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自分こそ神という人は

大変危険人物と聞きますが 神仏様と神と言われてる人の違いとは何でしょうか?

みんなの回答

回答No.7

形見を見てください。タヌキにしましょう。か(た)み 死んでしまえばどんな大金も枯葉です。 お金こそ功徳と言う人は危険なのです。利己があります、物欲があります。 神仏様の神と言われている人物は、間違っても本人からは求めません。 他者が自発的に施しているのです。危険はありません。 むしろ施した方が心が豊かであるとか言うでしょう。だから利己がないんです。

回答No.6

鏡を見てください。我を取りましょう。か(が)み 映るもの全てが神になります。 自分こそ神と言う人は危険なのです。エゴがあります、支配欲があります。 神仏様の神と言われている人物は、間違っても本人からは言いません。 他者からそう言われているのです。危険はありません。 むしろあなたこそ仏神があるとか言うでしょう。だからエゴがないんです。

noname#155457
noname#155457
回答No.5

その理由はイエスキリストの言葉にあります。 ********************************************** あなたがたに、『そら、キリストがここにいる。』とか、『ほら、あそこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。だから、気をつけなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。》 (新約聖書より) ********************************************** また、スエデンボルグの次の言葉にもあります。 ********************************************** 霊たちは人間が崇拝している者の人物を身につけ、自分がその人物であると、と言う、なぜなら彼らはその者にふんして、その下で崇拝されることを望むからである。特に彼らは『聖霊』と呼ばれることを望んでいる。 (スエデンボルグの霊界日記より) ********************************************** つまり、自分こそ神であるという人は、『悪霊に憑依されているのです。』

sarasuva
質問者

お礼

なるほど。 ありがとうございましたm(__)m

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.4

世俗的には仏は慈悲深い人、神は人間の能力を超えている人というイメージでしょう。 真実は仏は悟りを開いたもの、或いは開きつつあるものを呼びますから、努力すれば誰でもできるわけです。 神は努力と天性がなければ達しません。 現代で「神」と言えばアマテラスでもなくゼウスでもなく、キリスト教の神がほとんどでしょう。 神道的に言えば先祖は全て神であり、私たちは神の子、そしていずれ先祖となれば神の一員となります。 だから「私は神」と言えば間違っては居ないけれど、要するに『私はすでに死んだものだ』『私はすでに過去のものだ』とカミングアウトしているようなものです。 キリスト教的に言えば、神は「みだりに神の名を呼ぶな」と言っているので自ら掟を破った、或いは偽者と言うことになります。それにカトリックでは「神」は俗称で実際には「創造主」「主」「天の王たる神」「父なる神」と範囲を限定していますから、カトリック系新宗教、或いはまがい物と言うことになります。 また「神」と言う言葉通りに解釈すれば「人智を超えたもの」と言う意味なので、創造主だけではなく天使も悪魔も一部聖人や使途も「神」の範疇ですから、とくに珍しい存在では無いということになります。 一芸に秀でているとオールマイティだと考えるのは日本人くらいのもので、ノーベル賞物理学者に恋愛相談をマジで質問し、マジ回答するのは日本人くらいのものでしょう。だから「私は神」と言ったところで自分に関係なきゃそれまでのことなんです。敬う必要も何も無いんです。

sarasuva
質問者

お礼

なるほど。 回答ありがとうございましたm(__)m

回答No.3

違いはありません。どちらも嘘で危険です。 私が神です。

回答No.2

「嘘も方便」と言います。 手アカのついた紙切れに価値があると思い込んで欲しがる 事で、人は一生懸命働くように(その実、お金にできるのは 『お金があれば何でもできる』と思い込んでいる人に“何でも させる”事だけで)。 同様に、人の意識が肉体に付いた感覚器官から始まるので、 自己中心的になりがちなところを、お金や権力(法規)と共に、 社会性へと導く(モラル)ものが宗教なのです。 人類の社会性が低かった(血族的な社会性)頃には、世界の 起源や死後の世界といった世界観として儀式宗教であった アニミズムが、強力な教義を持ついくつかの一神教によって 置換されたのが、ほぼ同時期だったのは偶然ではない。 社会が必要としていたのだ(常識とは役に立つ狂気である)。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

神様仏様と言われる人には、そんな自覚が無く、 周りで勝手に崇めているだけ。 しかし、崇められている間に、そういう自覚が 目覚めたら、危険になるでしょう。 星新一の短編。 世界中の学者が集まって最高峰の電脳を 作った。 その電脳には、人類のあらゆる英知がインプット された。 そして電脳が動き出し、学者が第一の質問を 発した 「神は存在するか?」 すると電脳は答えた。 「今こそ神は存在する!」 慌てて電源を落とそうとしたが時遅く、電脳は 神々しい光に包まれ、天に昇っていった。 その後、人類は・・・・。

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