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デジタル著作権管理について

現状の技術の詳細内容もあまり知らないのですが、 オンラインのみでライセンス管理をすると、メディア依存 (独占)になるのではないでしょうか。 著作物の独立(メディアからの独立も考えると)を考える場合には、 結局なんらかの物流をかませるか、世界標準が必要になるのでは ないでしょうか。しかし世界標準には、利権が発生しますし、 いまのところセキュリティはいたちごっこです。 個人的には物流かませ案(セキュリティ全般についても)が直感的 にいいんじゃないかと感じているのですが、 とっても無知な部分なので、やさしく教えてください。

みんなの回答

noname#221368
noname#221368
回答No.7

 #6です。 >「・・・そんな事言ったら、あんたも含めた俺達の仕事を否定してるよ・・・」 は、あなたに向けて言った言葉ではないです。こちらこそ誤解させてしまったようです。すいません。私の同僚であるPMへ発した言葉です。 >ユーザーはプログラムを欲しがっているわけでは、ないですよね。 >「あることをやりたい」または「あることの手間をはぶきたい」わけですよね、なんらかの道具によって。 と言いたかったんです。そこにユーザー目線だの開発者目線だのを持ちだせば、PMも働いているIT業界そのものを否定する事につながるよ。  「それがわかんないのかい?」 と。なので、この前の後半は、本当に愚痴として忘れて下さい。  ところで、以上のような理屈っぽさから、もうお気づきと思うのですが、 >革命はわこうどのちからでなされなければなりません。  私のプロフィールを読んで頂ければわかりますが、ふと自分の歳を思い出して、苦笑しました(^^;)。 >ユーザーが希望するなんらかのことを妥協する。  妥協はしません。少なくとも騙します!(←胸張って言うな)。妥協したら納品できないからです。   「言われた通りではないですが、こうすれば同じですよね?」、・・・と。 _(~~)_;;(←スイマセンエンジニア) 多くは予算の問題です。 >シンプルにしたいんだったら、ハードから考えていくのが一番いいのはではないでしょうか。  そうです。シンプルにしたいんだったら、シンプルで設計の良いハードやOSを選択するのも、ITアーキテクトの仕事です(・・・でも、予算がぁ~(^^;))。  この延長上にあるのは、全てのユーザーアプリを、ハードウェアやOS(WindowsやLinux)レベルで実現すれば良い、という事でしょうか?。そうだとすれば、これは夢です。全ての仕事したくないプログラマーの願望、プログラム自動生成プログラムのような・・・(ちょっと違うか)。  夢へのブレークスルーは、本当に神の手のように、ときどき現れます。自分は、PCもインターネットもない時代、コンピューターが電子計算機とか(電子頭脳とか)呼ばれてた頃から、この世界でバイトしてました。おかげで日本での全歴史を見れました。  現在総称してOS(オペレーション・システム)と呼ばれるプログラムは、当時の開発者にとって、夢のプログラムだったんです。昔は、キーボードの文字をモニターに表示させるのすら、自作のプログラムで行うような時代でした。一般ユーザーという層が、存在しなかったんです。OSが世界的な業界標準になったおかげで、PCはここまで普及します。そしてインターネットの普及は、PCの普及が前提です。  WindowsというOSを開発したプロパーな開発者達は、ユーザーアプリの開発を、ソフトのインストールと同じくらいに簡単にしようという理想を持っていたのは、事実です。この理想のおかげで、現在の我々はそれ以前より技術的には、なん10倍も快適なタコツボ(^^)の中で仕事をしています。ただし、プロパーな開発者達の就職先MSは、神ではありませんでした。  OSも所詮は人の作ったプログラムです。そこには版元の思惑が働きます。MSとUnixとAppleの利権争いのように。Linuxは、一つの答えであると思います。  ハードとなると、さらに難しいです。なにかのシステムをハード化すると一般に、システムの目的に特化した電気回路になって、汎用性が激減します。逆に汎用性を重視すると内容が乏しくなり、オツム悪くなるんですよ。結果現れたのが、CPUというメモリ切り換えスイッチを心臓部とした、現在のPCです。CPUは決して、コンピューターの頭脳ではありません。何も考えない、たんなるスイッチ機構です。頭脳はむしろプログラムの方にあります。プログラムを作るのは人間なので、結局この世にある頭脳は、人間の脳みそだけです。  こういう方式をプログラム内蔵型と言うのですが、内蔵してねぇ~だろう、と思う訳です。プログラムはインストールしないと駄目だからです。「内蔵させて初めて動く型、じゃないの?」、と。  しかし自動認証を独立して行うマーブルは、システムの目的がはっきしているので、可能かも知れません。物流案、大賛成です。そして、プロパーなWindows開発者達には、夢の続きがありました。プログラム行為いらずのプログラムです。 (全ての仕事したくない開発者の願望(^^))  それが実現したとき、全てのプログラマーやアーキテクトは、アーティストやクリエイターになれるのでは?、と。

heart_mind
質問者

お礼

やっぱりいろいろいろ詳しそうですね。 バグの件は、熱とか電圧のことですね、きっと。 すごい頼もしい気がしてきました。 価値観も似てる気がします。 汎用化させすぎた面は、あるんですよね。 デーモンをハード化して、バラバラにして物理的に ユーザーが、がちゃって、組み立てたらどうでしょうか。 そうしたら、それと連携したい、各種のメーカーや業界 が、作ってくれるんじゃないでしょうか。 とか考えてみたりしたけど。 それで、端末類はもっとインテリジェンスをはく奪する その方が今の時代にあってる気がするんだけど。

heart_mind
質問者

補足

お礼いいわすれていました。ありがとうございます。 それで、剥奪されたインテリジェンスは、かばんのはこの中 になって、それが不便にならないように、サーバーが分散さ れていくということなんですが。 きっとこの話は、成功報酬だと思いますので(いといっちは、 きっと名声と実力しかありません)大学を行脚したりするのかな。 プロジェクトのリーダーをおねがいしてもいいですね。

noname#221368
noname#221368
回答No.6

 #5です。わからなかったところがあるので、教えて下さい。 >・・・それなりに年を重ねてきたら、スイマセンエンジニアにならなければ、ならないですよね。  これは、よ~~く、良~~く、わかります(^^)。 >つまり、ユーザー要件を掘り下げることが重要です。たこつぼからの脱出です。  ユーザー要件を掘り下げることは、常に心がけているつもりです。ユーザーの気づいていない潜在要求を掘り起こす事が、アプリケーションの付加価値や完成度に寄与するからです。一般には、非機能要求とか言われます。  で、これが「たこつぼからの脱出」になる、という点がわかりませんでした。「たこつぼ」とは何か?、という話でもありますが。 >ではたこつぼとは何でしょうか。それは、ユーザーアプリへのこだわりだと思います。  ユーザーアプリへのこだわりが、どのような蛸壺を招くのか、わかっていないんだと思います。この業界に、どっぷり漬かっているので、あなたの視点が見えていないのか・・・。  以下、余談というか愚痴です。  PM(プロジェクト・マネージャー)とは、管理職側のマネージャーで、開発の工程/日程管理が主たる仕事です(PM自身が管理職かどうかは、別の話です)。自分はどちらかと言うと、ITアーキテクト(←アーティストではありません(^^))の立場にいます。実動員側の現場のマネージャーといったところです。零細なので、実働プログラマーでもあります。両者の主たる接点は工程なので、けっこう良く打ち合わせるのですが、零細ゆえに営業も兼ねていて、2人でユーザーへのヒアリングを行う事もしばしばです。それで大仰に言うと、設計思想でぶつかる訳です。  「バグは出したくないので、シンプルな設計で行く」 と自分が言うと、PMは、  「それは開発者目線で、ユーザー目線でない」 と言います。  「バカを言うな」が、自分の答えです。ユーザーがバグを好まないから、バグ捕りを行う。それはユーザー目線の一部だ。ユーザーのいないバグ捕りなんて、趣味の世界でやっとけ!(捕らない事も可能(^^))。  ゆえに、開発者目線でバグの出にくい設計を考えるは当然である。自分らはそのために金を貰っている。  「・・・そんな事言ったら、あんたも含めた俺達の仕事を否定してるよ・・・」  あぁっ・・・過激だ・・・(^^;)。こんな事は、もうやめよう。  これって、ユーザーアプリにこだわった蛸坪でしょうか?・・・(^^;)。

heart_mind
質問者

お礼

ありがとうございます。 開発側からのシンプルな設計はバグが出にくい。 だから、ユーザーが希望するなんらかのことを 妥協する。すいません。いまいちピンときません。 どっちにしろ、兎に角バグはとるものぐらいにしか 考えてませんでした。 ミドルウエアとかの話なのかな。なんのこどだろう。 勿論、既存の開発環境でできるだけのことを やるのが、本来であるのでそれをとやかくという話 ではありません。誤解されちゃったのかもしれません。 それはそれでおいといて。 シンプルにしたいんだったら、ハードから考えていく のが一番いいのはではないでしょうか。 ユーザーはプログラムを欲しがっているわけでは、 ないですよね。 「あることをやりたい」または 「あることの手間をはぶきたい」 わけですよね、 なんらかの道具によって。 わたしは、主婦なのであれですけど 若くて、優秀なら、どうなんだろう。 ちょっと、後で補足にきます。

heart_mind
質問者

補足

とにかく、誰かにやってほしかったわけです。 大局的目的の為にです。 それで、回答者様を推薦したかったということです。 革命はわこうどのちからでなされなければなりません。 お願いします。

noname#221368
noname#221368
回答No.5

 #4です。あなたの意図が今一つわからなかったので、前回は無駄話をしてみました。だけど、著作権のイデアなんか考えてもみなかった、と白状しておきます。深遠な話ではないです。 >前略・・・にもかかわらず、その意味内容はゼロと1という虚無内容になっています。・・・中略・・・意味内容を補おうとしているのは。だから、著作権についても関心を向けざるをえないということですね。純粋性を保存する技術があるが為の喪失の不安感も重なっているかもしれません。  ・・・すいません。自分はこのような感覚を、かけらも持ち合わせておりません(←だからミュージシャンになれないのさ)。むしろ著作権のイデアなんて、幻想でないのか?、というのが前回の趣旨です。  例えば、こんなに厳しい自由主義経済でなくて、世界のほとんどは自給自足の村落で構成され、村落間の対外交渉の時だけ、いちおう自由主義経済に則っている世の中を想像してみます。  このような田園風景の中では、精神世界が重視されそうなので、あるいは著作権は、今の世界よりずっと厳しく管理されるかも知れないという想像は、成り立つと思うんです。他人の精神に土足で踏み込むなのは、もってのほかだと・・・。  でも上記の田園風景の中の著作権騒動は、やっぱり夢物語だと思うんです。田園風景の中にないもの、それらは、グローバルな巨大音楽市場,インターネット,デジタル音源です。これらは相互作用しながら、巨大化(肥大化)して来ました。田園風景にこの三つは要らないと思います。必要ない技術や市場は、可能であっても具体化されません。  田園風景の中でありそうな事・・・。隣の村から臆面もなく新譜を貰ってきて、楽器を持ちより練習し、村民にビラ配りして集客し(趣味でやってるから金なんか取らない)、皆で集まって「呑めや歌えやの大騒ぎ」。後は野となれ山となれ・・・。  ちょっと古いかも知れませんが、学園祭のノリなんてこんなものですよね?(^^)。このような事は今でも、ミニマム・ローカルになら可能なはずです。著作権問題なんて、どこにあるんだ?。無い方が(フリーな方が)楽しいじゃないか。皆それを望んでいる・・・、違う・・・、気にしてすらいない・・・。  ・・・だから著作権問題は、音楽市場,インターネット,デジタル音源の三位一体の中にあり、そこにしかない。・・・というのが自分の意見なんです。著作権問題は、自由主義経済のグローバル化という歴史的文脈で、具体的に理解するべきものだし、技術の発展も含めた歴史的偶発物だと思えます。要するに著作権問題は、巨大化を志向した商売の都合なんですよ。だって、レコードとカセットテープの時代には、あんまり問題にならなかったじゃないか。中世の吟遊詩人の間にだって、盗作(ライセンス)問題は、個人間ではあったはずだが、著作権に関する法律は出来なかった。  あなたの言葉に従うと、マス・メディア(開発元)に構造的に潜在していた問題が、同じくマス・メディアが作らせた技術によって顕在化した。それが著作権問題です。著作権を問題にするのはマス・メディアだけであり、我々はそれに振り回されている、・・・が、とりあえずの結論です。そこにイデアがあったとしても、それは先の三位一体を適切に処理するべき概念(法律?)であり、現在進行形で模索されているものであり、永遠普遍の真理とは思わない方が安全と思います。歴史に「たら、れば」はないからです。三位一体は、規制事実として眼前にあります。  現状で著作権問題をコントロールしているイデア(?)は、良心的な(?)商売倫理だと思います。ここで話を、パーソナル・オーソライザーに戻します。良心的な技術者(←本当か?)は、パーソナル・オーソライザーに対して、以下のような思いを抱きます。  ユーザーにストレスをかけるべきではない。ユーザーはフリーが好きなのだ。だから、だからユーザーが悩まないように、ライセンス(著作権)と所有権を具体的に切り離す製品を提供するのが、技術者の筋だ。でもやり方やレベルは、色々ある。なので・・・。 (1)悪事へのハードル  パーソナル・オーソライザーが、ユーザーにストレスをかけるのを、開発者はわかっています。でも、ほんの少しでも悪事(違法コピー)へのハードルを上げておくと、不正使用や不正入力が激減する事も、技術者はわかっているんです。ユーザーは基本的に保守的で、面倒臭がりだからです。ほんの少しのハードルを突破しようとするのは、天性のクラッカーか、職業的なハッカーで、それは一部です。警察にお任せします。  ユーザーの気持ちがわかるのは、本当は開発者もプログラマーも、マス・メデイアの製造した言語パッケージや開発環境のエンド・ユーザーだからです。なのでハードルは、ミニマムにするべし。そうでないと、不便で売れなくなる。 (2)じつは防げない事もわかっている  じつは不正使用を、防げない事もわかっているんです。パーソナル・オーソライザーは、一家に一台「だけ」を保証するもので、当事者達がマシンを奪い合うのではなく、共謀したら、一ライセンスを2人以上で使える事もわかっています。  でも、そこには踏み込みません。ライセンスと所有権を物理的に切り離した以上、それは個人の自由だからです。開発者が言うべき事ではありません。そこまで制限しようとすると、某「北の国」みたいになりそうです。そんなのは嫌です。そして不便過ぎるな商品は売れません。 (3)じつはオープン化の価値もわかっている  じつはオープン化の価値も、開発者(マス・メディア)はわかっているんです。古くはOffice SystemのVBAです。ExcelやWordの操作を自動化する技術を、MSは積極的に公開しました。それにならって、パーソナル・オーソライザーを導入したAutoDesk社も、MSに遅れて、AutoCadを自動化する技術を公開しました。そっちの方が、売れそうだからです。  どうでしょう?。技術者である自分で言うのもなんですが、けっこう良心的ではないですか?。ただし商売原理に貫かれてはいます。この商売良心の効果は、景気循環に対するアダム・スミスの「見えざる手」や、日銀の「金融介入」くらいに、非効率的なものです。健全な状態なんてあり得ません。でも健全な状態を「法律的に実現」しようとすると、某「北の国」が見えてきて、自分は嫌です。  悲観はしていません。歴史的文脈から、技術が著作権問題を顕在化させた以上、技術が著作権問題をソフトランディングさせると信じます。  これは根っからの技術者の意見です・・・。  (という訳で、ミュージシャンには、成れない訳だ・・・(^^;))

heart_mind
質問者

お礼

ありがとうございます。 回答者様がかつて純粋なクリエイターを目指していたことと、 そして、現在は大変優秀なエンジニアであることはわかりました。 つまり、両方の価値観を知っていて、しかもエンジニアとしての 才能も充分であることだということです。 純粋クリエイターとエンジニアの違いとはなんなのでしょうか。 私は、独立性だと思います。エンジニアはまずは、ユーザー要件 からはじまります、市場を意識しないエンジニアはいないという ことです。でも、若いうちはそうでもないかもしれません、技術 を身につけるまでは、常に最新の技術を求め続けるわけです。 純粋なクリエイターの様に。 でも、それなりに年を重ねてきたら、スイマセンエンジニアに ならなければ、ならないですよね。つまり、ユーザー要件を掘り 下げることが重要です。たこつぼからの脱出です。それは、夢物語 よりも、ずっと現実的なことではないでしょうか。 ではたこつぼとは何でしょうか。それは、ユーザーアプリへのこだわり だと思います。VBAは、オープン化にみせかけたユーザーアプリです。 本当のオープン化は、リナックスオープンソースのようなことではない でしょうか。下層プロトコルや、デバイスもそれなりにさわることができる。 アップルのスタンスをまってて、どんな可能性がみえてくるでしょうか。 悪いとはいっていません。便利な時もあるわけですから。 システム開発者は開発を自立的に減らしていかなければ、ならないの が本来のはずだと思うのです。 ソフトランディングとは、そういうことのはずです。 後で、補足にきます。まっててください。

heart_mind
質問者

補足

(1),(2),(3)実はまったく同じ意見です。 だからこその、安定した石化を少しづつ進める方向がいいのではと思ったのです。 たぶん、そういう方向なんだと思います。 純粋なクリエイターは、本来、独立的な方向に行きたがるはずです。 つまり、唯一無二なものをめざしてやまないことが目的足り得ることさえ あるぐらいに。 だけど、エンジニアは結果がたとえそうだったとしても本来の目的は 別のところにあるはずです。 また、何か不明な点や、こちらの理解不足などがありましたらご回答ください。 よろしくお願いします。

noname#221368
noname#221368
回答No.4

 #2です。実験的考察という事なので、ちょっと無駄話をしてみます。  ライセンス,著作権,特許,所有権に法律的定義はあるでしょうが、認証や著作権問題の経緯を、商売と技術と倫理で強引に整理してみます。 (1)ライセンス  ライセンスという考えは、コンピューターが普及するまで、ほぼ物としての工業製品にしか存在しませんでした。ライセンスは技術の使用許諾です。どうしてかと言うと、技術は規格の権化で、一定の訓練を受けた集団がいれば、必ず使用/応用/転用が可能だからです。工業製品はコピー商品が、昔から一番出やすい分野でした。日本も高度成長期にずいぶんやったはずです。  ここでの倫理は、技術は商売のために開発されるので、「商売の都合」=「ライセンス」となり、開発者の保護という商売の倫理が前面に出ます。OEMって聞いた事があると思うのですが、これはプレインストールを前提とした、PCのライセンス生産の事を言います。  しかしコピー商品を作る側にも言い分がありました。オリジナル商品を金を出した買ったのだから、商品の所有権は買った側にある。煮て食おうが焼いて食おうが、分解して調べてコピー商品(多くは改良された)を作ろうが、買った側の勝手だとなります。「そうされたくないなら、売るな!」です。これがたぶん、特許の発端です。所有権と著作権は違うのだと。ここでは、著作者と、著作を売る商売人が、ほぼ一致し、わかりやすい商売倫理になっています。似た話は、盗作だと思います。 (2)音楽業界:著作権の表面化  音楽業界では、商売人とアーティストの分業体制です。アーティストにしてみれば、音楽はもともと不特定多数の衆目にさらす事を目的にしています。著作権の意識は、レコード会社ほど高くはないはずです(秋元康やツンクなんかは知りませんが(^^))。ここで盗作はライセンス違反であり、著作権の意識とはちょっと違うと思うんです。  音楽DVDを買った側の言い分も似たようなものですよね。所有権があるんだから、どこにアップロードしようが勝手だと。しかしこれでは版元は商売になりません。ここでやっと商売が出てきます。所有権は聞く行為だけに有効であり、音譜を勝手に転売したり(版元の許可があれば別→マージンの発生)、無償配布の権利まで売ってはいないと。それが出来るのは、本来アーティストだけだと。・・・つまりレコード会社は、著作権「も」、アーティストから買ったわけです(→専属アーティストの発生)。  音楽業界には、以上のような構造的にわかりにくい潜在的問題が、昔からあったと思いますが、それが表面化したのは、自分にしてみれば最近です。  音質を決める技術は、音源の良さと再生装置(アンプとスピーカー)の良さです。スピーカーは今でもアナログです。人間の耳がアナログ装置である以上、どうしようもありません。アンプは増幅器の意味です。今ではこれにデジタル/アナログ変換機能が追加されましたが、スピーカーにつながる以上は、結局はアンプもアナログ装置なんですよ。そして昔は音源も、アナログでした。  レコードとは、プラスチック盤に掘られた引っかき傷を、針がトレースし振動して音を出すという、今にして思えば、信じられないくらい原始的な技術です。(つい20年前まで、現役だったんですけどね・・・(^^))。  音楽テープも、堀の深さが磁気の強弱に変わっただけで、基本的には同じです。そのような時代に、売り物になるような音源を作ろうと思ったら、まさにレコーディングスタジオと同等な設備が必要でした。昔から闇テープというのは存在してましたが、値がついたとして二束三文です。違法コピーで商売しようと思ったら、億単位の初期投資が必要で、誰も手を出しませんでした。もしくは、もったいなくて売る気が失せるか。だからカセットテープとレコーダーがいくら普及しようと、版元は平気でした。  アナログ装置であるアンプとスピーカーは、当時と比べて劇的に進歩はしていないと思います。驚異的に進歩したのは、音源=デジタル音源です。デジタル音源の劣化は、いくらダビングしても理屈の上では0です。そしてアナログ音源の数100倍の情報量を持っています(音の粒が良い)。つまり、往時の1000万分の一の初期投資で、マスター音源と変わらない模造品が作成可能です。違法コピーしたDVDを友人にプレゼントすれば、友人はそれで満足し、商品は買わなくなります。こうして著作権問題が、商売の問題として浮上します。 (3)絵画の話(未来の話?)  モーツァルトやベートーベンの原譜に値がつくとしても、それは歴史的文化的価値に対するもので、恐らく芸実品としての価値ではないと思います。音楽は、人間と言う再生装置の出力に対して、初めて値が付きます。楽曲やボーカルやアレンジャーがいくら良くても、聞けてなんぼです。演奏者への技術料と言っても良いかも知れません。この意味で音楽は、絵画より抽象的です。  絵画は、音源と再生装置が、「絵」という形で具体的に一致します。そして鑑賞者も再生装置の一部です。つまり音楽よりもずっと具体的(原始的技術)で、あいまいです。このようなところに、著作権問題はほとんどないような気がするのですが、実際にもそうでないでしょうか?。  絵画のコピーという点で見込みがあるのは、デジタル画像と3Dホログラフィック映像という気がします。しかしこれらの結果はまだ、二束三文です。卑近な例をあげると、デジタルカメラより、昔ながら一眼レフの方が良いという意見には賛成です(本気で撮った写真としては)。「なんでも鑑定団」を見ていて、鑑定品を接写でもしてくれない限り、事前の判定はほとんど出来ません(←結果を聞いて、本物は違うなと思う口(^^))。テレビ画像は恐ろしく綺麗になりましたが、少なくとも美術品の代用にはなりません。  絵画の世界で著作権問題が浮上するのは、映像技術が現物に追いつくような未来の話かな?と思えます。だからギャラリー・フェイク(?)は、今でも大盛況(?)です。音楽の場合、違法コピーの基本はいずれにしろ工業技術です。規格物なので、頑張れば原理的には誰でも可能でした。そいて音源と再生が分離するという、抽象的構造を持っている事が、そういう事も可能にします。工業技術や規格化された技術(例えば音楽技術そのもの,コピーバンド)の付けいる隙があります。  ギャラリー・フェイクの技術は今のところ、規格化できない職人の一品料理と思えます。ここまでコピー困難だと、逆に商売になるんでしょうね、きっと(^^)。そしてこれは、ライセンス(盗作)や著作権でなく、窃盗に近いものに思えます。  以上、長々と書きましたが、著作権問題は、技術がインパクトを与え、それが商売(倫理)と衝突した時に起きる、と思えます。  エッ?。音楽業界にギャラリー・フェイクはないのかって?。・・・だからいるじゃないですか、コピーバンドがその辺にうじゃうじゃと・・・。でも下手くそだから問題ないっす(二束三文だから)。上手いのは、音楽家か売れっ子になってメジャーデビューし、専属になります。でもこうなると、著作権問題には業界の体質も関係しているような・・・(^^;)。   ・・・あぁ、そうなりたかった・・・(←ストリートミュージシャンの成り損ないの独り言・・・(^^;))。

heart_mind
質問者

お礼

ありがとうございます。 なんか文脈に深淵なものがありそうで、ちょっと考え込んでしまいました。 最初は、だけどイデアはなくならないんだよ、とかまた素敵なロマンチック なことでなだめられてしまっているのかとも思ったのですが、 そうでもないのかな。 確かに、デジタル技術が発達して、私たちは音楽表現においては、みずみず しい瞬間が切り取られている。にもかかわらず、その意味内容はゼロと1という 虚無内容になっています。だからかな、スワロフスキーをはったり、うさちゃん カバーをかけたり、意味内容を補おうとしているのは。だから、著作権について も関心を向けざるをえないということですね。純粋性を保存する技術があるが 為の喪失の不安感も重なっているかもしれません。 しかし、絵画などにおいては、そこまでの再現能力技術がまだない。だから、 そういう問題もそれほど関心をもたれない。 書籍、映像についても、前者の様な状況なのでしょう。 もし、仮にそうだとしたら、やはり何らかの意味内容としても、 著作権(アクセス権でもいいけど)の物質化は、望まれるのではないか という気がするんだけど。 少なくとも今の状態は、健全ではないと思うのですが。 セキュリティという点においても、Aという場所からBという場所にムーブ する間についての確かな技術は、社会的に浸透するほどの技術としては、 まだなかった気がするのですが。 折角の丁寧な御回答に、こちらの理解不足があるかもしれませんので、 すいませんが、補足内容などありましたら、おねがいします。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.3

>>著作物の所有権だけを持ち歩けないか(クラウド視野の)ということかもしれません。 これからゼロベースでやるなら可能かもしれませんが、既存の媒体、機材が沢山ありますし、それであっても、イロイロと技術的に難しいことがあるかもしれません。 仮に理想的な方法が考案されたとしても、それを利用者が支持してくれるかは、大きな疑問がありますよね? なんといっても、利用者は、フりー(無償)が大好きなわけですからね。 たとえばパソコン等のソフトウエア製品も、著作権でがっちり管理しています。それに対してオープンソースといわれる無償のソフトウエアもあります。無償であるオープンソースのソフトは、ボランティア(無償)で働くプログラマがメンテナンスしていると思っていました。 でも、現実には企業で働くプログラマが仕事としてやっているケースもあるようです。これは、企業が「自社システムを無償のソフトで構築する」ってケースが増えたからのようです。仕事を取りたければオープンソースに詳しくないとダメだから、という理由からなんだと推測しています。 あのマイクロソフトでさえ、クラウド分野では、自社で開発していたソフト開発を断念して、オープンソースのソフトウエアを採用したものがありますからね。 デジタル著作権をがっちり管理しようと頑張っていたら、いつの間にか、そのガンバリが、全く無駄なものになっていたってことになるのかな?なんて思っています。 (適切な事例じゃあないかもしれませんが、著作権保護でがんばっていた地デジ録画で、録画データがコピーフリーになる製品もあるけど、法的にはそれが違法だと決めつけるのが難しいみたいに・・・)

heart_mind
質問者

お礼

ありがとうございます。 フリーはそれはそれなりに便利ですよね。 あっても良いものだと思います。 でも、なんでもデジタル化が加速していますから 著作者と倫理とユーザー利益を考えた理想的なものは 何なのかと、実験的な考察をしてみたのでした。 思いついたのは、著作権フォーマットをまず統一して なんでもいいんでけど、コインとかおはじきとか、 マーブルチョコとか、そういうかわいいものとかにして 後は「もの」がどこであろうと、端末がなんであろうと お願いね、というかんじです。 そうすると、すごく小さくはならないけど、小さくすれば 喜ぶわけでもないし、著作物への愛着も残るしと思った んだけど。 今は、巨大資本がなんでも、抱え込もうとしていたり、 ある端末がはやると、それに右にならえになったりす るのが、おもしろくなかったのかもしれません。 でも、なんだかむなしくなってきました。

noname#221368
noname#221368
回答No.2

 いちおう現役のアプリケーション開発者です。  「メディア」=「製造元」という事でしょうか?。この業界では、インストールCDなんかのディスク類も、メディアと言うもので・・・。  また「著作物の独立」とは、自己格納型の認証方法という事ですか?。以下、その前提で書きます。  自己格納型の認証とは、著作物自らが著作権管理を行う、という意味で使っています。これに対する現状で最も現実的な方法は恐らく、アプリケーションのセットアップ・パッケージ(インストールCDなど)に、パーソナル・オーソライザーを含ませる事です。  パーソナル・オーソライザーはもちろんアプリケーションですが、目的のアプリケーションと供に、セットアップ・パッケージによってインストールされるプログラムで、ユーザーはパーソナル・オーソライザーを介して、認証コードを目的のアプリケーションに与え、アクティベーション(認証許可)を行います。  パーソナル・オーソライザーは、認証コードと供に、アプリケーションがインストールされたマシンを特定するコードを記憶し、一般ユーザーにはわからない場所に、読めない形で両者のセットを記憶します。このセットの記憶がないと、アプリケーションは起動しません。  特定マシンを見分けるコードは恐らく10数種類あります。代表的な例は、マシンのシリアル番号や、WindowsのプロダクトIDなどで、これらはたぶん国際規格です。つまり、認証コードとマシンコードがセットになった記憶(アクティベーション情報)を持たないマシンでは、アプリケーションは起動しない訳です。  別のマシンでアプリケーションを使用したい場合は、パーソナル・オーソライザーを使ってアクティベーション情報を外部ディスクなどに掃き出させ、2代目のマシンにそれを読ませて、アプリケーションの認証を行います。これの前提は、2代目のマシンにあらかじめ、アプリケーションとパーソナル・オーソライザーがインストールされている事です。2番目のパーソナル・オーソライザーは、外部ディスクからアクティベーション情報を読み取り、2番目のマシンを認証許可マシンとして、アクティベーション情報のマシン・プールと言われる領域に追加します。最初のマシンは、アクティベーション情報を失っているので、そこでアプリケーションは動かなくなります。  これはなかなかスマートな方法だと思うんです。思いますし、「著作物の独立」には自分も賛成です。  マシンの所有権は個人の問題であり、当事者間でマシンの奪い合いがあったとしても、勝手にやってくれという話です。理屈の上では、マシンの所有権から切り離されたライセンス認証は、マシンと独立に、常に一台のマシン上でしか有効でなくなります。  このような方式は、例えばAutoDesk社のAutoCadなどで、既に実現されています。某MSなどは、このような事が出来るはずなのにやらないので、相変わらず中途半端だなぁ~、と思う次第です(^^)・。

heart_mind
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね、媒体全体ぼんやりメディアでしたね。 自己格納型は、端末一台ですね。(もちろんオンラインも可能でしょう) 著作物の所有者からすると、例えば映画DVDを購入したとして、 プレイヤー変わったら見れないってことですよね。 お友達に貸してあげることもできないし。 お出かけ先で聞く権利もないし(所有権はあるのに) 著作権はきっちり守られてる気はするのですが。 もし、他の例を知っていましたら、教えてください。 お願いします。

heart_mind
質問者

補足

すいません。引っかかっているのはそこではありませんでした。 互換性のこともですが、著作物の所有権だけを持ち歩けないか (クラウド視野の)ということかもしれません。

noname#153686
noname#153686
回答No.1

それを学ぶには大学の授業1つ、1年分受けるくらいの努力が必要だと思うが。 優しく教えて、って言われても無理。

heart_mind
質問者

お礼

ありがとうございます。 では、厳しく教えてください。

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