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日露戦争当時のロシア正教の動き
日露戦争当時、ロシア国内でのキリスト教の動きを教えてください。 調べてみたのですが、日本国内でのキリスト教の動き以外はあまり詳しい情報が得られなかったので……
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- paddrink
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- kuroneko3
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詳しくはWIKIの「ロシア正教会の歴史」を参照することをお薦めします。 当時のロシア正教は,ロシアの国教として保護を受けていたものの,ピョートル1世によって創立された聖務会院という世俗の機関による強い統制を受けており,モスクワ総主教も置くことができなかったので,まずは公会議を開催し,教会組織の改革と精神面での復興を行うというのが当面の重要課題になっていたようです。 公会議の開催が実現したのは1917年の話なので,日露戦争当時はそれに向けた改革の要求が行われていた時期です。当時の聖務会院長官はコンスタンチン・ポベドノスチェフという人物で,この人は教会改革には否定的な立場を採っていたのですが,日露戦争の敗北に伴いこの人が公職を退き,代わってオブレンスキー公が就任したことで,公会議の実現に向けた準備が可能になった,そんなところでしょうか。 要するに,ロシア帝国の統制下でロシア正教もボロボロになっていた時期なので,そもそも動きと言ってもそんなに大したものは無いだろうということです。