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古文書の書き置き ?
現在、別添の古文書の解読に悪戦苦闘しています。 富山の旧家で、石高を記した文書と一緒にあったものとのこと。 おおよそ江戸初期の土地のことを書いたものと思われますが、冒頭の「寛永十八年」は読めても、それ以降がまったく読めません。 現物は、結構しっかりした和紙で書かれており、短いながら大事なことが書いてあるのではと思っているのですが…。 何が書いてあるのか、おわかりになられる方がいたら、どうかよろしくお願いいたします。
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あまりお役に立ちませんが読めた範囲で 一、寛永十八歳御家中様方金沢 より御□被成婦負郡在郷被成 御座候 一、万治□歳婦負郡下新川御替地 □山地子□諸役□石三拾□匁 〆六千石余家数三千軒余 諸役の前後の字は一緒だと思うのですが。 万治の後や匁の前の字、三だとは思うのですが、不勉強でこの書き方を見たことがないため□としました。
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- SPS700
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一、寛永十八歳(1641)御家中様方金沢 分御領?婦負郡? 御印 一、万治三歳(1660)婦負郡下新川御領地 為山地金銀諸役?石、三拾三匁 〆六万石余?三?余 とお読みになった「分」ですが、下記の「合併かな」にある「より」ではないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E7%95%A5%E4%BB%AE%E5 %90%8D 質問者さん、#1さんの進歩に比べれば、誠に微々たるもので申し訳ありません。
お礼
sps700 さん、ありがとうございます。 合略文字 ゟ(より) であったとは、やはり古文書の奥深さを感じます。 ここまできたらみなさんの知識と想像力をお借りして、全文をなんとか読み切りたいです!
- ennalyt
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一 寛永十八歳 御家中様方全区 ????婦負郡 御? 一 万治?歳 婦負郡下?川??地 ?山地?????石、三??? 〆六?石余??三??余 1641年が寛永18年、1658年が万治元年です。 万治は四年までしか無かったので、三か四か。 婦負郡は富山市付近らしいです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%A6%E8%B2%A0%E9%83%A1 この辺で勘弁して下さい。 キレイな字ですから、役人等、教養ある人が書かれたのでしょう。 書道の達人に訊かれたら進展あるかもしれません。
お礼
ennalytさん 早速調べてくださってありがとうございます。 文字の構成としてはいけているかと思いますが、なかなか行き着けず。 公文書を追記訂正する付箋のようなものかもしれませんね。
補足
文脈からまた地域の歴史から更に読み込んでみましたが、 以下の程度でした。 一、寛永十八歳(1641)御家中様方金沢 分御領?婦負郡? 御印 一、万治三歳(1660)婦負郡下新川御領地 為山地金銀諸役?石、三拾三匁 〆六万石余?三?余
お礼
izuhara さん ありがとうございました。 おかげで大きく前に進んだと感じております。 内容は、万治三年にあった加賀藩と富山藩との知行替えの付記ではないかと思われます。公文書だと思われますが、やや漢文表現もあるようです。 さらに詰めてみます。