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太宰治の「ヴィヨンの妻」の大谷の妻について
大谷の妻、椿屋の、さっちゃんはどのような女性だと思いますか。 本当はしたたかな女性でしょうか。
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- 小林 哲夫(@kobatetu01)
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この話は光源氏を連想すると解り易いと思います。 大谷はとにかく「もてる男」で、自分の好き勝手に生きています。 (もてない男は、到底こんなことは真似できません。) もてる男にとっての自由な生き方とは、多くの女性と付き合うことだと思います。 これは出来るだけ多くの子孫を残そうとする動物の本能です。 しかし考えてみると、死にたいと思っている男が、子孫を沢山残す行動をとっているのですから、全く矛盾もいいところです。(私の新説) さて自由に自分の思うままの人生を生きようとしている男の「妻」はどういう生き方をしたら良いか?と言えば、同じく平等に、自由な生き方をするのが良いのではないでしょうか? 男だけ自由に生きられる、と言うのは不平等だ、こういう女性差別を否定して、女性の自由を実現した生き方を書いてみよう、と作者は思ったのではないでしょうか? 因みに女性は優秀な子孫を残したいと言う本能から、優れた男性とは浮気をしたいと言う本能がある、と認めるのが、平等の思想です。 こういう意味で、作者はなかなかのフェミニストだと私は思いました。 貞潔などという世間の道徳を無視して、夫婦ともに、つまり男女平等に、自由に、自然に生きよう、と言う提案だと思います。 それを死を覚悟した人間が主張するのですから、世間の人間が道徳的に非難しても意味が無い、という完璧な論理になっています。
- 31192525
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yamadakazutaさん、こんにちは。 私はこの意見に賛成します。付け加えることがありませんのでそのままリンクします。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7399529.html >本当はしたたかな女性でしょうか。 「したたかな」=(1)手強い 非常に強い (2)しっかりしている (1)=違いますね。 (2)=そうかもしれません。
- thegenus
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したたかさも何もない私たち夫婦はただ生きていればいいのよと生きる女性でしょう。 本当はしたたかという発想はどこから来るのでしょうか。 断れなかっただけだろう親切心が仇となった姦通を報告しなかった事ですか。