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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:加害者となった現代の日本人)

加害者となった現代の日本人

このQ&Aのポイント
  • 震災から一年が経ち、日本を慰めるための催し物が行われています。大江健三郎の講演でカタストロフを認識する重要性が指摘されました。
  • カタストロフを認識せずに原発を継続する人々がいる一方で、日本人は加害者としての責任を感じるべきだと考えられています。
  • 現代の日本人は加害者として自覚し、責任を負うべきだと考えられており、何かを償う必要があると感じられています。

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noname#151617
noname#151617
回答No.10

こんにちは。 対外的に説明するなら、私達日本人はこのたびおこった大地震や津波などの自然災害の被害者であり、 かつ、原発事故で生じた(陸)海空上の放射性物質の拡散に関しては加害者であると言えます。 一年前の今頃の私は自宅の窓を密閉し、いかに我が子等を守るかが最大の関心事で神経過敏な毎日でした。 だから、当時直後にパリで発表された大江氏の主張は過分に自虐的な印象を受け、正直キツかったです。 趣旨がまともに読み取れていなかったと思います。 だから、近日中に再読の上自問自答してみるつもりです。  サイコロさん、良い問いかけをありがとうございます。 (それにしても、なぜ氏は母国ではなくパリで発表したのでしょう?) ご質問の「原発事故の加害者としての責任」を自ら問うなら、真っ先に未来あるこどもたちに対してですね。 でも、対外的にはそれは「自己責任の範疇で当然の報い」と映るのかもしれません。 また、加害者と被害者との関係と言えるかは定かではありませんが、おかげさまで事故前と変わらぬインフラを享受している都会に住む者として、事故により避難生活を余儀なくされている方々に対する更なるアクションもまた求められているはずです。 余談ですが、昨年の今頃は欧州からの国際貨物が(放射性物質の件で)暫くクローズされていましたよね。 なので、GWに渡欧する際には、差別とまではいかなくとも、現地で嫌味の一つも正直私は想定していたのです。 でも、実際は(日本の経済面では悲観的な見解が多かったものの)日本の科学技術や日本人の勤勉性、知性に対する信頼や賞賛もまた健在でした(同行した主人が技術者だから余計そう感じたのかもしれません)。 でもだからこそ、その信頼と期待を再び裏切らぬよう、私たちはそれを自覚しまた自戒すべきだと思います。 私たち日本人はたとえ今後も自然災害の被害者となり得ても、先の原発技術に因るカタストロフィの加害者であり、かつ再び加害者となり得ないであろうという強い覚悟が求められていると言えましょう。 そして国内外に対する充分な説明を欠かして政府指導者が原発再稼働に至るとすれば、それはやはりいささかなりとも問題であり間違いなく私たちの国民の責任ではないでしょうか。

noname#151127
質問者

お礼

マシュマロさん、どうもありがとうございます。 >だから、当時直後にパリで発表された大江氏の主張は過分に自虐的な印象を受け、正直キツかったです。 まず、様々な方の投稿を読んで分かってきたのですが、最初に、私自身、質問で至らないと感じた点を、お詫びとともに述べさせていただかなければなりません。それは何が「加害行為」であるかを定義していなかったことです。かなり漠然と書いてしまいましたし、私自身、ぼんやりと「加害者なのかな、どうかな」と感じていたという段階でした。結局、震災という天災が発端ですから、どうしようもなかったじゃないか、という意見はあってしかるべきなのです。では、何が間違った対応であったのか。おっしゃるように、原子力汚染を拡散させてしまったことである、と明確に私は書いておくべきでした。 次に大江の自虐的な態度ですが、もしかしたら参考になるかもしれないので、私の意見を書いておきます。国際ブックフェアには、大江の他、二十人あまりの作家がやってきたのです。その中でひときわ沈痛なことを言っているのが大江でした。大江は、元々の作風からして、自虐ネタが多い作家です。古義人なる自分のアルター・エゴを主人公として、徹底的に恥ずかしい場面や、失敗談を披露していきます。私も最初は、また大江の自虐癖が始まった、と思ったのです。ところが、他の作家らの態度と比べると、大江のみがまともな人に思えてきました。「まとも」というと、その他が「異常」ということになりますので、語弊があるかもしれませんが、真剣に問題を考え、対外的にどのような態度を取るべきかを考えている人は、大江なのかな、と思ったのです。 これは震災という文脈なしには、あり得なかったことだと思います。皮肉にも、時代が大江に追いついたということでしょう。そしてカタストロフは、自虐的なまでな態度を取ってちょうどいいくらいなのだ、と思い知ったのでした。その他の作家の発言については、あげつらうことになるので、名前を挙げて書くのを控えます。口頭発表なので、私も責任ある形で批判はできません。けれども「日本が未だに震災に見舞われてこんなに苦労しています」とか、「我々はおかげさまで復興してきました」という話を聴衆は求めているのではないのかな、と私は感じたのです。結局、コミュニケーションの仕方として、まず謝るべきことを見定めて謝り、その上で、打ち解けた話をするということが必要なのかとも思ったのです。その場では、いかにして震災を文学者が書き記すかということが問題となりましたが、「私は震災のことに捉われたくない。冷蔵庫みたいに保存する役割なんて嫌です。もちろん責任は感じていますよ。でもね」という類いの発言は、「ああ、この方は勘違いしているな」という印象を持つものでした。それと同時に、私の態度も反省したのです。 確かに被災地の方の問題もまだまだ残っていますね。結局、「復興するまで、対外的な償いは待ってください」と言わなければならないかもしれません。戦後の日本も、そういうものだったのだな、と改めて思いました。私はずっとあとの世代ですので、漠然としかものを考えていませんでしたが、補償とは長期的なプランを持つべきもので、当事者らは日本を復興することに努め、あとの世代が金銭的な補償をし、私の世代が道義的な償いを果たす、というものであったのかもしれません。震災の対外的な償いは、金銭補償が次の世代ということになるのでしょう。これもあとの世代に残した負の遺産といえるかもしれませんが。 おっしゃるように、日本に対して、欧州人は親切ですよね。私も服を買った際、値札からさらに、震災割引なるものをしてもらったことが印象に残っています。決して恨まれている訳ではないのです。でも、責任はあるのです。自ら率先して責任を償わなければならないというところが戦争と違うところだと感じています。戦争の場合、「償いなさい」と言われて、それに従うという形でした。今回の場合は、自尊心を保ったまま振る舞うことができます。こうしたときに「責任など無い」などと言い逃れることは、何か常識を外れた行為であり、信頼を裏切ることになると感じられたのでした。 案の定、「責任など、取りようが無い」とか「責任など感じない」というご意見も寄せられています。しかし気になったのは、高齢者の方の意見に、そういうお話が多いということです。大江のように戦争を背負っていくタイプの老人もいれば、逆に、責任など全くないと述べて恬然としている方もいらっしゃる。それはそうでしょうね、責任が重すぎて、背負いきれないと思うのは全く当然です。戦争のときと同じ理屈を適応すれば、責任逃れをすることなど、屁の河童でしょう。他の方のお礼欄でも書きましたが、今が現役の世代は、原子力の責任を負うことを自覚する者らと、責任逃れの言説を労する者らとで二極化すると私は予想しています。それにしても、ご老人らの世代の巨星といってよ吉本隆明が原発続投を唱えたのは、外国に対する責任という問題意識が欠落していると読めたのですから、残念なことではありました。

noname#151127
質問者

補足

【締めるにあたって】 例によって早仕舞いをすることをお許しください。ずっと開けておくとお礼が遅れて、申し訳ないと思いますので。 いくつかの態度がありますが、大まかに二つであったと思います。まず、加害者ではないし、罪悪感も感じていないというもの。罪悪感を感じざるを得ないが、方向性を模索中であるというもの。前者の理由はいくつかあります。 ・ 被害が特定されていない。 ・ 諸外国に補償金をつけこまれる不安がある(?)。 ・ 他の国もやっていること。 ・ そもそも日本国という枠組みが不明瞭である。 これらの態度に対して、私は、誠意が無い態度ではないか?と自分の考えをお伝えしました。自国を守るとは、知らぬ存ぜぬという態度を取ることではないでしょう。たとえば裁判でも、被告が罪を認めず、積極的に償おうという態度が見られなかった時、世間は怒りをあらわにします。同じことで、私には、それが無責任な態度であると思われたのでした。 今回のカタストロフ(原子力汚染)については、自然災害が発端という意味では仕方ない側面がありました。また日本がバッシングを浴びて、憎まれている訳ではありません。しかし、相手に糾弾されてからでは遅いと思うのです。自ら率先して償おうというときには、胸を張って、自尊心を保てます。しかし、「償え」と言われて、咎人のような扱いになってからでは、もう信頼は地に落ちています。 私としては、信頼を保つことが、せめて我々が将来の子供らに対してできることではないか?と考えたいところです。こうした信頼をどうするのか?という点について、罪悪感を感じないと感じた方々の記述は、説得的とは感じられませんでした。ある意味、卑しい責任逃れの答弁であると感じました。 カタストロフをカタストロフとして認識する態度は、私たち自身の心の持ちようとしても、決して無意味ではないと思います。No2の方は、東日本の食材を食べようというキャンペーンが張られているという報告をしてくれました(フードアクション)。それは自分の身を差し出し、汚染を引き受けることで責任を取ろうとする態度だといえます。これは裏を返すと、責任感を感じている方は、案外多いのではないか?と私には思えるのでした。 なぜこのような自虐的な行動が支持され、キャンペーンにまでなってしまうのでしょうか。 私の考えでは、何に対して、どのように責任を取るべきなのかが、曖昧であるからこそ、このような問題が起きたのだと感じています。つまり、自らが責任を取るべきことを明確に認識したのなら、自傷的な責任の取り方は避けられるのではないか、と私は思うのです。 BAの他、No2、No7は、かなりしっかりしたご回答だと感じました。結局、 ・ 事故を知ること、 ・ 二度と起こさないようにすること、 ・ 原発の停止も辞さないこと、 ・ 原子力の恐ろしさを世界に訴えかけていくこと、 ・ 被害から、できるだけ子供たちを守ること、 これらによって、道義的な責任は償うことになるだろうと思います。そして補償といったにせよ、まずは復興が優先となるでしょうから、道義的な責任を担ってもらうのは、もう少し後の世代にゆだねなければならないかもしれません。それは私のように戦後に生まれてきた世代が、戦後の復興と経済的な補償がすみかけている後、道義的な償いを求められているのと同じことだろうと思います。 最後に、戦争を併置したことにはかなりの反発をくらいました。私自身は、それらの反発が説得的であるとは、正直に申せば、感じませんでした。しかし私はその議論の中で、 戦争責任と震災の責任の答弁には、ある種のアナロジーがあると感じたのです。つまり責任を受け止めるという生き方をする人間はどちらも受け止める。しかし、責任を受け止めないという人間は、どちらも受け止めない。 私は、これが上の世代の様相なのだなあ、と今更、分かった気になりました。自分が、原子力の責任を負うべき世代になったと感じて、初めて、彼らの気持ちも想像がつきます。基本的には、責任を取りきれないので、逃げ腰になる訳です。大江のように責任を背負い込もうとする方も入れば、実は責任は無かったなどと答弁する方もいます。このネットでは、後者の方が圧倒的に多かったように思います。責任を背負う者と、責任を逃れる者の二極化。私の世代も、今後、同じことになるかもしれません。 なおアメリカでは、すでに水面下で、日本が拡散した原子力に対して不安が高まっている風潮が有るのかもしれないと、No13さんの意見から感じました。証拠が突きつけられるまで待つのでは遅く、後手に回らずに、きちんと責任ある形で対応できたら、と私はあらためて考えました。

その他の回答 (12)

  • einn
  • ベストアンサー率37% (671/1802)
回答No.2

(1) 原発をもっている国が多数あるかぎり、事故の可能性はゼロになりません。 ですので、日本での事故は一つの結果であり、まだ結論は出ないでしょう。 重大な事故であり環境への影響もとてつもないものですが、 それ以上に、【電力】という面での貢献を考えると、なかなか廃止は難しい。 フランスでは75%が核依存の電力と聞いたことがあります。 対して、日本やアメリカは30%以下です。 それでも原発推進ということで国の施策が動くのですから、 経済面を優先すると原発を推していく状況が今後も続いていくでしょうね。 もちろん水産、畜産、農業の面でみれば多大な被害ですが、 日本の一大産業である加工業には影響が無いわけで、 しかも加工には電力が最優先で必要になってきます。 ということで、環境を守ることよりも、収入源を守ることに注力を注ぐでしょう。 また人間というのは慢心する生き物です。 「あいつは失敗したけど、俺は大丈夫」というのが、各国の本音でしょうね。 そこに根拠など無いし、あるとすれば「失敗例を見れたから」でしょうが、 今後の成功を保証するものとしては弱いです。 でも、それにすがって今後も原発はなくならないでしょう。 (2) これはもちろん感じますよね。太平洋がメチャクチャ汚れました。 もちろん海は繋がってますから、他の海にも広がったわけです。 人間に対しての加害であり、環境やその他生命に対しても迷惑をかけたでしょう。 中継でいきなり海に汚染水を流し始めたとき、 テレビの前で「ええええぇぇぇぇっ!!???」と叫んだ人は私だけではないでしょう。 直感的に、「もう水産業は駄目だな」と思った人が大半のはずです。 (3) 現実問題、個人レベルでは募金程度しかできないですね。 原発廃止のデモを起す、という事も可能ではありますが、 戦後以降の教育の賜物で団結するということをしない民族ですから、 国を動かすほどのなにかを国民単位でやらかすことは今後も無いでしょう。 戦争反対、核兵器反対の推進を行ってきた日本であるからこそ、 原発反対という推進も他の国よりは容易なはずです。 核を2発落とされ、原発が爆発し、 他にも問題のある原発がある日本は、その説得力もあります。 ということは、これから徐々に広がるであろう脱原発の国際的な活動の、 そのイニシアチブを取れるということになります。 そこに政府が目をつけてくれれば、動いてくれる可能性はありますね。 心からの償い、というわけではなく、あくまでも利益を考えた行動で。 ですがそれが償いに繋がるのであれば、動かないよりはマシでしょう。 しかし、事はそう単純には運ばないようです。 そちらのメディアに伝わっているか不明ですが、 日本では今、東日本産の食べ物を食べて応援しよう!という、 もう気が狂ってるとしか思えないキャンペーンを開催中です。 フードアクションニホン http://syokuryo.jp/fan/ 馬鹿じゃねーのか!としか思えませんが、これが現実ですね。 チェルノブイリから何も学んでいない。 経済面でしか見てないんですから、当たり前ですけどね…。 既に各国から「日本人は頭がおかしい」という評価が届いています。 日本人ですらおかしいと思うんですから、そりゃ外国から見ても異常でしょうね。 都合よく行かないとは思いますが、 クリーンエネルギーを開発するほうが解決には近道でしょう。 代替案なしに騒いだところで、それはガキの戯言でしかないのも事実です。 誰かすんごいエネルギー見つけてくれないかなぁ。 もっと新エネルギーの開発に税金使ってもいいと思うんですけどね。 …今度は石油輸出国と戦争になる可能性が出てきますけど。

noname#151127
質問者

お礼

丁寧にありがとうございます。 >ということで、環境を守ることよりも、収入源を守ることに注力を注ぐでしょう。「あいつは失敗したけど、俺は大丈夫」というのが、各国の本音でしょうね。
 多くの人は、経済利益を優先するでしょうね。結局、実は加害者ではなかったとか、言い逃れを初めて、心を落ち着けるのでしょう。 しかし、日本が事故を起こしたことは、最大限の衝撃だったようです。ヨーロッパの電化製品、大半は日本のものです。科学テクノロジーでは、ものすごく信頼されていたのですよ。「あの日本でさえも?じゃ、うちもむりなのじゃないか」という発想は有りそうです。だからドイツはやめてしまいましたよね。私の知る限り、日本は九十年代後半は、原子力の最先端を行っていたそうです。フランスは地震も津波も、一切起きた試しの無い国ですから。 >直感的に、「もう水産業は駄目だな」と思った人が大半のはずです。


 おっしゃる通りでしょう。残念ながら。日本だけではなく、太平洋沿岸全域と思うと、暗澹とします。責任を取れるような被害ではありませんから。しかし、・・・やはり日本のせいということではあるでしょう。日本のせいではないかもしれないものも、日本のせいだ、と言われる事態が起きるかもしれません。 >戦後以降の教育の賜物で団結するということをしない民族ですから、
国を動かすほどのなにかを国民単位でやらかすことは今後も無いでしょう。
 そうですね。むしろ日本人は責任逃れをする技術に長けてきたかもしれません。この質問欄が、ことによったらその実例となるかもしれません。若い方が言い出すのかと思ったら、案外、ご老人衆なのですよ。お金の問題は、今後かぶらなければならないでしょう。道義的な責任については、償いきれるものではありませんが、おっしゃるように、ありうるとすれば、世界に向けて証言を行い、原発停止を働きかけることだと思います。 >日本では今、東日本産の食べ物を食べて応援しよう!という、
もう気が狂ってるとしか思えないキャンペーンを開催中です。 大江がすでにいっていましたが、これもまた、責任の取り方なのでしょう。神風特攻隊のように、自分が被爆することで、責任を取ろうという発想が根底に有るのだと思います。私はこうした大江の指摘は正しいと思いました。カタストロフをカタストロフとして認識するとは、自虐的な自己満足の形で責任を取るのではなく、きちんとした形で責任を取るということだと私は考えています。自殺行為によって責任を取るのではなく、生きて何かしなければならないなと思うのです。結局、このキャンペーンは、人々の、責任は感じるが、どうしようもなくなって、行き場のなくなった心を表しているのだと私は分析しています。

  • m41
  • ベストアンサー率30% (346/1127)
回答No.1

日本在住の私には解らないのですが 今回の原発事故で実際の被害や影響が海外に有ったのでしょうか? もうひとつ 今回の原因は天災だと言う事です 確かに対応の悪さを 否定する事は出来ませんが 職員も被災者です あの未曾有の津波の中冷静に 対処できる人間がどれほどいるでしょうか? それを踏まえると 世界中の原発が即活動中止にするべきではないでしょうか? 地震大国の日本とは違うとはいえ 他にも人間の予知できない 災害は有ると思います 全ての国の原発は今回の事故の様な危険性を秘めています 大西洋戦争にも 触れていますが アジア諸国で日本にパッシングをしているのは 限られた国で 日本を感謝している国も有りますよ 戦争は複雑な理由により起こるもので一概にどちらが悪いとか語るのは軽率だと思います その事については多くの議論がこのサイトでも行われ ここに書くと荒れてしまうと思われるので辞めときますが

noname#151127
質問者

お礼

ご投稿に感謝いたしますが、質問にきちんとお答えになっていただきたかったものです。おそらく私の問いの趣旨をくんでいただけていないらしいので、その点に触れる形で応答しておきます。 原子力の被害が有ったのでしょうか?とありますが、一般的な原子力の被害の大きさをご存じない訳ではないでしょう。どうも、馬鹿げた問いに思うのです。しかし、そういうおつもりでもないらしい。とすると、厳密なデータのお話をなさりたいらしいと読めるのです。しかし、こういう議論は無意味です。たとえば、私の友人に、原爆の研究者がいますが、原爆でさえ、被害者と認定されるかどうかでは、ものすごく議論が微妙なのだそうです。そして大体は、国の補償逃れの為に査定を行う議論にしかなりません。 私の問いは、データの検証を行おうというものでは有りません。一日本人として、問題をどのように捉えるか、と問うているのです。そしてあなたのお答えは、証拠が突きつけられ、被害の査定が行われてから最低限の責任を負うことになるだろうけれど、何ら罪悪感も感じていない、ということだと私は受け止めています。どうなのでしょうね。こういう見解が大半を占めるのでしょうか。 戦争問題について触れていますが、日本に感謝している国がある、ですか。国は無いでしょうが、例外的に、そういう人もいるかもしれません。また戦争は戦争学者や歴史学者にしてみれば、多面的に議論する必要が有るでしょう。しかし、これは学術と、日本人としての責任をすり替える議論です。学者は客観的な立場からものを考えなければなりませんから、一度、日本人ということを忘れて、議論を行う必要が有ります。しかし日本人一人一人は、責任を問われているのです。学者の立場で発言することと、一日本人の立場として発言することは全く別問題です。やはりこれも責任逃れの論法にしかならないと思うのですよ。

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