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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:尾州刈谷とは?)
尾州刈谷とは?
このQ&Aのポイント
- 尾州刈谷の武士という言葉について疑問を抱いています。尾州は尾張国と思っていたのですが、なぜ刈谷が尾張に入るのか理解できません。
- 読んでいる本は18世紀前半の話ですが、尾州刈谷の武士という言葉が何度か出てきます。しかし、地図をみても刈谷は三河の方に入っているようです。
- 水野藩との関係があるのかもしれませんが、詳しいことが分かりません。どなたか詳しい情報を教えていただけると幸いです。
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質問者が選んだベストアンサー
単なる間違いなのではないでしょうか。三河(三州・参州)と尾張(尾州)の境は境川で、東は三河、西は尾張で、刈谷は境川の東ですから三河です。家康の母である「お大」の実家である水野氏は尾張国の知多郡北部から興り、三河国の刈谷にも勢力を伸ばし、刈谷を本拠とするようになり、刈谷の水野氏で有名になりますが、実際に刈谷の地にいたのは戦国後期と江戸初期くらいのものです。この水野氏は尾張の織田氏に属し、今川方であった松平広忠と対立するようになり、お大も離婚となります。このような経過もありますし、国境でもあったので勘違いしたのではと思います。
お礼
ありがとうございました。 別巻の方に訂正が載っていると教えて貰いました。 あなたのおっしゃる通り、作家のミスでした。 以前、山村美紗が愛知県にある犬山市を岐阜県にある犬山市と 書いてあった小説を読んだことがあります。 三州を尾州と間違えたのだと思います。 とにかく、誤字やら内容の勝手な解釈などが多い 作家には泣かされますが、人間味もありますよね。 朝早くからのご回答に厚く感謝致します。