ANo.7です。
> チコ・ブラーエの観測について。
> それ以前の最も始めに天体を認識した存在によって、天体の存在が観測され、占星術師によって、動き方が観測され、そのあとチコ・ブラーエが観測したときには、すでに収束は終わっていたと仮定します。
まず第一に、その仮説を物理学として主張するのであれば、何らかの観測事実に基いていなければなりません。もし根拠とする観測事実や、将来に検証する手段を考えることが不可能なのであれば、その主張は物理学の範囲外でなされたものということになります。
そして、法則というものの言葉の解釈の問題になりますが、現代の科学で言う法則は、それ自体は(その適用範囲内では)いつでもどこでも成立つものでなければなりません。
もし法則自体が変化するのであれば、その変化に関する法則を求めようという話になり、それが求められた暁には、そこまで含めた全体が、実は法則と呼ぶべきものだったということなるわけです。
つまり「法則」というものの定義に普遍性ということが含まれているのです。当然どんな法則にも適用範囲があり完全な法則は存在しませんが、その適用範囲内では普遍的でなければなりません。ある法則が普遍的でないという主張をしたとすれば、それはその法則がそもそも不完全だという主張と同義になります。
そして確かに、そのような「法則」という言葉の定義にあてはめたときに、ケプラーの法則や、ニュートンの法則が、真に普遍的な「法則」であるということを、厳密に証明できる人はいません。例えば、観測データがそろう以前も含め過去のすべての時点でそれが成立っていたことや、極端には明日急にそれらの法則が成立たなくなることが起きないなどのことを、数学のように厳密に証明することは不可能です。それは物理法則が根拠とする観測データは常に有限であり、そこから無限の情報を含む普遍的なものを求めようとした結果が「法則」だからです。
しかしながら、それらの「法則」は、現時点で観測されたあらゆる現象に基いて考察した結果、ある適用範囲の中では普遍的であろうと、多くの人が信じ、その人々によって「法則」と認められているわけです。実際、その適用範囲・精度の範囲内では、過去にさかのぼるとそれらの法則が成立たなくなりそうだとか、未来のある時点で成立たなくなりそうだということを示す観測事実は存在しません。
要点は、物理学は観測事実に基いて議論を進めなければならず、「法則」は観測事実から帰納法的に導かれたものか、もしくは数多くの観測事実により検証されたものでなければならないということです。そして観測事実が有限である以上、どんな法則も厳密に証明することはできませんが、数多くの観測事実に照らし合わせて普遍的に成立つであろうと考えた多くの人々によって「法則」と呼ばれているわけです。
逆に言えば、物理学で出来ることは、より数多くの観測事実と比較して、より正しそうなものを見つけるところまでであり、どんなに多くの観測事実をもってしても納得しない人々や、観測や立証のしようがないことを主張している人々を説得することは、物理学の範囲内では原理的にできないのです。
そのかわり、そのような主張の中には物理法則の成立不成立に関するものは含まれることができません。もしそのような主張が含まれるとすれば、それは物理学の土俵の上の話とみなされ、観測事実による裏づけや検証可能性を示すことを要求されることになります。
> ケプラーの法則は発明でないと言い切れるでしょうか?
> 別の説明の仕方が採択されれば、そこから異なる物理法則の宇宙が始まっていたと考えることは、否定できるでしょうか?
これについては、間違いなく言い切れますし、否定できます。ANo.7にも書いたように、ケプラーの法則というものがケプラーの頭の中でまとまり、公表された時点よりも、ずっと以前から明確で詳細な観測データがあったからです。しかも法則の発見者が知らなかったデータが後から見つかるのもありがちな話です。
もしご主張のように、チコ・ブラーエの観測終了時が、「収束が終わった時点である」という文脈で言うならば、法則の発見が実は「発明」だったということではなく、チコ・ブラーエの観測データが「発明」だったということになります。そして、チコ・ブラーエはケプラーの法則を暗に予見しつつ、極めて大量の観測データを何年にもわたって「発明」し続けたことになってしまいます。しかも最初の一つ目のデータからです。その話をチコ・ブラーエが聞いたらさぞかし憤慨することでしょうが(笑)、そうでなくても私にはそのような考えは極めて不自然に見えますし、そのように考える根拠も見当たりません。
またANo.7の繰り返しになりますが、法則の発見は、ごく少数の人間によってなされたものであり、天体の運行が、その時点で急に変化するなどということや、その発見が多くの人に広まるに従って天体の運行の様子が次第に変わっていくなどということは現実にはなかった(あれば歴史書にそう書かれるでしょう)ことも、「法則の収束」という考え方を否定していると思います。
例えば、「物の色」でさえ、基礎的な物理法則に関係しています。実は物の色というものは、量子力学はもちろん、電磁気学や相対性理論にも関係しています。新しい物理法則が発見されるたびに、世界中の物の色が変わって見えるでしょうか。そんなことは見たことも聞いたこともないですし、有り得ると考える根拠もありません。ご主張の仮説が正しければ、物の色に限らず、大きさや硬さや物質としての安定性も含む、ありとあらゆるものが極端に変化していくことになってしまいます。
お礼
ぐうの音も出ないです。 分かりやすく丁寧にご指導頂き、ありがとうございました。 悔しいので反論を考えましたが、さしあたって思いつきませんでした。 私の中では説得力100%ですね。 むしろ嬉しいです。