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「治療とは病気についての非神話化である」
「治療とは病気についての非神話化である」という命題について 科学的側面、社会的側面、宗教的側面から説明せよ。という問いが分からず困っています。 哲学については全くの初心者です。どうか、わたしでもわかるよう、説明をよろしくお願いいたします。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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統合失調症の発祥のメカニズムなどをかんたんな読み物でいいから読んでみれば大体わかります。 患者は最初は真剣に、 おりゃー神様だ。 お釈迦様の生まれかわりだ。 こう言っていたのが病院に担ぎ込まれて、先生と話すうちに、 先生の言うとおりに病気だと自覚する。 この時点で神話から病理へと推移しており、治療はその神話の完全な解体を意味する。 ちなみの私は病人ではなく完全なキチガイで、お釈迦様は大したことの無い物乞いだと考えているし、神とは言わば「俺にとって都合にいい女」だと考えています。
応用倫理の命題でしょうかね。 『治療』ということは自発的な行為をあらわす隠喩でしょうね。個人であれ団体であれ。 『病気』ということは,団体であれば,イデオロギー,コミュニケーション,システム,の滞りをあらわす隠喩でしょうか。 『神話』ということは,受け身としての人間から見た,よくわからないもの,そして恐れるものをあらわす隠喩でしょうね。 科学のほうから見たとき,病気という原因がよくわからないもの,つまり神話的なものに対して,有効な理論をあてはめて,将来の予想までたてられるようにしようという理論,行為,製作が,すなわち病気の治療となるのではないだろうか。 社会のほうから見れば,社会が求めてはいないことが起きたときに病気なのであり,そこに倫理の枠組みをあてはめる。そして将来を見通すことが治療となるのではないだろうか。 ここまで科学と社会についての考察ですが,見落としていることがないだろうか。科学を過信してはいないだろうか。科学は正確に現象をとらえられるはずだ。というおごりからくる安心感によって,余計に危険な目にあってはいないだろうか。 3.11は我々に何を訴えているのか。それは科学が,そして社会が,神話的な強大な力に負けたことの記念碑として,決して忘れてはいけないことなのではないだろうか。より深い考察が求められていると思いますので,そこんとこ夜路死苦! 最後に宗教のほうからですが,これは諸説ありますんで,ご自分で選び考察すべきことです。 この国が亡びるのか繁栄するのかは,我々の世代の振る舞いにかかっているのです。よく遊び,よく学んで,実社会において大いに腕を振るわれるよう希望します。
- tumaritou1
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この命題は『人はパンのみにて生きるものである。』と云う事を云っています。人間の『目に見える部分のみの治療方法が、科学の力である。』という命題です。従ってこの命題そのものは『一つの誤まった方向を指していると感じます。』 その証拠が、今の科学の粋を集めた最新の精密検査機器の数々で検査をした場合では、異常がないにも拘らず、本人の言い分から云うなら、症状として訴えている『病気』が存在する事です。 その前に「治療とは病気についての非神話化である」という命題について、詳しく説明したいと思います。 それは『今の科学は絶対であって、その科学的な根拠に付いては、誰であっても犯す事が出来ない。』という誤まった『思い込みです。』 今の科学(精神医学)の見解では『心が如何して苦しくなるのか?』と云う事の原因が特定出来ていません、にも拘らず、『早期発見で、早く良くなります。』というキャッチフレーズです。そうして行着く先は『寛解』です。この意味は『今は小康状態が維持出来ていますが、何時もっと良くなるのか、或は何時悪くなるのかの保障が出来ませんので、気を付けてください。』という程度です。 如何したら悪くなって、如何したら良くなるのかの『科学的な根拠は持っていません。』 こういう医学的な現状を踏まえた場合では、「治療とは病気についての非神話化である」という命題についてを撤回する必要さえあると考えさせられます。 自律神経失調症や、神経症や、心を病むという場合には健常者も、症状を抱えた人も、精密検査機器の精度を上げたとしても、違いが見付けられないからです。 検査をしても『機能は』正常に機能している事になります。 こういう現実の前に『治療とは病気についての非神話化である』という命題は、誰の目にも『陳腐に映るかも知れません。』
- 雪中庵(@psytex)
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「科学とは存在についての非神話化である」と いう事ではないでしょうか。 存在の第一原因を神に求めた時代との対比で。