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弥生時代の米作りについて
米作りが始まったころについて調べることになりました。どのように日本に米作りがつたわって来たのか など、米作りの始まりについて教えてください。
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現在動乱状態に陥っています。 ^^; 遂に縄文土器から米が出てしまったんです。 ぺったんこ。 ぺったんこ。 土器の中には豊富な種子情報があるはずだ。 非破壊検査で起源を遡る事3500年前。 土器から米が。 とんでも無い結果が出たのです。 ただし、海底遺跡との点と線は未だつながってはいません。 南方ジャポニカ(陸稲)はこのぐらいにします。 温帯ジャポニカ(水稲)ですね。 温帯ジャポニカは中国の揚子江下流域で栽培が始まりました。 ので、中国との交易が始まる「縄文後期~弥生前期」に 水稲と稲作の技術が伝来されたと推測されています。 尚、温帯ジャポニカの遺伝子研究上、日本から朝鮮半島に米が伝来した可能性も低くありません。 当時の日本では、 銅剣銅矛文化圏(北九州)と銅鐸文化圏(関西地方) に分かれていました。 宮崎では青銅器は一切出土しません。 日本アルプス以北は毛人の領土であったようです。 稲作技術や、青銅器技術、高温による土器作成技術、高度な建築技術などを大陸から輸入し、部落単位から国単位へと、国家が形成されます。 貝塚から見るように、縄文時代もある程度は定住していたようですが、 米が安定して収穫出来るようになると完全に定住するようになります。 熱帯ジャポニカは陸稲ですので、安定供給は難しいです。 狩り採集と、一分農耕も含まれるようです。 農耕を採集(木の実を取るよう)とも受け止めても良いでしょう。 水稲と稲作技術。 ここに焦点を絞ってレポートを作成して下さい。 (余談は最小限)