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真理

真理はどうやったらわかるんですか?

みんなの回答

noname#155457
noname#155457
回答No.13

誰でもこの世界には歴史があり、進化論によって人間が生まれたと考えています。 ところがこの考え方は大間違いで、この世界は幻によってできており、存在する世界ではない。という考えが、ブツダの考え方であり、これを『空の論理』といいます。 それで、新約聖書には『この世は神のことば』で造られているとあります。 この二つの論理を合体すると『この世界は幻の世界であり、催眠術のように神のことばでできている。』ということになります。 【この考え方が真理です。】 この真理を基礎として仏典や新約聖書を読むと、意味がよく分かります。

回答No.12

もう一回書いてみます、先に書いたものが分かり難いと思いますので、分りやすく書いて見ます。 例えば人間としての幸せです。仮の世界から見た場合では『学歴やお金や、高い地位が大事に思えますが』 真実の世界から見た場合では、人間の幸せが『学歴やお金や、高い地位ではない事』が分ります。 高い地位や、お金を求めて生きる事が、儚い夢を見ているような幸せを目指しているかも知れない事を実感出来た時、『真実の世界と仮の世界との境目が分ります。』 本当の幸せと、仮の幸せが在る事によっても、二つの世界が展開している事が分ります。 結婚を決める時にも云えています、見た目や、高学歴や、高身長にばかり目がゆく場合と、相手の人格を見抜く場合です。 移ろいゆく事に主眼を置くのか?或は変わらないものに主眼を置くのか?、その目を養う事が出来るのかに、全てが掛かってています。

回答No.11

目の前に現実として『在りて在るもの全てです。』その見方は『自我』と言うフェルターに色や欲や計らいを取り払って見る場合です。 人間はともすると現実を二つにして見ている場合が在ります。その二つとは『一つは厳然たる真実の世界です。』がもう一つは『頭の中で再構成された世界です。』 頭の中で再考された世界は、現実に在る事を無い事にしようとしたり、現実には無い事を、頭の中ではある事にしようとする『架空の世界です。』 そういう頭の中だけの『現実にはない世界が』仮の世界ですが、その境目が判らないように出来ています。 そういった世界を示している動画が在りますので載せて置きます。脳内のからくりです。 自律神経失調症や過敏性腸症候群も、神経症や心を病む事も『頭の中の架空の世界を現実として』身体と心が反応している事を意味します。 頭で描く世界と、現実の世界が一致する場合には、『妄想としていた、頭の中の世界は消滅します。』つまり症状が消えてしまう事を意味します。 頭の中の世界と現実の世界が一致する事を『悟る』と表現しますが、右脳の意識と自我意識の間に『ホットラインが通じた事を意味します。』それ以後では『自分の心が争わなくなる事』=『涅槃』=『何時も心が静寂に包まれている状態』を意味します。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

回答No.10

どうやったら、はいろいろです。人の数だけパターン分けです。 共通している状態は  ・自分を100%切り捨てる  ・自分を100%肯定する これを同時に認める瞬間に訪れます。

回答No.9

 予感によってです。  つまり 主観です。  自己満足だと言われても仕方のない主観の中の出来事です。

noname#155457
noname#155457
回答No.8

この世界が実在の世界ではなく、幻(空)の世界であるということを理解したとき、そこから色々な真理が解ってきます。 一番大事なのは『空の論理』の理解です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.7

真理とは何か、を説明しないと答えられません。 1,女の子の名前(木造さんのぱくり)   なら、抱けば解るかも。 2,普遍的な法則の意味なら、人間の限界を   超えるかもしれない。   人間の脳はそれを探求できる能力があるのか   疑問。 3,判断が存在と一致することを真理というのなら   一致させればよいことになる。 4,整合性を意味することが真理というのなら   整合性を保てばよいことになる。 5,思想が有益であること、が真理だとするなら   病気の人なら病気を治すこと、   悪いことをしている人なら、悪いことを止めること   などで真理に到達できるでしょう。

回答No.6

 真理とは釈尊の云う処の「四諦」であり、「八正道」の実践で真理に近づく、と受け止められていると思います。  理で解するだけではなく、体感、実験(実際に経験)する事が必要不可欠のようです。  

回答No.5

真理とは、事実がいかに虚構であるか、知ること。 全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に基づき、 無限につめ込むと存在確率の山が平ら=無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は 光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、 自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 無=無限不確定性の潜在としての認識可能性における、 プランク定数の収束(=物体収縮=宇宙膨張)の時系列化による 変化を原点化した感受表面(現在=光速)からの自我仮説(経験= 過去=超光速=時間軸)と時空仮説(予測=未来=光速下=時間軸) の相補分化として、その虚構の時間軸への無限不確定性の 相補分化における、経験的な階層現象表面的定性化=原理的 確定を伴わない“いい加減な”捉え方によって、有限的存在性は 派生しているのです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので 「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の 感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去 =超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは 発生しているのです。 相対性理論の四次元時空の式の時間項は、虚数になっており、 そのために空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面”ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の 領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。 逆に言えば、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説) の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」 という無の射影として、存在は生じていると言えるのです。

  • siriai
  • ベストアンサー率23% (50/213)
回答No.4

いまそうして真理ってなにかと考えることを続けることですね

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