いろいろな物事がわかってくる感動と恐れ
自分は人生の半ばを過ぎております。すでに下り坂に入ってきている。そこで、いままで見聞したり練習したり訓練したり追及したり刺激を受けたり、いろいろ経験してきて、かなりのインプット自分に与えたものだと感じます。その結果、少なくとも若いときにはおぼろげにしかわからなかった感覚が、もっとくっきりとおそらく確からしく思われるまでになったことが多いです。自然科学人文科学の断片的知識とか、人間心理とか、スポーツを練習した結果のコツとか真髄とか、芸術の本質とかさまざまなものが、ある程度の確からしさを持って自分で把握できます。
また、自分の能力についても、若いときまるっきりだめだった(英才教育など受けていないので物心つくまでになにかこなせるようになっていたわけでもなかったので)のに、訓練によってつくものだなという感覚があり、自分自身の可能性というものにも一種の感動を覚える(もっともこんな低いレヴェルで感動しているようでは先が知れていますが)外国語能力とかスポーツの身体的動きとか、よくもこんなことできるようになったなという気がします。
そういう、いろいろなインプットで総合された、悟りのような感覚というのが、どうも感動的であると同時に、その背後に広がる世界の広さを感じて、恐ろしい感覚があります。天才のやることはすごい、でもその一端を垣間見る私という凡人は、そういう深みに対する恐ろしさがある、そういう恐ろしい感覚というのは、人間の成長に伴って付きまとうものなのでしょうか?本当に天才ならば、そんなのへの河童だといって、どんな真髄を見ても動じないのでしょうか?そんな、感動しやすいとか恐れやすいとかいう軟弱な心を持っていてはだめなものでしょうか?