日本人の強調性は 稲作農耕という経験から来たか
きょうのニュースで 見ず知らずの人たちが力を合わせて ちょっとした救出劇を演じたと言います。
▲ (http://news.biglobe.ne.jp/trend/0724/nrn_130724_6061792231.html) ・・・駅のホームで、30代の女性が電車とホームの間に挟まれる事故があった。駅員と乗客が協力し合って車体を押して間隔を広げ、転落した女性は無事救出された・・・
☆ のだそうです。
このようなわれら日本人のあいだに見られる協調性は どこから来ているのか?
稲作農耕の経験からだという見方があります。
これについて 我田引水といったことわざもあるように いかにもそうだと思わせるのですが どうもそれだけだとは思えないでいます。
あるいは言い方を変えるなら そういう一般的な説明の仕方にはうたがいを挟みたくなります。
これについて じっさいのところをおしえてください。
*
考えるに 稲作農耕の経験によって われら日本人が互いのあいだに協調性を獲得しているといった見方は どうも一面的なものではないか。
日本における人びとの《協調性》は ひとり《稲作農耕文化》によってもたらされたとは考えられないのではないか。
ほかに何が要因としてあったかというよりも そもそも人間が互いに社会を成して生活するということにおいて《協調性》を持たないという見方を前提とすることのほうが おかしいのではないか。
つまりたとえば 《人は人に対して狼である。 Homo homini lupus. 》とかあるいは《万人の万人に対する闘い。 Bellum omnium contra omnis.》といった人間観が 一面的であるということだと考えるべきではないか。
そのつてでは 日本人は その日本人という自覚も認識もなく石器や土器を用いて生活していた縄文時代から やがてゆるやかに農耕が現われ弥生時代となるにつれ 稗・黍・粟から陸稲や水稲を主力とするようになって その収穫の量にかんして徐々に格差が現われて来た。
つまりやがて 小さな甕棺墓などから大きな古墳に埋葬するまでになったことなどからその格差という事態は 実証されます。
むろんこの格差をも――人それぞれの自由として――引き受け 精神の胃袋に飲み込み 人びとはさらにあたらしい生活の共同自治の方式を模索して行きます。
つまり議論を端折りますが ひとり稲作農耕の共同作業のあり方などから影響を受けて 互いの協調性が培われたという見方は およそ狭くちぢこまった人間観であり歴史観であるように考えられます。
いま上で自分から言ったのですが それでも稲作農耕が 家族という枠組みを超えてムラの共同作業だという見方 これが つねに成り立つと言うべきでしょうか?
家として持つ田畑などは それとして社会的に(相対的に)独立した経済的な生活単位体としてあるのではないか。
よろしくお願いします。
お礼
まだ教科書が届いていないので、自分で調べなければなりませんでした。回答ありがとうございます。