人類は無条件的に「直系である」という解説がなされていませんか?いいんですかね。 できればお前このぐらい知っているだろうと買いかぶらずに基本的な知識を割愛なさらずにご解説していただけると助かります。 ネットで見つけた資料として。 「人類進化の系統樹」(FNの高校物理) http://fnorio.com/0080evolution_theory1/Evolution_of_human_beings1/Evolution_of_human_beings1.htm