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戦国時代の女性の呼称について。
戦国時代の大名や武将の正室・側室の呼び方で 山手殿、村松殿、七曲殿、淀殿といった呼び方がありますが、この呼び方の由来が分かりません。伊達政宗の側室・猫御前のように、容姿や仕草から付けたか、淀殿の別名・西の丸殿のように、住んでいる場所が由来となって付けられたのでしょうか? また、「~殿」「~御前」「~姫」の呼称は、女性の出自の違いで呼び方が変わっているのですか? 駄文で申し訳ありませんが、分かる方いらっしゃいましたら教えて下さい。 宜しくお願い致します。
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- fumkum
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回答No.1
分かる範囲で。 村松殿は夫と共に住んだ土地=領地の名前が村松なので村松殿。淀殿は秀吉に淀城を与えられたので=淀城の城主だったので淀殿といったようです。戦国時代の大名・武将の正室については現在住んでいる場所=お市の方を小谷の方とも呼ぶ例など。出身地にちなむもの=上杉景勝夫人の武田菊姫が甲斐御前と呼ばれた例など地名にちなむものが多かったようです。 「~殿」「~御前」「~姫」及び「~御料(寮)人」「~夫人」「~方」の呼称の区別ですが分かりません。ただ、大名級の娘や夫人にはこれらの呼称が法則性を待たずに使用されているようですし、同一人物で「~殿」「~御前」「~姫」などの幾種類かの呼び方を持っている人物(上杉景勝夫人の武田菊姫など)の例も多くあります。 数年前に知ったことですが、「姫」は身分の高い女性に使用するのですが、結婚しても老齢になっても「姫」は姫だそうです。若くて結婚前の女性だけだと思っていましたが、80歳の女性でも姫だそうです。 以上、短いのですが参考まで。
お礼
ありがとうございます! 住んだ土地と居城から付けられたあざななのですね。生まれた土地・領地の名前が多かったのですか。 「姫」のことは初耳でした。子供を産んだり年を取ったら「姫」という呼称が無くなるのかな、と勝手に予想していました・・・。 とても為になりました。ありがとうございました!