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「極み」と「窮み」の使い分け
「極み」と「窮み」の使い分けがわかりません。 具体的な違いがあれば教えてください。 よろしくお願い致します。
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- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
【極み】これ以上無いという状態。限り。極点。 栄華の極みを尽くす。幸運の極み。遺憾の極み。 【窮み】物事が行き着く終わり。果て。きわまり。 窮み無く進展する。宇宙の窮み。 (引用:「同音同訓異字辞典」柏書房)
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
広辞苑には「困窮の極み」は用例としてありました。 こん-きゅう【困窮】 こまりくるしむこと。「対策に—する」 貧乏で苦しむこと。「—を極める」「—者」 それと広辞苑では「きわみ」の字は極みだけになっていますね。 きわみ【極み】キハミ きわまるところ。限り。はて。万葉集3「わが黒髪のま白髪に成りなむ—」。「感激の—」 おそらく〈窮の字に「行き場がなくて困る」「行き詰まる」意味があるから〉という考え方ではないかと想像します。→窮する 私の意見ではありません。単なる参考としてあげておきます。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
「窮める」は「究める」とほぼ同義です。 いずれも「穴かんむり」の漢字で、穴に身を折り曲げて入るコト・状態を示し、「もうこれ以上、穴の奥には行けない」と言う、突き詰める様なコトです。 「窮」と「究」は、同源異字に近いかも知れません。 極みは「頂点」とか「果て」とか、「片方の端」などです。 「窮」と「極」も似た様な意味で、「究極」と言う類似語熟語を作りますし、これも「窮極」とも書きます。 違いは、正確かどうか判りませんが、「極」の方が、やや自然科学的な感じはしますよ。 磁石のS極・N極とか、地学の北極・南極など。 定量的にとか、物理的・可視的な一番端っこを示す場合です。 一方の「窮・究」はその逆で、「学問を究める」「奥義を窮める」など、具体的なゴールがなさそうな、定性的・感覚的な感じです。 ただ、最近は「奥義を極める」なんて風にも書きますね・・・。 あるいは「上下」「左右」など、両方向性のモノは「極」。 「奥行き」など一方向性は「窮」「究」と言う考え方はアリかも知れません。 「余り違いは無い」とか、「その程度の違いしか無い」くらいの様な気もします。 他の回答者さんの例示は、私はお勧めしません。 「困窮を窮める」は、「頭痛が痛い」的な誤用と言えるでしょう。 「貧困/困惑などを窮める」=「困窮する」です。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3502/7245)
「感激のきわみ」 なんて言いますね。この場合、 「感激の頂点にある」 ということです。 「頂点にある」 で思い出すのは 「北極星」。北のきわまったところ、頂点にある星で、「極」 という文字が用いられています。 無理に漢字で書く必要もないと思いますが、どうしても漢字で書く必要があるのなら、「感激の極み」 と書けばよいと思います。 むしろ 「きわめる」 という動詞の形で使用する時の方が、どちらの漢字を用いるべきかと迷うのではないでしょうか。 「きわめる」 には 「極める」 「窮める」 「究める」 と、3種類の表記が考えられます。 上に書きましたように、「清盛が栄華の頂点をきわめる」 という場合なら 「極める」 でいいと思います。 「困窮をきわめる」 のような場合だと、「困窮」 の 「窮」 の字を用いて 「困窮を窮める」 とするのが自然に見えます。意味としては 「限度に達する」 ことですから 「極める」 でもいいのですが、「困窮」 という文字に重ね合わせる方が自然に見えると思います。 「窮地」 という言葉がありますが、私の感覚では、その対象にとって好ましくない極端さの場合には 「窮」 という文字を使いたくなります。 また、学者などが研究の成果を出した場合などには、「究める」 という文字を使いたくなります。これはもちろん 「研究」 の 「究」 という文字を意識するからです。