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哲学人の現実の出世状況

哲学ジャンルには、上から目線で小難しそうな表現で自己満足な文章書きたがる人多いですが、 こういう人って、現実のビジネスの世界での活躍度はどうなのかと疑問を感じるんですが 実際、あなたの出世状況はいかがですか? 地位、年収、なんでも構いませんので教えてください。 ※人間の価値とは~ではないとかくだらぬ応えや屁理屈は不要です。端的な事実状況を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#194996
noname#194996
回答No.10

別に自分が哲学人とは思いませんが、ここにいることが多いし、面白そうなので書き込みます。 期待されるとおりのウダツのあがらぬ平均年収人間です。 ビジネスマンではなく終生ものづくりに生きがいを見出す平手職人でした。 それ以上ではありません。 ここに出るのを生きがいにして 日々をかつかつ生きております。 これでよろしいでしょうか。

tattaro
質問者

お礼

なんか、想像した以上にというかほぼ全ての方がそうで...なんとも。 ただまあ、実学の世界からは、自己満足すぎる理屈遊びに、違和感ありすぎてその状況は容易に想像できてしまいます。 個人的には、哲学たるは、単なる言葉遊びや知識披露ではなく、人生に他人の何倍も戦いまくった過程(後)に自らが導くアイデアだからこそ有意義な対話なんじゃないかと思いますが、まあ人それぞれですわな笑。

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noname#150036
noname#150036
回答No.11

こんにちは.ボクちんは,ふつーのサラリーマンです. 掛かる生活費が年間総額400万超えという余りに陳腐な 生活をしています. しかも会社人間として,≪みんな≫という世界に頽落し, あるいは迎合し,また,隷従している.≪非のある自己≫ を引き受ける.≪被投性≫そのある意味なげやりであり, 人間的な,余りに人間的な人間でもあります. ボクちんのお仕事は,社員のテオリアから法人のイデアに 向かう,ロジカルな過程での,陰に潜むパラドクシカルな ≪もの≫≪こと≫を,あぶりだす作業とその始末です. 自分の担当する記録の作業が,手一杯でもなお余り,余った 作業が翌日にまた余り,余りすぎて他の人に流して済ませる という,創造と破壊に明け暮れる毎日です. かくして本来的自己を見失うことによって会社人間のごとく 振る舞い,そこから時間がもつ脱自性に従い,本来的自己を 取り戻す.その過程にある,死に先駆ける決意性への回帰. それらの循環によってのみ生かされていることに気づいたの ですが,同じくして,ロジカルな人間性,人間的なロジック すなわち空即是色 色即是空にも気づいたわけでもあります. 要約しますと,なんとかなるんじゃない?という決意性と, どうしようもないかもな.という頽落との循環が 人生のすべてだと考えています.したがって立身出世は望ま ない,余りに人間的な人間といえます. しかし神はこういいました. 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。 (マタイの福音書 5章より)

tattaro
質問者

お礼

神はいないけど。 その神様は、人間の自己防衛の力として考える能力を与えたわけだな。 その考える力を、  自分の発展活躍に活かす人間と、 発展しない現実にどうにか不安軽減する為の理屈を考えることに懸命になる人間がいるわけだ。 なんとかなるまでなんとかすりゃあなんとかなるんだけどね。

noname#156094
noname#156094
回答No.9

地位・・・ただの職人 年収・・・約250万円 生活・・・普通以下 希望・・・あと10年は生きたい 楽しみ・・・毎朝雀に餌をやること 人生・・・負け組 仕事・・・一応真面目 活躍・・・若い従業員を叱ること 貢献・・・お金を頂いた時にそう思う 存在感・・・なし 交際・・・12月と1月は交際接待費がかさんだ、法事も多い 立身出世・・・やりたい事をやってきただけ、勤めたことは一度もない ビジネスマンのレベル・・・公務員よりは働いていると思う 見積り・・・若い頃は真剣勝負、今は赤字でも平気 書類作成・・・そろそろ若い人に譲らないと 監督・・・自分がいないと現場がまとまらないと思い込んでいる 営業・・・誰とでも平気で話せるようになってしまった、緊張感がない 税金・・・たくさん払っていた頃が懐かしい 福利厚生・・・職人に毎日ジュースを飲ませられなくなったら仕事を止めるべきと思っている 通信費・・・職人一人につき毎月2,000円づつ携帯電話代を払っている、ありがとうと言われたことは一度もない その他・・・上からの目線が止められない

tattaro
質問者

お礼

ん~、なんだか読んでたらしんみりした気持ちになってしまいました。 ここは不器用に生きてる方ばかりですね

回答No.8

#1の者です。 >むしろ一度、徹底的にその権威者(経営者)となり弱肉強食の >強者となって、徹底的に肯定して活動してみればよい。 失礼しました。 「海外コンサル」としては、自分の会社(社員3人ですが)を やっており、色気を出して国内のプロジェクトをやったところ、 某県知事が辞任につながる汚職事件の案件で、会社の 周りをマスコミに囲まれ出入りもできない状況になり、倒産 いたしました。 あなたのように、立派な社会経験のない世間知らずで、 恥ずかしい限りです。

tattaro
質問者

お礼

その程度では、経験したと言えないでしょ。 しかもトラブったから自分の責任ではなく倒産?ってまだ経営者のけの字も意識もててないでしょ。 僕が社会経験のないね~まあネットですから。

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.7

資本主義が行き詰まって、出口がみえない日本で、哲学をするということは、正社員(正規雇用)をかちとる闘いに、 勝利することです。 他人と比べないと、自分の位置がわからないとは、悲しいものです。 地位:平社員 年収:ボーダーライン以下 出世に縁がないのが哲学、数学。本物の政治家も、徹底的に貧乏だけど。 世の中に、たてついて、出世できるわけがない。 女房に食べさせてもらう、ひもでも、天下を目指している男は、いるもんだ。 自由民主党の戦後政治と対決してきた、天敵ともいえる政党は、哲学をもっているぞ。 何回か、現実の壁にぶつかって、哲学を鍛えてください。

tattaro
質問者

お礼

出ました、自分の弱さを屁理屈で誤魔化す。 日本で正社員になれなかったらどの国いってもなれないよね。

  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2909)
回答No.6

No何番だったか忘れたけど、 俺哲学者じゃないんだよね。 だから仕事できる哲学者じゃなくていいの。 何だかかわいそうに見えるから 頑張って生きてくださいね。

tattaro
質問者

お礼

なら回答しなくていいのに~笑

回答No.5

この問いは簡単ですね。 二文字で答えられます。 しかしなかなかいい問いです。 もう少し分析して,自問自答してみてはいかがですか。 他人の回答より自分の回答のほうが役立つもんですよ。

tattaro
質問者

お礼

なら答えなきゃいいのにね。 みんな、やっぱりただの屁理屈負けず嫌いさんやね。

回答No.4

 このカテに住んで三年と八か月。  私が哲学してるかどうかは、私自身は判断できないレベルの知能です。  たぶん“哲学”の範囲には入ってないと思いますが、私の質問や回答から“哲学”してるかどうか判断してみてください。  職業は宅配業。運送業ですね。社会の底辺に住んでると思います。年収三百万くらい。

tattaro
質問者

お礼

あれま。そういう方ばかりですね~ 努力の仕方変えたらすぐ年収あがりますよ。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

1,だいたいね、哲学なんか勉強している奴は 暇な人が多いと思いますよ。 地位の高い人ほど、忙しいんですよ。 総理になると、一日数百人もの人と会わねば ならないと言います。 2,それに現実のビジネスでは厚顔無恥の 方が成果を上げやすいのではないでしょうか。 哲学を勉強する人は、文章ならともかく 実生活ではそんなことにならないでしょう。 あの三島由紀夫も、官僚時代は無能で 怒られてばかりいたといいます。 ”地位、年収、なんでも構いませんので教えてください”     ↑  聞かないで下さい。

tattaro
質問者

お礼

人一倍活動しながら、人一倍勉強してください。 忙しいと学びが減るなんて、忙しい人に言ったら笑われます。

  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2909)
回答No.2

人はパンのみに生きるにあらず。 地位 派遣 年収 120万未満 将来 資産家の家を継ぐから権利収入だけで暮らせていけます。 哲学や神学をやっている人が 金儲けやビジネスに嵌るはずないでしょう。 特定の宗教は別ですが。

tattaro
質問者

お礼

都合よく無能さを哲学の理由にする。笑 仕事のできる哲学者を目指してください。 いや失敬

回答No.1

哲学(=思想)とは世界像・価値観であり、生きる上での指針です。 それなくしては、現象的な複数の指標への条件反射的により、 自分の意思に生きているようで状況に流されているだけの人生 になります。 たとえば「本来、助け合うために集まっているはずの社会において、 社会生命的自覚を育てず、お金や出世により他律的に社会行動を とらされる事で、社会は実質的には助け合いながら(物質的繁栄) も、精神的には弱肉強食の奪い合い(精神的荒廃)となる」という 考えに基づいて、大学途中まで絵画専攻だったのを建築に転学し、 それまで鍛えた造形センスを社会活動において活用しようとしました。 しかし、建設業界の裏金・談合体質を無視しようとして仕事を干され、 社会そのものの形成から関わらないと社会貢献は経営者の利益に 吸収されると感じ、ボランティアを経て国際協力に転じ&教育分野を 中心に実績を積んで事前調査(プロファイ)をする海外コンサルになり、 発展途上国の教育政策において、それまでの押し付けではない、 住民参加型の学校運営、裨益者が自分で援助内容を(ある程度) 選べるオスタナティヴ・スタンダードといった、新たな援助形態を次々 提案し、役所気質のJICAににらまれ仕事を取りにくくなりました。 その間、ブータンに3年暮す内に、外から見た日本の、景気はドン底 で格差は増す一方、親が子を殺し子が親を殺す精神的荒廃ぶりに、 実は日本こそ世界で最も(物質的よりも)救済すべき国に思え、国内 に転職した途端の大震災で、取引先(うちは建材メーカー)に声を かけてプロジェクトチームを作り、ビジネスを通じて被災地の復興に 役立つ(現状は大手メーカーと政治家の草刈場)方法を探っています (被害にあった現地の工務店の支援をメインに)。 別に哲学をしたらといって、必ずこんな風に社会からハミ出す訳では ありません。 社会の常識に則った哲学であれば、誰にでも分かる言葉で、かつ 知的に振る舞って、敬意を集める事も可能です。 社会を動かしている常識に反した哲学を持った途端に、ある程度の (生きるためと生かすための)二重生活と、常に(周囲とは違った) 目的に向かって移り続ける“平和の中の戦い”が待っているのです。 (↓日本では一生かかってやっと建てられるかどうかのマイホームを 村人が集まって古い家から順に改築してゆくブータンの建設現場 ‥‥楽しそうに歌いながら壁土を突き固める娘さん達に「助け合い としての社会」の原型を見る思いでした)

tattaro
質問者

お礼

哲学を語る以前に、経験が不足しているのだと感じませんか? 上記文章は、一見人間に優しそうな表現にしただけの一方向からの思い込み哲学に過ぎないかも知れませんよ。というかそう感じます。 社会の常識と戦っているという表現は一見勇敢に感じます。 しかし、私の経験からは、それらは様々な経験を重ねる毎に、実は自分が無知であったことに気付かされることの方が多いと感じています。 弱肉強食、権威者を否定し、平和を肯定するならば、 むしろ一度、徹底的にその権威者(経営者)となり弱肉強食の強者となって、徹底的に肯定して活動してみればよい。それでも同様たるのか。 100%何らかのパラダイム転換を起こすと断言してもよい。 失礼ながら、それを経ない哲学など、薄っぺらいという表現しかありません。 と感じます。すんません。

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