加害者となった現代の日本人
震災から一年が経ちました。私の住むフランスでは日本を慰めようというのか、励まそうというのか、日本に焦点を当てた催し物が行われています。その一環の一つで、パリの国際ブックフェアは、今年、日本に焦点を当て、文学者二十人ばかりを呼びました。その中で私は、大江健三郎の講演を興味深く聴きました。彼の論点で主要と思われたのは、カタストロフをどのように捉えるかということです。
印象に残ったのは、カタストロフをカタストロフと捉えない人たちがいるという指摘です。口述筆記した訳ではなく、あくまで私の関心に沿って、記憶の中から言葉をまとめますが、およそ、次のような話だったと思います。
つまり原子力の問題が、これだけアジアの諸国に迷惑をかけたにもかかわらず、まだ続けていこうと思っている人がいます。メルトスルーとかいうけれど、実はたいした問題じゃないのではないか。どうにかなるのじゃないか、と考えたがる。
しかし、この問題には歴然と、被害者がいるのです。自分たちが被害を被ったことは、ある種、自己責任といわなければならない範囲もあります。しかし、諸外国に迷惑をかけ、どのような被害が及ぶのか、まだ未知数です。そして自分たちの子孫にも多大な被害が出ることでしょう。こうなると、今に生きる日本人は加害者になっているとしか言いようが無いのです。カタストロフをカタストロフと認識したのなら、原発をやめる以外にない、と。
こうしたくだりが仏語に訳された時、会場のフランス人から拍手が起きました。フランスのように遠い国でも心配であり、近い国なら、もっと迷惑していることでしょう。 私はこの話を聞いていて、「仮に誰に責められた訳でなくても、我々現代に生きる日本人は、知らぬ間に加害者になってしまったな。そして罪を償うという意識を持った上で考えることを、本当は諸外国に望まれているのかもしれない。」と深く感じたのです。
白状すると、私自身もカタストロフを甘く考えていたのでした。自分が加害者の共犯になったとは思っていませんでした。東京電力や、発電所を誘致してきた自民党のせいだと思っていた、というのが本音です。また諸外国に対する責任という点にまで目が向いていませんでした。自分の家族や、その近辺という範囲が復興すれば、それで良いのかと思っていました。しかし、カタストロフをカタストロフと認識するとは、自らが加害者だと考え、その責任を負うことである、と感じたのです。
ここで、よくあるように、チェルノブイリや、他の諸国の原子力爆弾の実験を引き合いに出して、日本だけが加害者という訳ではないということは容易でしょう。あるいは、被害が科学的に論証できないと言い立てることもあり得るでしょう。しかしこれは、レイプしておいて、レイプは他の人間もやっている、と開き直るような態度であって、セカンドレイプと呼ばれる行為です。私は、それだけはやってはいけない態度だと感じています。
日本が国際的に見ても大きな加害者になるのは、太平洋戦争以来、二回目です。太平洋戦争については、その遥かあとの世代として、負の遺産を受け止めるという役割でした。ところが、原子力となると、まさに当事者である世代として、その負の遺産を背負っていかなければなりません。軍事法廷のような審判はくだらないでしょう。しかし、やはり害をなしたことには変わらないのです。そこで皆さんに聞いてみたいのです。
(1)カタストロフをどのように捉えていますか。
(2)加害者としての責任を、お感じになりますか。
(3)そのために、何か償うことをしようとお感じになりますか。
よろしくお願いいたします。
お礼
torunet0さん、お忙しい中、わざわざ 立ち止まって、書き込んでくださって、どうも ありがとうございますm(__)m 被害者の知人は、被害に遭ったのに、相手が知り合いの為 届けるのは「かわいそう」という気持ちが捨てきれないようです。 けれど 届け出るべきですよね。 ここで みなさんに背中を押してもらって、感謝です。 >僕も基本的には好意的に接しますが こういった、一部の人の犯罪で、中国人全体が 悪いイメージをもたれるのは 気の毒に思ったりします、私の周りにも中国人は多いですが、良い子は すっごく良いです、、