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日露戦争、戦没者による日露両国の影響は?
日露戦争で日本側、ロシア側でそれぞれ約8万人が戦没(戦死、戦傷死、病死)したとされています。 この事で日露両国にはどんな影響があったのでしょうか? 何か知っておられる方はいますか?
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- pri_tama
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>この事で日露両国にはどんな影響があったのでしょうか? 日露戦争後の日露間は、日露協約という4次に亘る協約体制が確立しました。 これは、日本とロシア帝国がお互いに権益を認め尊重し合うという非常に友好的な関係(秘密協定を含む)です。 (日露関係が良好化したため、ロシアはイギリス・フランスとの関係を強め、日本は後背を気にせず、またアメリカの掣肘を排除しながら中国利権確保に進めた。) 犠牲は大きかったものの、まるで少年漫画の様に全力でやり合った後に発生する友情がみたいな関係ですね。 (ロシア革命後の白軍支援を名目とはいえ主張できる程度に良好な関係を築いていた。)
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
ロシアは後に革命が起きてソビエト連邦になりますが、これは第一次世界大戦中に起きたことなので、日露戦争の戦死者の影響というわけではないですね。 また日本は日露戦争に勝ったがゆえにアメリカが敵国として出てきてしまうことになりますが、これも日露戦争の戦死者による影響というわけではありません。 「一将功なりて万骨枯る」ですね。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>この事で日露両国にはどんな影響があったのでしょうか? ロシア国内では、政情不安が起きました。 皇帝のロマノフ家の権威が失墜。 1905年、皇帝独裁から国会開設へと第一次ロシア革命となりました。 日本国内では、反戦論者の摘発が相次ぎました。 社会主義思想・共産主義思想者が、徹底的に弾圧を受けます。 結果として、軍部が政治に大きな影響を与える事になりました。 まぁ、中世の「保元の乱」で武士階級が勢力を増したのと同じです。
- Ultra-Hetare
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当時の日本兵死者の大半は雪を食った「アメーバ赤痢」と 「凍死」と聞いています。 ロシア兵はそんなドジは踏みません(本土も北国だし、シベリアも 領土であり、そんな情報は周知の事実でしたでしょう) 戦闘が強いはずの日本兵が負けているにも関わらず、 ロシアの司令官が「自軍が負けている」と錯誤したのと、 「寒冷地域へ誘導すれば、相手は疲弊し、最終的にロシアが勝つ」 というナポレオンげ撃退の盲信が、一時的に機能しなかったことが 考えられます。 南樺太に侵攻したことで、とりあえず敵領土に「足跡をつけたこと」 が、 ポーツマス条約に有利に働いただけのことです。 ただ、人間と人間の肉弾戦や、艦船同士の大々的な ぶつかり合いの最後の戦争であり、 以後、日本は連合艦隊に空母を取り入れ、 ロシア「ソ連」は戦車の開発に注力したと思われます。